log:petits fours


【爪痕~2月22日 猫の日に寄せて】
(初出:2019.2.22 よもやま,pixiv)








猫の日だけに、ゼミ仲間ともその話題になって。
1人が自宅通学の猫飼いだったから、みんなで遊びに行かせてもらうことになった。

対面させてもらった猫は番いで、キャラメル色の人懐こい虎の雌と、緑の目をした愛想の無いハチワレの雄。
その毛色と性格から嫌でも連想させられるのは、ここ最近は月に数えるほどしか会えなくなった井上の笑顔と、かつて俺が灰にしてしまった虚圏のアイツの姿。

それ故、だろうか。

ハチワレ野郎がキャラメルにじゃれついたり、舌で毛づくろいしてやる様子を俺たちに見せつけるたび、何やら心臓の裏側を、ザラザラとした不快なモノに撫でられるような感覚に襲われてしまう。
一度など、俺にすり寄ってきたキャラメルとの間にハチワレがサッと割り込み、キシャアッ!と言う威嚇音と共に、キャラメルを撫でていた手の甲に鋭く爪を立てられた。

幸い、薄い皮膚一枚が傷ついた程度の軽い怪我で済んだけれど。
患部に走るチリチリとした痛みは、井上が虚圏へと連れ去れらてからの一連の闘いを、俺の脳裏に走馬灯のように甦らせた。

途端に、普段はなるべく蓋をして気づかないようにしている感情が、堰を切ったように溢れ出し、どうにもこうにも止まらなくなる。

時計に視線を走らせ、頭の中で素早く井上の勤め先までの所要時間を計算した俺は、「用事を思い出した」と偽りの言い訳もそこそこに友人宅を後にした。
そして、駅へと向かって全力で走り出す。

……未だ、言えない。

それでも。
今はただ、井上の笑顔を見たかった。










急いでいるときに限って利用している路線にトラブルがあり、空座の駅に着いた時には既に、井上のバイト先の閉店時間を数分過ぎてしまっていた。
それでも、僅かな可能性を信じて店の裏手を覗き込めば、丁度従業員用の通用口から井上が姿を現したところだった。

「わわ、黒崎くん! もしかして遊子ちゃんたちに聞いて、迎えにきてくれたの?」
「遊子…? いや、特に何も言われてねぇけど……」
「そうなの? 仕事終わった後にちょこっとお邪魔させてって、昼ごろに遊子ちゃんと夏梨ちゃんに連絡したものだから、てっきりそれで来てくれたのかと……あ、でも…じゃあ何で黒崎くん、こんな所に居るの?」
「あ…いや、特に理由はねぇけど……たまたまこの時間に通りかかったから、もしかしたら逢えるかな?って。
ほら…少し前に、この辺に変質者が出て騒ぎになっただろ? 犯人まだ捕まってねぇらしいし、何ならマンションまで送って行こうかと思って…さ」

よくもまぁ、次から次へと嘘八百出てくるもんだ…と、我ながら呆れつつ言い訳を並べ立てる。
いや勿論、井上が変質者の次のターゲットにされやしないかと、ここ数日、常に心のどこかで心配していたのは、本当のことだけど。

井上は、大きな目をきょとりと見開きながら俺の話を聞いていたけれど、特に疑ったり訝る様子もなく、俺が口をつぐむと同時にふわり…と柔らかく笑み崩れた。

「ありがとう、黒崎君。じゃあ、先ずは黒崎君の家に行こうか。遊子ちゃんと夏梨ちゃんが待ってるし」
「……おう」

頷く俺の隣に井上が並び、俺の自宅へと向かって、二人歩き出す。
他愛のない会話を交わしながら、俺は複雑に揺れる気持ちを、若干持て余していた。

妹たちと井上が、三人だけでLINEでグループを作っているのは知っている。
母親を早くに亡くし、竜貴とその母親くらいしか身近に親しい年上女性が居なかった妹たちにとって、どこか在りし日のお袋を彷彿させる井上は、夏梨曰く「IF世界の姉」的な存在なのだそうだ。
家族の居ない井上もまた、妹たちのことをとても可愛がってくれている。勉強やら何やら色々と面倒を見てくれているようだし、三人でショッピングに出かけ、ついでに映画を観る…なんてこともあるらしい。

俺としては、当然面白くない。
だがしかし…である。

「だってお兄ちゃん、大学入ってからずっと、授業がー、バイトがー、ゼミ仲間との付き合いがー…って言って、益々あたしたちの相手してくれなくなっちゃったじゃない」
「そうだよ。一兄が新しい場所で新しい友達作ってワイワイ楽しくやってるのは良くて、あたし達が織姫ちゃんって年上のお友達と仲良くするのは悪いとでも言うわけ?
そんなの不公平でしょ。織姫ちゃんが一兄の彼女だっていうなら、まだしもさ」

妹たちの言葉は殊の外耳に痛く、実際、それに反論するだけの立ち位置を未だに築くことのできない俺は、いつだって眉間皺を深めながら黙り込むことしかできないのだ。

そんなことをつらつらと考えているうちに、いつしか俺たちは自宅へと辿り着いていた。
俺が鍵を取り出そうとするのを制して井上が呼び鈴を鳴らせば、勢いよくドアが開き、中から満面の笑みを湛えた遊子が顔を出した。
そして俺の顔を見た途端に、目に見えて不機嫌そうな面構えに変わる。

「……なんだ、お兄ちゃんも一緒か。遅くなるかもって言ってたくせに」
「随分な言い草だな。なんで俺が井上と一緒だからって、そんなに不機嫌になってるんだよ」
「だってお兄ちゃん、本貸すとか何とか言って織姫ちゃんをお部屋に連れてっちゃって、しばらく出てこなくなっちゃうじゃない。
前みたいに頻繁に会えなくて、つい話に花が咲いちゃうのはわかるけど…あたし達だって織姫ちゃんとお話ししたいんだから! 独り占めなんてズルいんだからね!!」

眉を逆立てながら一気にそこまで言い切ると、遊子はそれこそ蕩けるような甘えた笑顔を井上に向け、渡すもの渡したらすぐ帰る…と言う井上の手を引いて、かなり強引に家の中へと連れ込んだ。
深いため息を一つ吐き出し、その後に続く俺 。

玄関で靴を脱いだ途端、先に風呂掃除をするよう遊子に厳命された俺が漸くリビングのドアを潜った時には、室内は紅茶の香りで満たされ、俺以外の家族と井上がテーブルを囲んで和やかに談笑しているところだった。
俺を振り返ってにこりと笑った井上の隣は既に、左右どちらも妹達に占拠されており、渋々と親父の隣に腰を下ろす。

「黒崎君は、どれがいい?」

井上が指し示す先、テーブルの真ん中には、猫の顔を模してデコレーションされたカップケーキが六個。
チョコやマジバンなどを用いて作られたそれらは、三毛猫にシャムに黒猫に茶虎…と、同じものは一つもない。

「今日は猫の日だったでしょう? だから今日限定の企画商品として、ケーキ部門のバティシエさん達が腕を振るったの。
黒崎君、どれでも食べたいのを選んで?」
「早く決めてよ、一兄! ヒゲやあたしが先に食べてようって言うのを、織姫ちゃんが一兄来るまでダメって、必死に止めてたんだからさ!」
「か、夏梨ちゃん…っ! わざわざそんなことを 言わなくても……」

本体はどれも、チョコチップ入りのカップケーキだよ…と、困ったような笑顔で説明する井上の声を聞きながら手を伸ばし、俺が取り上げたのは、アンゼリカの瞳を持つハチワレのケーキ。

「あーっ! あたしもそれ、狙ってたのに!!」

ぷうっと膨れる遊子を無視して、いただきますを言うのもそこそこに、大口を開けてケーキに齧りつく。

「おお! 見事な食べっぷりですな!」

俺の内心に渦巻く闇色の靄になんぞカケラも気づかぬ井上が、小さく拍手をしながら、無邪気な子供のように笑った。






終
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