旧サイトでの拍手御礼短文
【向日葵と金魚姫】
………それは、夏祭りの夜の事。
先月の誕生日で四歳になったばかりの一護は、そのとき大層ご機嫌だった。
浴衣生地で母が仕立ててくれた、真新しい濃紺の甚平を着て。
両隣を両親に挟まれて……特に、右手を大好きな母親と繋ぎながら、屋台の並ぶ夜道を歩く事自体、嬉しくてたまらないのだが。
それに加えて。
今…彼が左手から下げている、もの。
その存在が、より一層心を浮き立たせていた。
腕を上げ、眼前にそれを掲げてみる。
小さなビニール袋が、夜店を照らす黄色みを帯びた光を弾いて、きらりと輝いた。
袋を満たす水の中には、小さな小さな赤い金魚が一匹。
綺麗な尾をひらひらと揺らして、たゆたっている。
母親に手を添えてもらいながら……では、あったけれど。
生まれて初めて自分で掬ったその小さな生き物を、誇らしげに眺めて。
落とすなよ?……と声をかける父親に「わかってるよ!」と元気に答えながら腕を下ろして。
再び、前方へと顔を向ける。
その一護の瞳、が。
大きく、まぁるく、見開かれた。
ぽかん……と、口を開けて。
歩みまで止めてしまった息子の顔を、真咲と一心がのぞき込む。
「どうしたの、一護?」
穏やかな声音で問いかける母親の顔を、戸惑ったような表情で振り仰いだ彼は。
繋いでいた手を離し、地面と平行に真っ直ぐに腕を持ち上げると、僅かに右斜め前方を指さして呟いた。
「………きんぎょのおひめさまが、いる」
「え?」
二度瞬きを繰り返した後、一護の指さす方へと視線を向けた真咲は。
やはり息子と同じように、大きく目を見開いた、後。
「まぁ…可愛い……!」
何かを愛おしむようにゆっくりと目を細め、それはそれは優しい微笑みを浮かべた。
「………?」
未だ要領を得ず、独り訝しげに眉根を寄せる一心の耳元に口を寄せ、彼女は囁く。
「ほら、あそこ…あの、綿飴屋さんの前………」
「え? あぁ! あの子の事か……!!」
ぽんっと、左の掌に右手で作った拳を打ちつけて。
喉の奥でくつくつと笑いながら、一心は呟く。
「なるほど…確かに、金魚姫だな………」
親子三人の、見つめる先。
ちょっと不思議な作りの衣服を身につけた、小さな女の子が立っていた。
上半身は、確かに着物のようなのだが。
帯から下は、どう見てもスカートで。
しかもボリュームもたっぶりの全円形な上に、裾はレースで飾られている。
帯もまた普通のへこ帯ではなく、張りのあるオーガンジーの生地で出来ていて。
小さな背に大きくリボン結びされ、ふわふわゆらゆらと揺れるその様は。
ふわりとしたスカートと共に、確かに金魚の尾を連想させられるものだった。
その『金魚姫』が満面の笑みを浮かべて、傍らに立つ二十歳前後の青年から綿飴の袋を受け取る。
穏やかに微笑んだ青年の手が、くしゃりと胡桃色の頭髪を撫でて。
ふと、一護達の視線に気がついたのか、こちらに顔を向けると、彼は訝しげに眉根を寄せた。
思わず一歩退き、一護は再び母親の手を握る。
しかしながら、真咲はにこり……と、笑って。
そのまま一護の手を引いて、青年と少女の傍へと歩み寄った。
困惑しながらも、一護は母に手を引かれるままに歩み……やがて、少女の前へと辿り着く。
すると今度は逆に、少女の方が青年の背後へと身を隠してしまった。
それでも一護とその家族の事が気にはなるらしく、顔半分だけ出して様子を伺っている。
「可愛らしい、お嬢さんね?」
明るく問いかける真咲に、青年は幾分面食らい気味に瞬きを繰り返しながらも、微笑みを浮かべて応じた。
「……妹、なんです」
「あら、それは失礼しました」
「いえ…十五も離れてますから、確かに娘みたいなものですけどね」
苦笑する青年に、真咲はやわらかく微笑んで。
それからふわりと身を屈め、少女と目線を合わせた。
「こんばんは」
「……………こんばんは」
「あなたは、何歳なのかな?」
立てられた指は、三本。
「来月で、四歳になるんです」
「まぁ……!」
青年の補足に、真咲の顔がぱぁっと輝く。
「じゃあ、うちの息子と同い年だわ」
母親の言葉に、一護は改めて目の前の少女をまじまじと眺めた。
陶器人形のような白い肌に、大きな薄茶の瞳。
胡桃色の髪は見るからに細くて、柔らかそうな猫っ毛で。
『おにんぎょう、みたい……』
そうでなければ、本当に絵本の中から出てきたお姫様のようだ……と。コトコトと常より早く動き始めた心臓に息苦しさを感じながら、一護はこくっと唾を飲み込む。
その一護の視線に気づいたのか、少女は僅かに首を巡らせて彼を見て。
ぎこちなく…ではあったけれど、にこっと彼に向かって笑いかけた。
………瞬間。
どきんと跳ねた鼓動に自分で驚いて、一護は慌ててそっぽを向いた。
その耳に、再び青年と話し始めた母の声が届く。
「この、服は……?」
「……あ、ええと、浴衣ドレスって言うんだそうです。
甚平みたいに上下で分かれているんで、俺なんかでも簡単に着付けてやれるし……。
それにこれだと、足下が靴やサンダルでも違和感がないでしょう?」
「確かにそうね!」
「下駄や草履は、履きなれないとすぐに鼻緒で擦れて痛くなってしまいますからね。
それに、こっちの方がちゃんとした浴衣よりも身動きもし易そうだったんで……。
和服好きのアパートの大家さんには、邪道……と、良い顔されなかったんですけど」
苦笑する青年に、真咲はゆっくりと頭を振って。
「とっても似合っていてよ?
息子が金魚のお姫さまみたい……って。私も本当にそう思うわ。
ね、あなた? あなたはどう?」
にっこり笑って振り返った真咲に対し、一心もまた、深く頷いて。
「うちにも将来娘が生まれるような事があったら、是非着せてみたいものだね」
そう言って、にかっと笑う。
真咲はもう一度、少女の目線の高さまで身を屈めた。
「優しくてあなた想いの、素敵なお兄さんね?」
その問いかけに、こっくりと頷いて満面の笑みを浮かべる少女の頭を、そっと真咲は撫でて。
青年を見上げ、夢見る少女のような微笑みを浮かべて言った。
「うちの息子にいつか兄弟が出来たときには、あなたのようになってくれるといいな」
「本当だな」
同意しながら、立ち上がろうとする真咲に優しく手を貸す、一心。
そんな二人の顔を、交互に見て。
ほっ……と、安心したように息を吐いて。
青年もまた、静かで穏やかな微笑みを、口の端に刻んだのだった………。
「それじゃ、俺たちはそろそろ………」
青年が妹の手を取り、一心と真咲に頭を下げる。
「突然話しかけたりして、ごめんなさいね……?」
「いいえ…妹の服、ほめてくれて嬉しかったです」
「さようなら。またいつか、ご縁があったら………」
「はい………」
視線と会釈を交わしあって。
それぞれの帰る方角へと、足を踏み出す二組の家族。
通りすがりざま、一護は少女を振り返った。
少女もまた一護を振り返り…そして、小さな掌をひらひらと振った。
またね……と、ぷっくりした唇が動くのが見えて。
一護もまた、口の動きだけで「またな」と伝える。
にっこりと、少女は笑って。
くるりと踵を返すと、兄の手にぶら下がるようにして歩きだした。
ぴょんぴょんと跳ねるような足取りで歩くその背中で、ふわふわと揺れる帯。
やっぱり金魚みたいだ……と、心の中で呟いた彼の耳に、彼の名を呼ぶ声が届く。
慌てて両親の元へと走り寄り、彼もまた、先刻と同じように母と手を繋いで歩き出した。
数歩、進んで。
もう一度、背後を振り返る。
小さな後ろ姿は、既に人混みに紛れた後で……。
やはり幼く小さな一護には、もう見つける事は出来なかった。
『………ばいばい、きんぎょのおひめさま』
前に向き直る。
その脳裏に浮かぶ、帯の揺れる後ろ姿。
きゅう……と、切なく鳴る胸の痛さにそっと息を吐き出しながら、一護はもう一度、心の中でつぶやいた。
『ばいばい。でも……また、な………?』
そう……。
また、いつか。
この町の、どこかで。
いつかまた、きっと………。

「ねぇ、おにいちゃん?」
「ん?」
「………ひまわり…みたいだったね」
「ひまわり……? ああ、さっき逢った男の子の事か!」
「うん」
こっくりと、少女は頷いて。
「……また、あえるかな?」
「そうだね…もしも、ご縁があったなら、ね」
「ごえん?」
「そう、ご縁」
「ふぅん……」
愛らしく、小首を傾げて。
「あると、いいなぁ……」
ぽつりと呟いた小さな頭を、兄の大きな手が優しく撫でた。
くすぐったそうに、少女は首を竦める。
その二人の頭上では、星々が静かに瞬き揺れていた。
そう、まるで……。
「何時か」の「その日」を、約束するかのように………。
終
挿絵:apricotton 框様より