log:petits fours
【幸運な言い間違い】
(初出:2017.1.14 よもやま)
何度も何度も、練習した。
それなのに、肝心な本番で言い間違えた。
「お付き合い前提で、結婚してください」
間違いに気づき、おおいに焦りながら訂正しようと口を開きかけた、その時。
ふわり…と微笑む、目の前の井上。
そして、耳に届いた柔らかなソプラノ。
「こんな私で、良かったら」
思わず、呼吸が止まる。
大きく見開いた目で、井上を見つめること数秒。
「……ホントに、いいのかよ」
自分でも呆れるくらい擦れた声で、問いかければ。
相変わらず微笑みを湛えたまま、こくり…と前に振られる首。
そして顔を上げ、不束ものですが…と口にした彼女の目尻から零れたのは、透明な滴。
陽光を弾きながら頬を伝い落ちたその跡を、震える手を伸ばして拭き取って。
そのままそっと頬を包みこめば、一瞬軽く目を見開いたのち、甘えるように頬を摺り寄せて笑み崩れる井上。
その表情を目にした瞬間、きゅう…と心臓に走った甘い痛み。
愛おしさがあふれて、止まらなくなる。
だから、だろうか。
自分でも驚くほど素直に、その想いは声になった。
「………好きだった。もう、ずっとずっと前から…」
ついに、笑顔を保てなくなるほどに泣き出した彼女の肩を引き寄せて。
脆い硝子細工を扱うように、そっとそっと抱きしめる。
柔らかな髪に頬を押しあて、ほぅ…と深く息を吐きだせば。
俺の服の胸元に縋りつく井上の指先、そこに込められた力が僅かに強まった。
そんな彼女の仕草がいじらしくて、俺もまた腕に込める力を強くする。
……彼女が、泣き止んだら。
そのまま彼女の手を引いて、俺の家へと連れて帰ろう。
指輪は愚か、花一輪贈ることが出来なかった今日の俺が、今すぐにでも彼女に渡せる大切なもの。
そこには確かに、それがあるのだから。
「お帰り、姫姉!」
「お帰りなさい、お義姉ちゃん!」
「お帰り、織姫ちゃん! ほら早く、母さんに『ただいま』の挨拶をしておいで!!」
愛しい愛しい、俺のヨメさん。
この先の、たくさんの「お帰り」と「ただいま」を、君に……。
【終】