旧サイトでの拍手御礼短文



【檸檬の月】





「あ、お月様!」

隣を歩く井上が発した、弾むような明るい声。
思わず振り返った横顔は、まるで宝物を見つけた子供のよう。
きらきら輝く瞳は、それこそ瞬く星のようで。

その澄んだ瞳が捕らえたのは、鏡のように美しい満月か。
はたまた、冴え冴えとした剣のように輝く三日月か。

そのどちらかであろうと想定して、彼女の視線を辿った俺の瞳に映ったもの、は。

「…………」

満月でもなければ、三日月でもなく。
かといって、半月ですらなくて………。


実に中途半端に、丸みを帯びた月の姿。


思わず、肩すかしを喰らったような気分になりながら、再び井上を振り返ると。
眉根を寄せてしまった俺とは逆に、それはそれはうっとりと目を細め、彼女は月を眺め続けていて。

戸惑う俺の耳に届いたのは、夢見るような呟き声。

「綺麗な、檸檬の月だねぇ………」
「……檸檬の、月…?」

鸚鵡返しに尋ねた俺を、振り仰いで。

「そう、檸檬の月……」
ふわりと微笑み、彼女が頷く。

「そういうタイトルの歌があるんだけどね?……言われてみれば確かに、こんなにもぴったりな呼び名は無いと思わない?」

井上が指さした先にある月を、もう一度仰ぎ見る。
じっくりと…10秒ほども眺めたろうか。

「………確かに、そうだな」

軽く顎を引いて俺が肯定すると、彼女が一段と嬉しそうに、綺麗な笑顔を見せてくれた。


それからしばらく、二人その場で月を見上げて。


自然と俺の口の端に笑みが上ったのは、なんだか心がくすぐったくなるような感覚に襲われたから。

何故ならば。

最初目にしたとき、なんて半端で不格好な……と。
あまり印象の良くなかった、その月の姿を。

彼女が「檸檬の月」と呼んだ……たったそれだけのこと、で。

『これはこれで、愛嬌あっていいんじゃね?』なんて。
そんなふうに、感じ始めていたから………。





……こんなふうに、彼女は。
俺の目に映っていた、何の変哲もない無機質な世界、を。
日々…色鮮やかで優しくて……愛すべきものへと変えていく。

とるに足らないと思っていた、小さな物事や情景。
不快と感じていたことや、悲しみですら、も。
何気なく発したであろう、彼女の言葉一つ、が。
いつだって…魔法のように変化させてしまうんだ。

ただひたすらに美しく、愛らしく、愉快と感じる心であったり……。
時には尊く、神聖なるものへの畏怖の念へ……と。







「………ありがと、な」

無意識に口を吐いて出た小さな呟きに、井上がきょとんとした顔で俺の顔を仰ぎ見る。

「何か、言った? 黒崎君」
「……いや」

俺はゆっくりと頭を振って。
何でもねぇよ…と言いながら、彼女の髪をくしゃりとひと撫でする。

僅かに首を傾げ、訝しげに軽く眉根を寄せながら、乱れた髪を手櫛で整えていた彼女は。
それでも俺が笑って手を差し出すと、いつものようにふんわりとその表情を笑み崩して、手を重ねてくれた。

その小さな手を、そっと握って。
再びゆっくりと、夜道を歩き出す。


「明日も、晴れそうだね」
「そうだな」

相変わらず月を、夜空を見上げたまま歩いている井上に、「転ぶぞ」と声をかけるやいなや。
「ひゃあっ?!」
何かに蹴躓いてバランスを崩す彼女。

慌ててその細い身体を抱き止めながら、心の中で密かに願う。


この先ずっと、いつまでも。
君の目に映る美しい世界、を。
君の隣に並んで、共に見る事が出来ますように………。







その為に、も。










俺はきっと…君を、護るよ…………?













終
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