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【風邪引き新年、怪我の功名】
(初出:2019.1.1)
あともう少しで年が明ける…というタイミングで、不覚にも熱を出してしまった。
元旦早朝から鼓膜が破れるかという大音量で、新年の挨拶電話をかけてきた親父にその旨を説明。
昼から実家で開かれる予定の新年会は欠席すること、でも、一勇とヨメさんは予定通り参加させて欲しいとお願いすれば、親父自ら二人を迎えに我が家までやってきてくれた。
インフルエンザの検査キットの入った、往診用の鞄を携えて。
不幸中の幸いとはこのことか、有り難いことに結果は陰性。
恐らくは、一勇の引いたのと同じ風邪に罹患したんだろう…との親父の診断に、やっぱりか…と頷く。
実は遡ること一昨々日前の夜、一勇が今の俺と同じように突然高熱を出したのだ。
昨日の朝には平熱に下がり、今ではすっかり元気に飛び跳ねているが、親父の話だと最近似たような症状を訴えて医院を訪れる患者が少なからず居るのだという。
「同じ種類の風邪なら、明日の朝にはおそらく解熱してるだろうよ。一勇は予定通りうちに泊まらせるから、お前は今日一日、ゆっくり養生してろ」
そう言い残して親父が寝室を出て行くと、ほどなくして軽い足音が聞こえて扉が開き、小さな人影がひょこりと姿を現した。
「……おとうさん、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ。おじいちゃんからお薬もらったしな。だからお父さんのことは気にしないで、おじいちゃん達と仲良くお正月を楽しんでおいで」
「……うん」
わかった…と言いつつも、しょんぼりとうなだれる一勇。
俺は苦笑混じりに小さな頭に手を乗せると、そっと仰向かせ、不安そうに揺れる茶の瞳をのぞき込んだ。
「いいか、一勇。
今日のお前さんの任務は、【お父さん代行】だ。
おじいちゃんの家では勿論、初詣や買い物途中で知っている人に逢ったら、お父さんの代わりにしっかり新年の挨拶をしてきてくれ。
よろしく頼んだぞ?!」
「……うん、わかった!!」
先刻までとは打って変わった活き活きとした表情で、任せて!…と胸を張る我が子。
その、俺譲りの橙色の髪をくしゃりと撫でてやれば、肩をすくめるようにしてはにかんだ。
柔らかく細まった目元とくすぐったそうな笑顔は、ヨメさんにそっくりだ。
「それじゃあ、行ってくるね!」
「おう、気をつけてな」
手を振りながら踵を返し、小走りに部屋を出ていく一勇。
パーカーの帽子が弾む背中を見送りながら、俺はゆっくりと瞼を閉じた。
ひんやりと柔らかいものが額に押し当てられる感覚に、ふ…と目を覚ます。
重い瞼を持ち上げれば、眉尻をハの字に下げたヨメさんの顔があった。
「……ごめんなさい、起こしちゃって」
「いや、大丈夫だ。それより、親父達のところに行ったんじゃなかったのか?」
「行ったよ。行って、帰ってきたところ」
「そっか……出かけたの、全然気づかなかった」
「私が声をかけようとして部屋を覗いたときには、一護くん、もう眠ってたからね」
「今、何時?」
「うーん…と……2時半くらい、かな?」
「……もっとゆっくりしてきて良かったのに」
「遊子ちゃんの作ったお節もひととおり摘ませていただいたし、私としては、もう十分かな…って。
だから、初詣先で別れて戻ってきちゃった」
ふふ…と、肩を竦めて微笑む。
……ほら、やっぱり一勇はヨメさんにそっくりだ。
「お腹、空いてない? お粥でもつくろうか」
そう言いながら、ヨメさんが俺の額から手を離そうとするのを、咄嗟に手首を掴んで引き留める。
「一護、く…?」
「……もう少し、このまま…腹、そんな空いてねぇし。それよりも、手…冷たくて気持ちいい…」
「そう…?」
「外、大分寒いのか?」
「そうだね…陽射しはあるから、日向は結構暖かいけど…やっぱり空気は、冷えてるかな」
そんな他愛のない会話をしながら、ベッドの端に座るヨメさんの方に体を横向けて。
俺は大きく腕を回すと、その細い腰を抱き込んだ。
「……あらあら、ずいぶんと甘えたさんだこと」
苦笑混じりに呟きつつも、額からはずれてしまった掌を、俺の首筋へと移動させるヨメさん。
触れられた瞬間こそ、その冷たさに一瞬体が強ばったけれど、それは数瞬を経ずして、何とも形容し難い心地良さへと変わっていった。
ほう……と深い息が、自然と俺の口を吐いて出て、ゆるゆると身体が弛緩していく。
「……辛いの?」
「いや…なんかホッとして……」
顔を上げぬままぼそり…とつぶやき、太股に一層強く額を押しつければ、ヨメさんのもう片方の手が、そっと俺の髪を梳き始めた。
そのあまりに優しい感触に、瞼の裏側がじわりじわりと熱を持ち、つん…と鼻の奥が痛くなる。
この腕の中の存在を、護りたい…その気持ちは、今も昔も微塵も変わらない。
でも、俺がそう意気込めば意気込むほど、今、この時のようなふ…とした瞬間に、護られている自分をどうしようもなく自覚させられしまうのだ。
そして、叫びだしたいほど嬉しいような。
地の底に潜りたいくらい、情けないような。
そんな二つの反する感情が胸の奥から渦を描いて沸き上がり、溺れて息が出来ないような感覚に襲われてしまう。
苦しいほどの、幸福…だ、なんて。
ヨメさんと出逢わなければ、一生知らずにいたかも知れない。
……しかしながら。
ヨメさんの方は、どうなんだろう。
瞬時に背筋が凍るようなその疑問を、口に出したわけでもないのに。
まるで子守歌でも歌うような穏やかな声音で、ヨメさんがぽつり…とつぶやいた。
なんだか、幸せだねぇ……と。
「正月早々、旦那に寝込まれてもか?」
「引きたくて引いた風邪じゃないでしょう? 一護君、年末ぎりぎりまで仕事で忙しかったのに、大掃除にも随分力入れてたし…仕方がないよ。
それに…こんな風に二人で静かにのんびりお正月を過ごすのは、考えてみたら初めてだもの。
黒崎家で大勢で賑やかに過ごすのも勿論大好きだけど、一護君を独り占めに出来るだなんて…それはそれで、私にとっては得難い幸福だよ…?」
………ああ、駄目だ。
このままだと、俺の涙腺、確実に決壊する。
「一護君が嫌でなければ、この後ここで、かずくんのズボンに膝当てを縫いつけようかと思うの。
材料を買ったのは秋なのに、なかなか時間が作れなく……あ、やっ!」
話の途中でヨメさんが小さく悲鳴を上げた、のは。
俺の手が、不穏な動きをしてみせたから。
身を捩って俺の腕から抜け出し、あたふたとベッドから立ち上がったヨメさんが、「油断も隙もないんだから…」と口を尖らせて、俺の顔を睨め下ろす。
「高熱出してる病人が、何考えてるの」
「いや……すると、即効で熱下がるって言うから」
「……嘘ぉ」
「雑誌かネットのニュースで、読んだ記憶があるんだ」
「ぇー……?」
ポケットからスマホを取り出して検索を始めたヨメさんの眉間に、俺の専売特許の皺が寄る。
「………ほんとだ」
「な?」
「で、でもでも! 100%の保証があるわけじゃないんでしょう?!」
「まぁ、な。だから、試してみるのも一興かな……って」
「莫迦なこと言わないの! 絶対の保証があるならまだしも、悪化する可能性のあることを試すなんて…!」
まるで一勇を叱るときのように、腰に手を当てて眉を逆立て、俺を睨むヨメさん。
その背後に、「めっ!」と極太ゴシック体で書かれた漫画の吹き出しが見えた気がした。
「やっぱり何か、食べられるものを作るね。そんな冗談言えるほど元気なら、少しくらい口に出来るでしょう。一護君、何か食べたいものある?」
「だから、お前……ぁ痛ぇっ!」
ぺちっ…と結構な強さで額を叩かれ、軽く呻き声を上げる。
「もう…かずくんより聞き分けわるくて、どうするの!」
「………」
「ほら、何にする? お粥、にゅうめん…それとも、さっぱりと林檎でも……?」
「……林檎がいいです」
「摺り下ろしましょうか? それとも、葛煮にでも?」
「……葛煮でお願いします、奥様」
「はい、素直でよろしい!」
しかめつらしい表情で、大仰に頷いて。
次の瞬間、ぱちん…とポップコーンが弾けたときのように、ふわっふわの笑顔に変わるヨメさん。
その鮮やかな微笑みに言葉を失う俺を余所に、ヨメさんはもう一度ベッドの端に腰を下ろすと、そのまま身を屈めて俺の額に軽くくちづけを落とした。
………元気になったら、ね?
離れ際、そんな甘い囁きを耳元に残して。
(…………絶対に、一晩で治ってやる)
「……織姫…っ」
「はぁい?」
俺の呼びかける声に、扉を開く手を止めたヨメさんが振り返る。
きょとり…と、大きな瞳をさらに見開き、軽く小首を傾げるヨメさんに、俺は一音一音ゆっくりと噛みしめるようにして、言葉を紡いだ。
ありがとう……と。
俺の視線の先、ヨメさんの表情がふうわり…と笑み崩れる。
その笑顔の持つ、根雪を溶かす春の陽射しのような穏やかさに包まれて、俺は一層の幸福感に満たされていくのだった。
【終】