log:petits fours
【昼咲月見草 Side:15】
(初出:2014.6.4)
世間一般の男同様、花にはさほど興味はない。
にも関わらず、その花の前で思わず足を止めてしまったのは。
その花弁の淡い色合いと、ふうわりとした形状と。
まるで空を仰いで背伸びしているような姿が、どこか彼女の面影と重なって見えたから。
そう……彼女もよくこんな風に、静かに空を見上げていた。
あんまり長いこと、俺がその場から動かずにいたせいだろうか。
普段は会釈を交わす程度にしか交流のない同じアパートに住むおばさんが、声をかけてくれて。
その薄桃色の花の名が、昼咲月見草というのだと教えてくれた。
「所謂、月見草と呼ばれる待宵草は一夜限りで萎んでしまうのだけど、この花は昼の間から咲いて、二,三日間咲き続けるのよ」
「ああ、だから……」
得心したように頷いた俺に、おばさんは小さく笑って。
そして、呟く。
「私、この花がとても好きなの。まるで…恋をしてる女の子のように見えるから」
「………へ?」
「だって…夜だけじゃなくて昼の間もこうやって、一生懸命に空に月の姿を探して、背伸びをして……。
一途に恋しい人を想ってる…そんないじらしいイメージが湧いてきて仕方がないのよ、この花を見てるとね……」
そうして、額に手をかざしながら空を振り仰いだおばさんは。
やがてその視線の先に何かを見留め、まるで少女のような無邪気な微笑みを浮かべた。
「あぁほら、あそこ……月が見えるわ…」
指し示す先に、は。
白く朧に霞む三日月の姿。
優美に弧を描く…その姿、の。
尖った先端が、まるで斬月の切っ先のようだ……と。
そう思った瞬間、だった。
「……っ、?!」
脳裏に浮かんだ過去の情景に、俺は思わず息を飲む。
そう……あれはもう、二年近くも前の出来事。
今にも泣きだしそうな表情で、彼女が空を見上げていて。
声をかけることも出来ずに、ただ黙って彼女の視線を辿った…その先にあったの、は。
蒼天に浮かんだ、白い三日月。
「まさか……」
「え?」
「あ、いや…な、何でもないですっ!」
「……?」
だって……ずっと、兄貴を偲んでの事だと思っていたんだ。
彼女が空を見上げる……その理由、は。
だけど……。
“斬月”
……それは、俺の持つ刀の名前。
大切な大切な…俺の分身とも言える、斬魄刀の…。
………まさか、とは思う。
考え過ぎだ、とも
自惚れが過ぎる……とも、思うけれど。
俺が先刻、三日月の姿に斬月の切っ先を重ねたように。
彼女もまた、あの日見ていた月に斬月を。
そして…それを振るう俺の姿を、重ねていたのだとしたら……?
もしそうならば、俺は……。
「ああ、いけない! そろそろ夕飯作り始めないと、間に合わなくなっちゃうわ!!」
おばさんの声に、意識が現実に引き戻される。
「今日は出張先から直帰するから、いつもよりも早く家に帰れるって言ってたのに」
「……旦那さんですか?」
「そう。我が家の……私の、お月様」
くすり……と、小さく笑って。
よいしょ、と肩から下げたエコバッグを揺すり上げながら、おどけたような口調でおばさんは言った。
「あの人もねぇ、昔はあなたみたいにスリムですら~っとして、それはもう佳い男だったのよ?
今じゃあすっかり太って、頭もピカピカに輝いちゃって、本当に満月そっくりになっちゃったけど」
「………」
どう返答したものか、と。
困って黙り込んだ俺に、じゃあね…と軽く手を振って。
踵を返して歩き出した小柄な後ろ姿を、苦笑混じりに見送る。
おばさんが角を曲がるのを見届けたところで、薄桃色の花に視線を戻して。
眺めること、数秒。
俺はポケットから携帯を探り出すと、一通のメールを電波に乗せた。
『これから、そっちに帰る。
今夜でも明日でも、明後日でもいい。この週末の間に、少しの時間でいいから逢えるか?』
彼女が俺をどう思っているかとか、そんな事はどうでも良かった。
いや、厳密に言えば全然良くはないのだけど、それより何より、ただひと目彼女に逢いたいと思った。
そのくらい、今の俺は限界ぶっちぎってギリギリな感じだった。
進学の為に空座を離れて、早二ヶ月。
彼女を視界に捉える事の出来ない日々が、こんなにも辛く感じるなんて……。
正直、三月までは想像も出来なかったこと。
今更過ぎる気もするけれど……此処に来て漸く、俺は自覚出来たんだ。
俺にとっての彼女は、単なる『仲間』や『友達』等では無かったんだ……って、ことを。
「…………好きだよ、井上…」
間違いなくメールが届いた事を確認してから、アパートへ向かって走り出す。
部屋に飛び込み、クローゼットから鞄を引っ張り出すと、急ぎ二泊分の衣服を詰め込んだ。
もともと、この週末は実家に帰る予定になっていた。
それが一日早まったところで、俺の家族は…少なくとも妹二人は、驚いたとしても迷惑がったりはしないだろう。
寧ろ……俺が彼女を連れて帰ったりしたならば、ちょっとした宴会になるのは必至だ。
勿論、振られる可能性だって大いにある。
彼女が見上げていたのはやっぱり“昊”で、“月”ではなかったのだとしたら…ただの俺の独り相撲なわけだしな。
まぁ、そのときは啓吾の奴でも呼び出して、チャドのバイト上がりを見計らってアパートに転がり込ませてもらって。
皆で自棄酒のひとつもかっくらえばいい……つっても俺ら未成年だから、ノンアルのビールやカクテルで、雰囲気に酔うしかねぇんだけどもさ。
だけど……。
不意に、床に置いていた携帯が鳴る。
慌てて手にとり画面をのぞきこめば、そこには彼女からの返信メールが届いていた。
『こちらに着く時間が分かったら、また連絡をください。高台の公園で待ってます』
……なんとなく。
本当に、なんとなく…なんだけど。
啓吾を呼び出さなくても、済むんじゃねぇかな……って。
そんな予感が、するんだ。
三日月が見守る、空の下で。
足下には花が咲く、その場所で。
きっと……そう、きっと俺達は……………。
「………よし、行くか!」
ドアに鍵を掛け、両手で頬を軽く叩いて気合いを入れて。
茜色がかってきた空の下を、駅へと向かって走り出す。
途中、先刻足を止めた場所を通り過ぎれば。
桃色の花がゆらゆらと、夕風の中で揺れていた。
まるで俺を、励ますように………。
終