log:生誕祭
【想いの丈を、縫い上げて】
(初出:2019.7.20 よもやま)
かこん……と。
鹿威しの石を打つ音が、抜けるような青空に木霊する。
そこは、四大貴族である朽木家の邸内。
手入れの行き届いた日本庭園に面した和室の奥に、一人の娘が座り込んでいた。
純和風な空間に不釣り合いな洋装を身に纏ったその娘は、手に針を持ち、膝の上に広げた布をせっせと縫い合わせている。
生地と形状から察するに、仕立てているのは男性用の浴衣のようだ。
さや……と。
庭木の枝葉を揺らした初夏の風が、障子を開けはなった室内を吹き抜けていく。
それは娘の側を通り抜けざま、その胡桃色の前髪を一房、眼前へと払い落としていった。
「………」
娘は軽く眉根を寄せると、針を針山に戻し、ゆっくりと前髪をかきあげて。
同時に、ふう……と大きく息を吐き出した。
何時間も同じ姿勢を取り続けていたせいだろう、首も肩も随分と凝っている。
娘は己の拳で軽く肩を叩きほぐしながら、膝の上に広がる縫いかけの浴衣を見下ろした。
「…夕方までには、仕上がるかな……」
誰に聞かせるともなくひとりごちながら、そっと掌で布を撫でる。
その脳裏に浮かぶのは、彼女のたった一人の想い人。
つい先日結婚したばかりの、橙色の頭髪を戴く青年の姿だった。
「気に入ってくれると、いいんだけどなぁ……」
ちょっぴり不安そうに呟いた直後、「少し、邪魔するぞ!」という凛とした声が響き、背後の襖がす…っと開いた。
慌てて振り返った娘の瞳に映ったのは、烏の濡れ羽色の髪に紫紺の瞳を持つ親友の姿。
腕には、まるまると健康そうに太った赤ん坊を抱いている。
鮮やかな紅に一滴だけ紺色の染料を溶かしたような、深みのある赤毛に顔を縁取られた赤ん坊は、親友の腕の中ですやすやと寝息を立てていた。
「熱心なのは良いことだが、根を詰めすぎるのは良くないぞ、織姫」
「ルキアちゃん……」
「菓子と冷茶を用意したから、少し休め」
そう織姫に話しかけながらルキアが入室し、続いて盆を手にしたちよが入ってくる。
ルキアが織姫の側に腰を下ろすと、ちよは水饅頭の乗った皿と硝子の茶器に入った冷茶を置き、一礼して部屋を出て行った。
その間に織姫は膝の上から布地を除け、少し離れたところにあった小振りな藤製の揺籃を引き寄せ、ルキアの脇に据え置く。
籠にはふかふかの布団が敷き詰められており、ルキアは織姫に礼を言いながら、赤ん坊をそっとその中に寝かせた。
「よく眠ってるね、苺花ちゃん…」
「さっき乳を飲ませたところだからな。その前は邸中を四つ這いで探検しておったから、疲れたのだろう。
ふふ…どうやら、この子は相当のお転婆娘のようだ」
苦笑混じりのルキアの微笑みに、母親ならではの慈愛の深さを見て取り、自然と口元を綻ばせる織姫。
その織姫の表情を目にしたルキアもまた、一層穏やかに目を細める。
他人の幸せを自分の幸せのように喜ぶことが出来るというのは、簡単そうでいて以外と難しい。
それを無自覚無意識に相手を選ばすにやってのける織姫の性分を、ルキアは殊の外好ましく思っているのだ。
「……それにしても、初めてとは思えない出来映えだ。針子頭の如月も感心していたぞ」
「それは、如月さんの教え方が上手かったからだよ! それに、水通しから裁断までは反物買ったお店に頼んじゃったし、私は本当にただ直線に縫うだけで……」
「織姫、謙遜しすぎるのは良くないぞ! 私など、その『ただ縫うだけ』がろくに出来ぬというのに」
「……ごめんなさい」
水饅頭をつつきながら、織姫がしゅん…とうなだれる。
その様子に、水饅頭を竹匙で半分に切り分けながら、ルキアはこっそりとため息を吐いた。
『……まぁ、この謙虚さもまた織姫の個性だし、一護が彼女に惹かれた要因の一つでもあろうしな…』
そんなことを考えながらルキアは頭を一振りすると、わざとあーんと子供のように大口を開け、切り分けた水饅頭の半分を頬張った。
それに倣うように、織姫もまた菓子を口に含む。
途端に、とろけるような笑顔になって「美味しい…!」と呟いた親友の姿に、ルキア小さく安堵の息を吐き出した。
「本当によく頑張ったな、織姫。一護も、きっと喜ぶであろう」
ルキアがあらためて労いの言葉をかければ、織姫が肩を竦めるようにしてはにかむ。
「結婚して初めての誕生日だからね。
それに、手作りのものを贈るのも今回が初めてだから、頑張っちゃった!」
「………え? 手作りは、初めて…?」
「うん」
戸惑いから忙しく瞬きを繰り返すルキアに向かって、こっくりと頷き返す織姫。
その姿を紫紺の瞳に映しながら、ルキアは軽く混乱していた。
織姫は高校時代に手芸部に入っていたほど、手先が起用で物作りが得意だ。
故に、彼女は周囲の親しい者の祝い事に際しては、大概何かしらの手作りの品を贈ることが多い。
メインのものは既製品であったとしても、ワンポイント刺繍を施したハンカチや、端切れを利用した巾着、革製のブックマーカー…そういった手製の小物類を添えるのが常なのである。
実際ルキアも、恋次との結婚式に際してはヴェールを、苺花の出産に際しては産着やおくるみ、布製の玩具などを受け取っている。
だから当然、一護に対しても、自分や他の友人や仲間達にするように、これまでも何かしら手作りの品を贈ってきたものとばかり思っていたのだ。
ルキアが率直にそのことを口にすると、織姫少し困ったように微笑んで。
菓子皿と茶器を盆の上に戻し、脇に除けていた縫いかけの浴衣を膝の上に広げ直しながら、ぽつり…と独り言のように呟いた。
「……『重い』って思われるのが、怖かったから…つい、ね」
「織姫…」
喉にひきつるよう痛みを感じて、黙り込むルキア。
織姫の性格と、一護への一途な想いを良く知るルキアには、彼女が抱えていた「怖さ」とやらが、まるで我が事のように理解るような気がした。
良くも悪くも、織姫にとって何よりも優先されるべきは、一護なのだ。
そして、傍目からはどうみても相思相愛な矢印がびしばしと飛び交っていたにも関わらず、つい最近まで二人が「仲間」という距離を縮められずにいたことも知っている。
考えすぎ、心配しすぎと笑う者もあっただろうが、一護が少しでも負担と感じたり、二人の関係性が悪い方に変化することを、当時の織姫は何よりも恐れていたに違いない。
だが、しかし……。
ルキアの目の前で熱心に針を動かす織姫、その華奢な左手の薬指には、控えめながらも美しい光を弾く、銀色の細い環が嵌まっている。
今や一護は、織姫にとって二世を誓ったかけがえのない伴侶となったのだ。
その彼の誕生祝いの品を、妻である彼女が手作りすることに、誰の、何の遠慮が要るだろうか……?
『織姫……そなたの想い、今こそ存分に込めるが良いぞ……』
苺花の眠る揺籃に手をかけ、ゆらりゆらりと動かしながら。
ルキアは己の耳にしか届かぬ至極小さな声で、「一護は本当に、三界一の果報者だ…」と、嘆息混じりに呟いたのだった。
終