log:バレンタインデー/ホワイトデー


【17歳 バレンタイン】










「…ねぇ、織姫……今年は、どうするの?」

二月初旬、空座駅前の商店街。
バレンタイン商戦で賑わうその場所で、隣を歩くたつきちゃんが躊躇いがちに尋ねてきた。

「どうする…、って?」
「そんなの、チョコに決まってるでしょ! ねぇ…あげないの……?」

誰に、と問い返そうとして…やめた。
だって…とぼけた振りをしたところで、たつきちゃんには気づかれてしまうに違いないもの。

故に。
私は彼女に、正直に答えた。
とても、迷っているのだ……と。

「織姫……」

気遣わしげに、私の名を呼んで。
それきり黙り込んでしまった、たつきちゃん。

ああ、また……と。
親友に心配をかけてばかりいる自分が情けなくて、苦しくて。
何とかして会話再開の糸口を探そうと、何気なさを装って巡らせた視線の先。
ショーウインドーを飾る深いローズピンクの特大ハートと金色の飾り文字に、私は思わず息を飲んだ。

それは、一年前。
私が彼に差し出した箱に貼られていたシールに、とても良く似ていて……。

「………」

たつきちゃんがスポーツ洋品店のディスプレイに気をとられている隙に、密かにそっと、息を吐き出す。



脳裏に甦るの、は。
暗い翳の揺れる、琥珀色の彼の瞳……。










**********










松の内が明けた頃から、世界は次第にバレンタイン色に染まっていった。

飛び交うハート。
金色の飾り文字。
赤やピンクの、リボンのカーテン。

日々、華やかさを増していく世界……その中、で。
まるで反比例するかのように、井上の表情には翳りがさすようになっていった。
……と、言っても。
それは本当に僅かな変化でしかなく、気づいていたのは俺と竜貴くらいのものだったと思う。


俺の、所為かな……。


そう俺が考えだした矢先に、「あんたが悪いんだからね!」と、竜貴に鳩尾を殴られた。
俺の何が、どう、悪かったのか。
それについて竜貴は一切語らず、だから、その場に居合わせた啓吾なんかは心底吃驚した顔をしていたけれど。
竜貴は、井上の親友。
……多分きっと、そういうことなんだと思う。










そう…あれは、去年のバレンタインデーのこと。
井上が差し出したチョコレートを、俺は素直に受け取ることが出来なかった。

……いや、最終的には受け取ったけれど。
ありがとう…と口に出すまでに生じてしまった気まずい「間」に、きっと彼女は傷ついた。










**********










「告白しないの?」

黒崎君が“力”を失ってから、一年と少し。
二年生への進級時や、彼の誕生日。
夏の海への日帰り小旅行や、花火大会。
修学旅行。
クリスマス。
……そんな、何らかのイベントの前後には必ずといって良いほど、友人たちにそう訊かれてきた。
だけど私はその度に、苦笑じみた微笑を浮かべながら首を横に振ることしかできなかった。

だって…どうしたって、竦んでしまうのだ。
私の気持ちも、この足も。
あの日の彼の瞳を、想い出さずにはいられなくて……。





それは、去年のパレンタインデーのこと。
手作りじゃ流石に重いかな…と、市販のチョコレートを用意した。
それは至極ありきたりで、一年中いつでもどこでも売っているものだった。
ハート型ですら、なくて。
だけど…彼が好んで食している銘柄、の。

告白、なんてつもりは端から無かった。
日頃の感謝の気持ちを、少しでも伝えられたら……と。
本当に、それだけだった。

……なのに。

私が小さな包みを差し出した瞬間、彼の表情が強張って。
綺麗な綺麗な琥珀色の瞳の奥で、暗い翳が揺れた。

その、瞬間。
解って、しまった。

私は、彼が必死になって閉じようとしていたパンドラの箱を、開けてしまったのだ……と。





バレンタインデーに不安と期待とを抱えて胸を苦しくするのは、女の子だけじゃない。
男の子だって、きっと同じ。
意中の相手が居るなら、なおのこと……。










ねぇ、黒崎君。
本当は誰から、チョコを貰いたかった………?










**********










本当は、喉から手が出るほどに欲しかった。
チョコレートなんかじゃ、なくて。
彼女の存在、そのものが。
俺は、欲しくて欲しくて溜まらなかった。


やっと見つけた、たった一つ。
大切な大切な、護るべきもの。

失いたくなくて、誰にも渡したくなくて。
隣に、居たくて。

なのに。

そのための資格を、あの日の俺は何一つ持ってはいなかった。
勿論、それは今の俺にしても同じこと。





力を取り戻す方法は、今も未だ見つかっていない。










**********










「……で、結局何もあげないつもりなの?」
「ええ」

バイト先の、店内。
店長の奥さんからの質問に、小さく顎を引いた。

「お返しに…ってマカロンまで貰っちゃって、なんだか申し訳なかったし……それなら、今年はいっそ何もしない方がいいかな…って」
「まぁ…今年は土日とぶつかったから、それを口実にも出来るしね。おかげでうちの売り上げも、昨年比減で参ったけど」
「………」

おどけたように肩をすくめる奥さんに、ぎこちなく笑顔を返した…その瞬間だった。

「あ……」

ショーウィンドーの外で佇む人影に、大きく目を見開いた。
私が気づいたことを、察したのだろう。
軽く、片手が挙がる。

「行ってきて、いいわよ!」
「あ、はい! すみません…っ」

奥さんの言葉に甘えて、店を飛び出した。

「黒崎君……」
「…よぅ。今日、何時上がり?」
「え、と…四時」
「あと三十分か…その後、なんか用事ある?」
「ううん…今日は、何も」
「じゃあさ、ちょっとつきあってくんね?」
「……あそこ?」
「そう」

わかった…と応えれば、ほっとしたように息を吐く黒崎君。
私は無意識に、服の胸の辺りの生地を掴んだ。





……どうして、今日なの?





駅ビルの本屋で、時間を潰している…と。
そう言い残して去っていく後ろ姿が、人混みに紛れていく。

ふう…と。
ひとつ溜息を吐くと、私は店内へと引き返した。










**********










自宅の最寄り駅から、数駅離れた場所にある市営公園。
敷地の一角にささやかな子供遊園のあるその場所を知ったのは、未だ俺が死神の力を持っていた頃だった。

虚を倒し、魂葬を済ませての帰り道。
観覧車を見つけたルキアにせがまれて、乗ったことがある。
狭いゴンドラの中で、小さな子供のように五月蝿く騒ぎまくるルキアにうんざりしながら、ふ…と思ったのは。
井上なら、どんな反応をするんだろう…ってこと。

おそらく、彼女もまた大はしゃぎするに違いない…そう考えて、苦笑して。
次の瞬間、酷く狼狽えたことを覚えている。

だって…苦笑をこぼしてしまったの、は。
無邪気にはしゃぐ井上は、きっと可愛いんだろうな…って。
そう、思ったからで……。



多分…あれ、が。
初めて自分の気持ちを自覚した、瞬間。










**********










黒崎君から初めてその公園に誘われたのは、二年生になって少し経った頃のことだった。
観覧車に乗りたくて…という理由に、私は少なからず戸惑った。

「浅野君たちには、声をかけないの?」
「野郎同士で乗るようなもんじゃねぇだろ、あれは。ガキならともかく」
「でも……あ、たつきちゃんは? たつきちゃんは女の子だし、黒崎君の幼馴染みで……」
「井上」
「………はい?」
「嫌なら、素直にそう言えばいい」
「………そういうわけじゃ、ないけど…」
「なら、どうする? 一緒に、行くか…?」

怒るでもなく、懇願するでもなく。
ただ淡々と、静かな口調で問いかけてくる黒崎君。

数瞬の間を、開けて。
私は黙って頷くと、彼の方へと一歩足を踏み出した。

僅かに見開かれたのち、柔らかく細まる琥珀の瞳。
その微笑みに、胸の奥がきゅう…と痛む。

こんな風に微笑ってくれると解っていて、どうして私に断ることなどできただろう……?





……この日を、きっかけして。
それ以後も時折り、黒崎君と二人で観覧車に乗りに行くようになった。
だいたい、一ヶ月半から二ヶ月に一度くらいの割合で。

それは、黒崎君が鰻屋のバイトを始めるまで続いた。











**********










ふ…と。
観覧車に乗りたくなった。

理由なんて、自分でもわからない。
ただ…あの日は雨上がりのせいか、やけに空が綺麗に見えて。
もう少しだけでいい、あの青に近付きたい……そう思ったんだ…。



井上を誘うことに躊躇いが無かったと言えば、嘘になる。
だけど、ほかの誰かを誘うという選択肢もまた、俺にはなかった。
「またいつか」があるなら、彼女と一緒がいい……と。
あの日夢見た未来を、俺はどうしても捨てることが出来なかったから。

……卑怯者だ、俺は。

彼女の隣に立つ資格が無いと解っているのに、彼女を遠ざけることができなくて。
彼女が静かに寄り添ってくれることに、甘えて、縋って。
なのに、彼女の気持ちには気づかぬ振りをする。
いつの日にか力を取り戻せたなら、そのときこそは…と。
そんな言い訳で自分を甘やかしながら、俺はどうにか生きていた。



だけど、それではあまりにも精神的に不健康だ……と。
運動部の助っ人バイトや鰻屋のバイトを始めたのが、去年の秋口。
井上を誘う時間など生じぬほどに、ぎゅうぎゅうに予定を詰め込んで。
身体を動かすことでぐだぐだ悩む暇を無くして、夜は泥のように眠る…そんな日々を繰り返して、半年。
学年末のテストの前に少し大きな仕事を手伝ってくれ…と、育美さんに連れて行かれたバイト先が公園のすぐ側で。
ワゴン車の助手席の窓からゆっくりと回るゴンドラを見上げた瞬間、強烈に乗りたいという気持ちが沸き上がった。

暫くの間封印していた反動か、一度堰を切ってしまった思いはどうにも押さえが利かなくて……。
育美さんからバイト代を渡される頃には、身体が重く感じるほど怠かったけれど、俺はそのまま街中へと足を踏み出した。
井上のバイト先へと、向かうために……。









.
5/9ページ
スキ