log:1月31日 愛妻の日



【あたしの帰る場所】
(初出:2014.2.2)










「……顔に、ご飯粒でもついてる?」

私が母さんの顔を、じーっと凝視していたからだろう。
不安そうに眉尻を下げて、小首を傾げる母さん。
その仕草といい、表情といい…とてもじゃないけど御年40とは思えない。
決して若作りしている……と言う訳では、なく。
年相応の落ち着きや大人の女性としての美しさは備えつつ、尚且つ、どこか少女のようなあどけない雰囲気をも失わない……それが、あたしの母さんなのだ。

「咲良、ちゃん?」
「……別に、何もついてないよ」

ゆっくりと、かぶりを振って。
姿勢正しく椅子に座り直し、「いただきます」と手を合わせると、こんがりと美味しそうに焼けたトーストへと手を伸ばす。

ぱくり……と一口、頬張って。
それから私は、トーストを持つ手とは反対側の人差し指を、母さんの首元へと突きつけた。

「ふぉれ、ほーひゃんはら……?」
「……口にモノを入れたまま、しゃべらないの!」

軽く私を、睨み付けたあと。
ふわり…と柔らかく微笑みながら、嬉しそうに肯く母さん。
その首には昨日の朝からずっと、クリーム色の数珠玉のようなものを連ねたネックレスが飾られていた。

「これ、象牙細工なのですって。
ほら…川の傍に個人宅を改造した、いかにも『趣味で気楽にやってます』って感じの、小さな英国アンティークのショップが出来たでしょう?
そこのショーウィンドゥで、見つけたらしいわ。
それで…ちょうど一昨日が、『愛妻の日』だったものだから……」

そんなに気を遣わなくても、いいのにね………と。
窓から差し込む朝日の中、どこか困ったように微笑む母さんはやっぱりとても綺麗で。
父さんが溺愛せずにいられないのも、肯けるというものだ。

………だからといって、廊下ですれ違う度にハグだのキスだの…新婚さんも真っ青な振る舞いの数々に及ぶの、は。
思春期まっただ中の子供の側からしてみれば、もうちっと遠慮してはいただけないものだろうか……と、切実に願うところではあるのだが。

「まぁ…あの店だからこそ、父さんも買えたんでしょ。あそこは別に、女の人向け…ってわけじゃないし」

登下校の際に前を通り過ぎるその店は、生成りとこげ茶を基調としたとても落ち着いた雰囲気の佇まいで。
ショーウィンドウに飾られているのもアクセサリーばかりではなく、実用的な銀の食器もあれば、ランタンやライターやポケットナイフ、皮細工の小物なんかもあって。
「大人の男の心に眠る少年の部分」を刺激されるのか、父さんが興味深そうに覗き込んでいる姿を、以前に見かけたことがある。
確かにあの店ならば、父さんでも全く臆すことなく扉を潜れたに違いない。

「いいんじゃないの? 素直に喜んで貰っておけば。似合ってるし、それ」
「そう?」

指先でそっと触れながら、母さんが微笑む。

「バレンタインも近いし、さ。その時にチョコ以外に何か奮発すればいいんじゃないの?」
「………うん、そうね。そうしようかな」

何がいいかなぁ………と。
食卓に頬杖をついて、うっとり……と。
夢を見るような表情を浮かべる母さんの顔を横目に見ながら、蜂蜜入りのホットミルクを飲み干す。


………本当、に。
始終眉間に皺を寄せて、仏頂面引っさげていて。
どちらかと言えば無口で口下手で、女心にもとんと鈍い父さんの、一体全体何がどこがそんなに良くて、こんなにも惚れてしまったのか……と。
それについては、我が母ながら非常に謎だし疑問に思うところではあるのだけれど。
いずれ必ず彼らの元を巣立っていかなければならない私と兄貴からしてみれば、この先もずっと二人が仲良くし続けてくれるのなら…それに越したことはない。



…………『仲良きことは、美しきかな』って、ね。



心の中で、独りごちて。
そしておもむろに、席を立つ

「ご馳走さま……じゃ、あたし…これから部活に行ってくるから」
「はい、行ってらっしゃい! 気をつけてね」

優しく見送ってくれる笑顔に背を向け、リビングを出る。

「お、部活か?」

扉を閉めた所で、背後から親父の声。
振り返れば、パジャマにカーディガンを羽織っただけの親父の姿。
洗顔だけは済ませたのか、無精髭は生えていない。

服装はともかく…中年太りとかメタボ等という単語とは無縁の、細マッチョな体つきといい、眼光の鋭さといい……母さん同様に40歳とは思えない若々しさだ。
娘だからこそ粗も欠点も見えるし知っているが、確かにこれが赤の他人だったら、学校の友人たち同様に「かっこいい」と素直に思ったりもするのだろう。

……なんてことは、口が裂けても本人に言ってやるつもりはないが。


「はよ、親父。今日は母さんと久々に、街デートなんだって?」

からかうような口調でそう問いかければ、途端に親父は憮然とした表情になって。
うるせぇよ……と、低く押し殺した声が唇の間から押し出された。

「おー、怖っ! 触らぬ神に祟りなしとは、この事だね!!」

大仰に、肩を竦めて。
べーっと舌を出して見せてから、くるりと踵を返す。

「大人をからかうんじゃない、咲良!」

そんな苦言を聞き流しながら、玄関へと駆けて。
靴をつっかけて、ドアの外へと飛び出す。


「行ってきまーすっ!」







………今頃リビングでは、親父が母さんを引き寄せて、優しく口づけている頃だろうか。
そんな事を幾分げんなりした気分で考えながら、白い息を切らしてアスファルトを蹴る。

それでも……。
そんなラブラブな二人が待つ家があるからこそ、私も兄貴も、背後を振り返らずに突っ走って行けるのだ。

それは、きっと。
人の子として、何よりも幸せな事なのだろう。

……そんな事を思った、如月2日目の朝。


目の前に、は。
冬晴れの空を背景に、雪化粧した富士山が綺麗にそびえ立っていた。











終
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