log:petits fours
【カササギの橋】
(初出:2020.07.07)
「カササギになれたらいいのにな…」
絶え間なく雨粒の落ちる空を窓越しに見上げながら、織姫がぽつり…と呟いた。
何故かと問えば、「天の川に橋を掛ける手伝いがしたいから」だと言う。
「七夕の夜に雨が降ったときには、たくさんのカササギが二人のために集まってきて、橋渡しをするんだよ」
もうそろそろ、集合時間かなぁ……と。
相変わらず空へと視線を向けたまま、独り言のように言葉を続ける織姫の横顔を眺める俺は、実は少しばかり不機嫌になりかけていた。
早番だった織姫の仕事上がりに合わせるために、昼休み返上で働いて、定時で職場を飛び出して。
待ち合わせ場所だったショッピングモールの中の喫茶店、織姫の向かいの席に腰掛けてからかれこれ30分は経っていると思うのだが、その間に俺と視線が交わったのは、下手したら5分にも満たない気がする。
……折角、久しぶりの夜のデートだってのに。
ひっそりと不満を募らせていた、俺は。
だからこのとき、大人げないと承知しつつも、意地の悪い言葉を織姫にぶつけずにいられなかった。
本当に、今このときに、カササギになれたとして。
何千羽という群に、今更一羽加わったところで、何がどう変わるのか……と。
言ってしまってから、しまった…と思ったところで、後の祭り。
もしかしたら、彼女の心を深く傷つけてしまったのではないか…そんな後悔と、彼女に失望される恐怖とに、心身が急速に冷えていく。
……しかしながら。
俺の言葉に振り返った織姫は、怒るでもなく、拗ねるでもなく。
無邪気な子供のような笑みを浮かべながら、どこか得意げな口調で俺に告げたのだ。
「少なくとも一羽分、橋が頑丈になるよ!」
相槌すらろくに打てずに、ただ呆けたように薄茶の瞳を見つめ返すばかりの俺。
その視線の先で、今度は軽く眉間に皺を寄せた織姫が、握り拳を作りながら力説し始めた。
何せ一年振りの逢瀬なのだから、織姫星は絶対に頑張って綺麗に着飾っているに違いない。
それなのに、雨水やら増水した川の水で、折角の衣服や化粧が台無しになるのはあんまりだ。
だから、少しでも橋を頑丈にすることで、織姫星が綺麗な姿のまま彦星の胸に飛び込めるなら、思いっきり踏みつけられようとも本望だ……と。
「だって…名前を貰った私は、地上でこんなに幸せなんだもの。由来主のお姫様にだって、もっとずっと幸せでいて欲しいよ……」
はにかむ織姫の右手が、左手薬指にはまった結婚指輪をくるりと回す。
それは至極最近、彼女の癖となった仕草。
少し前に指摘したら、真っ赤になりながらも教えてくれた。
俺との「今」が夢ではないのだと、実感できるからなのだ……と。
「………お前は本当に、優しいな」
濡れていようがいまいが、どうせすぐに脱がされちまうだろうけど……なんて。
酷く下世話な考えが一瞬でも脳裏を過ぎったことを反省しつつ、素直に賞賛の言葉を贈れば、織姫は苦笑を浮かべつつゆっくりと首を横に振った。
「優しい…とは、少し違うかな。あのね……ちょっとだけ、怖くて。私ばっかりが、幸せ…みたいで」
「……そんなことはないだろう」
俯く頭に軽く手をのせ、くしゃりと柔く髪をかき混ぜる。
そうして改めて気付くのは、耳と首とを飾るアクセサリー。
仄かに甘い花の香がするのも、おそらく俺の気のせいなどではないのだろう。
装飾品にしろ香水にしろ、普段は滅多に身につけないことを知っているから尚のこと、今宵、俺のために装ってくれたのだと思うと、素直に嬉しい。
「…さて、そろそろ行くか?」
「うん……!」
照れ隠しもあって、いささかぶっきらぼうに声をかけながら席を立てば、こくり…と幼子のような仕草で頷きつつ、織姫もまた立ち上がった。
会計を済ませて店を出て、映画館へと向かって通路を奥へと進んで行きながら、どちらからともなく手を繋ぐ。
「まぁ…万が一にも望みが叶うことがあったら、俺もカササギになって、隣で一緒に踏まれてやるよ」
軽く肩を竦めつつ、冗談めかしてそう伝えれば。
俺を見上げる瞳を柔らかく細めて、織姫が星のように笑った。
終