旧サイトでの拍手御礼短文
【君影草】
遊子に、夕飯の材料調達を頼まれて。
出向いたスーパーからの、帰り道。夕暮れの街角、花屋の前。
井上を、見かけた。
ただ……すぐに声を掛けられなかったの、は。
彼女が酷く思い詰めたような表情で、ショーウィンドーの中を見つめていたから。
井上は、花が好きだ。
本人から直接そう聞いた事は無いけれど、多分好きなんだろうなと思う。
何故かと言えば、学校の花壇や通学途中にある家の庭先なんかで、良く花を眺めているのを見かけるからだ。
時には。
まるで相手が友達であるかのように、話しかけていたりもする。
綺麗だね…とか、可愛いく咲いたね…とか。
昨日のあの凄い嵐に、良く耐えたね! 頑張ったんだねぇ!!……とか。
そんな感じに。
ただ………。
そんな時は、いつだって。
彼女はもっと、優しく穏やかな表情をしていた筈で………。
だから、今。
ひどく切なげで、哀しげで。
まるで…一瞬後には泣き出してしまうんじゃないかとか……。
そんな様子の彼女に、果たして気軽に声を掛けて良いものかどうか……計りかねて。
さりとて、知らぬ振り、見なかった振りをして、通り過ぎてしまう事も出来ずに。
彼女から少し離れた、歩道の端っこで。
ただ途方に暮れつつ、俺はその場を動けずにいた。
やがて、俺の視線に気がついたのか。
或いは、霊圧でも感じ取ったのか。
「く、くろさき…くんっ?!」
こちらを振り返り、その薄茶の瞳を大きく見張って。
どこか狼狽えた様子で、彼女は俺の名を口にした。
よぅ、井上………と。
できるだけさりげなさを装いつつ、笑顔で声を掛ける。
ゆっくりと近づくと、ぎこちなくだけれども、彼女の口の端に笑みが浮かんで。
その事にほっとしつつ隣に並び、彼女に倣ってディスプレイを覗き込んだ。
「………百合?」
「うん。綺麗でしょう? つい見とれちゃって」
あれが、見とれているという表情だったろうか……と。
俺が内心で首を捻った時、彼女がぽつりと付け加えた。
………朽木さんに、似てるなぁ…って思ったの。
「ルキア、に?」
「うん……綺麗で、凛としてて…華と品があって………」
男だからか、俺はルキアをそんな風に何かになぞらえてみた事なんて、これまで無くて。
だから、今一つ、井上の言うことにピンとは来なかったけれど。
『袖の白雪』を構えた時のあいつの佇まいと、目の前のすらりとした百合の姿には、確かに通じるものがある気がして。
言われてみれば、そうかもな………そう呟いたら。
「で、しょ?」と、井上が微笑みながら俺の顔を振り仰いだ。
でも………。
その笑顔の後ろ側に、は。
やっぱりどこか…憂いが、透けて見えるような気がして。
どうかしたのか、何かあったのか………と。
そう訊ねようとした時、百合に視線を戻した彼女がぽつりと呟いた。
「…………何で私は、私なのかな」
「へ?」
思わず、目をしばたせる。
しかし彼女は、俺の存在など忘れたように…虚ろな目で………。
「朽木さんみたいに、なりたい……なりたかった…の、に」
「…………いの…う、え?」
「あんな風に……私だって、もっと………」
「井上っ?!」
俺の声に、はっと我に返ったような顔をして。
「あは、は……! ご、ごめんねっ、急に、変な事言って!!」
あからさまに焦り、狼狽えつつも。
井上は俺を振り返り、拝むように手を合わながら、苦笑気味に微笑んでみせた。
「ホントに、ごめんなさい!」
「い、や……その、俺は別に………」
小首を傾げ、上目遣いに俺の顔を覗きこんでくる、その仕草の愛らしさ、に。
どくり………跳ねる、鼓動。
『………反則だろ、それ』
正視できずに、さりげなく視線を逸らしたところで、井上が至極小さな叫び声を上げた。
「いっけない! 早くお店に、戻らなくちゃ!!」
そう言えば。
よくよく見て見りゃ井上が今着ているのは、バイト先のパン屋の制服だ。
「私、配達の帰りだったの」
「お前んとこは、配達もすんのか?」
「普通はしないよ?
ただ、この先の喫茶店がうちの食パンを使って下さってて……。
いつもは開店前にお寄りくださるんだけど、明日はうちが定休日だから……。
そういう時には、前日の夕方に届けに行くことになってるの」
「へぇ………」
「じゃ…私、行くね? 帰り道、車とか気を付けて……」
「おう。そう言う井上こそ、慌てて走って、転んだりするなよ?」
「はぁい!」
くるりと返される、踵。
翻る、胡桃色の髪。
一度振り返り、ばいばい、また明日……と大きく手を振って。
再び駆けだしたその後ろ姿、は。
雑踏に紛れ、5秒もしないうちに俺の視界から失われてしまった………。
ただいま………と。
足を踏み入れたリビングには、灯りも人影も無く。
「………遊子?」
少し大きめの声で妹の名を呼べば、窓の外から返事があった。
「ごめんね……ちょっと、庭いじりしてて。買い物、ありがとう」
そう言い乍ら、掃き出し窓から上がってきた遊子。
その手には、鈴蘭の花が握られていた。
「もう、そんな時期か」
「うん。今年も綺麗に咲いたから……お母さんに」
遊子は小振りの花瓶に白い可憐な花を活けると、お袋の遺影の側にあるサイドボードに飾った。
「これで良し……と! そう言えば…ねぇ、お兄ちゃん」
「んー?」
「鈴蘭て、蘭じゃなくて、ユリ科の植物なんだってさ」
「へぇ?」
「実際、英名は『谷間の百合』って言うんだって。花の形なんかは、全然違うのにねぇ」
「そうだな……たまたま先刻、花屋のディスプレイで百合を見たばっかりだけど………」
「あ、あの駅前通りの角の、でしょ? 私も見たよ! あれ、新種なんだって。綺麗だったよねぇ…」
「そこで偶然井上と逢って、さ。その百合が、ルキアみてぇだって」
「流石、織姫ちゃん! ナイス例え。
でも、それ言うなら……織姫ちゃんはこっちの、鈴蘭のイメージかなぁ。
可愛らしくて、ちょっと控えめな感じで……でも、結構芯は強いって言うか………。
君影草って別名があるらしいけど……まさに、そんな感じだよね」
「……………」
そう……井上は、芯の強い奴だ。
だから。
いつだって。
どんなときだって。
彼女は、笑顔で………。
その笑顔が、作れなくなるほどに。
彼女は何を、気に病んでいるんだ………?
「悪ぃ、遊子……俺、ちょっと出てくる。夕飯までには戻るから」
「ええっ、これからぁ?! 仕方ないなぁ……ちゃんとご飯に間に合うように帰ってきてよ?」
「ああ………それと、さ。鈴蘭、少し切っていっていいか?」
「何で?」
「いや……その、元気出るかなって」
「誰の」
「………………井上、の」
「……………………」
妙な間が、空いた。
「いや…その、駄目なら別に」
「……………今年、花壇からはみ出ちゃった株が幾つかあってね?」
「う、ん?」
「それ、鉢に植え替えて持って行けば?」
「………いいのか?」
「うん。どこかに移植するか、誰か欲しい人に分けるかしようと思ってたから」
「サンキュ、遊子!」
「物置の中に、使ってない鉢があったと思うよ」
「了解!」
………あ~あ、夏梨ちゃんに言われたとおり、そろそろ兄離れしなきゃかしら。
そんな遊子の呟きが、聞こえたような気がしたけれど。
この時かなり慌ててリビングを飛び出した俺は、いまひとつ良く憶えていない。
鈴蘭を数株、鉢に植え替えて。
時間を見計らいつつ、夕暮れの住宅街を走る。
マンションへとたどり着けば、俺の読み通り、バイト帰りの井上を階段下で捕まえる事が出来た。
「ど、どうしたの、黒崎君?!」
「……こ、れ…………」
膝に手をつき、肩で息をしながら、鉢の入ったビニール手提げを差し出す。
「遊子…が、株……分け、し…て………井上…に……って」
………嘘は、言ってない。嘘、は。
経緯の前半を、端折っただけだ。
「わ……鈴蘭! 可愛い………」
袋の中を覗き込んだ井上が、歓声をあげた。
「貰って、いいの?」
「ああ……お袋が好きで庭に植えたのを、遊子が引き継いで育ててんだけど………ちょっと、株が増えすぎたもんだから……さ」
「そう……」
ありがとう………と、ふうわり微笑む井上。
その笑顔を、薄茶の綺麗な瞳を、正面から黙って見つめる。
「………何?」
訝しんで小首を傾げる井上に、俺は躊躇いつつも口を開いた。
「あの……さ。鈴蘭は百合の仲間なんだって。実際、鈴蘭の事を『谷間の百合』って呼ぶ国もあるんだ」
「そう…なんだ………」
「それで、さ……遊子が、鈴蘭は井上のイメージだって。それ聞いて、俺もそうだなって思ったよ……?」
「……っ?!」
息を飲み、じわじわと顔を赤く染めていく井上。
まぁ、無理もないわな。
何、気障な台詞吐いてんだ俺……って、自分でも思うよ。
でも……でも、さ?
お前が辛そうな顔してると、俺も辛いんだ。
「なぁ、井上……一体、何があった? 何をそんなに、悩んでる?
……どっかのアイドルの歌じゃねぇけど、さ。
花だって人だって、それぞれ違ってるからいいんじゃねぇか。
井上だって…ルキアには無い色々なモンを、沢山持ってるじゃねぇか………。
井上は井上で、いいんだよ。ルキアになる必要なんて、ねぇよ……」
「黒崎、くん………」
ゆるゆると、俯いて。
それきり黙り込む、井上。
俺は静かに、彼女の言葉を待った。
しばらくして。
「………ねぇ、黒崎君?」
消え入りそうな声で、井上が言った。
「私は…何をしたの?」
「………え?」
「私は黒崎君に、何をしたの? あの日…黒崎君が、力を取り戻した日に……!」
「いの、う……っ?!」
「私はあなたに、何をしたの……っ?!」
顔を上げた、井上の……瞳。
いつもは綺麗に澄んでいるそれが、今は何処か異様な光を放って揺れていた。
「………銀城さんが、黒崎君から完現術の力を取り上げるのに、先ず邪魔になるのが私と茶渡君だから……。
だから私と茶渡君はいっとう最初に襲われて、その後ずっと浦原さんの所で介抱されてて、その間に全部事が終わったんだ……って。
そう、黒崎君のお父さんや浦原さんに説明されてきたけど………。
時間が経てば経つほど、何かおかしいって思うの。
襲われたって言うけど……その時の記憶がまるで無いのは、どうして?」
「井上………」
「何か、あった気がするの。でも、思い出せない………。
記憶を辿ろうとすればするほど、頭が割れそうに痛んで…吐きそうになって………。
心臓を握りつぶされるみたいに、胸が苦しくなるの。
息が、出来なくなるくらいっ………!」
井上の頬を、涙が伝う。
かすれる声は……まるで、血を吐くようで………。
「思い出せないのは、思い出したくない事があったから?
何か…もの凄く大きな間違いを、私は黒崎君に対して犯したからなのと違うの?!
だって……そうとでも考えなきゃ、説明がつかないんだもの!!
こんなにも、身体が拒否反応を起こすことにも………。
時々理由もなく心の中に哀しみが溢れて、涙が止まらなくなってしまう事にも………!」
俯いて、顔を覆って。
声を押し殺して、泣く。
その震える細い肩が、痛々しくて……とても、痛々しくて………。
「助けたかったの、黒崎君を。
護ってあげたかったの、どんな時でも。
それだけの力が、欲しかった。
朽木さんのように……黒崎君を元気にできるだけの力が、欲しかった……!
その為に、修行だってしたのにっ……!!」
「井上………」
「でも…結局私に出来たのは、足手まといになる事だけだった……。
ねぇ、黒崎君……そうでしょう?
そうなんでしょうっ……?!」
ごめんなさい………と。
振り絞るように言って、井上はその場にうずくまってしまった………。
「………少し、落ち着いたか?」
こっくり……と。
幼い子供のような仕草で、細い首が前に振られる。
俺達は今、井上の部屋の中。
学生や、ビジネスマンの帰宅が始まった、住宅街。
泣いている女の子とその前で呆然と立ってる男ってのは、どうにも人目を引くもんだから………。
あくまでも、仕方なく……の、措置。
誓って、下心なんて無いからな…………………………多分。
「………なぁ、井上?」
「は…い……」
「あの日何があったか……って、さ。それ聞いて、お前、どうする気?」
「………え?」
さも意外な事を聞いた……とでも言うように、ぱちくりと瞬きを繰り返す井上。
向かい合わせで座っていた座卓に、手をついて立ち上がって。
彼女の隣に移動し、しゃがみ込んで。
「冷たい言い方かもしれないけど、さ」
真っ赤に染まった目をのぞきこむようにして、言った。
「時間て、巻き戻せねぇんだよな」
「………黒崎、く」
「どんなに望んだって願ったって、そこに戻ってやり直す事なんて出来ねぇのに………。
体調崩すほど、笑顔を失くす程、そこに囚われて、こだわって………。
それで、お前にとっても俺にとっても、何か良い事あんの?」
「それ、は………」
「………無ぇんだよ、何にも」
「……………」
「助けたかった、護りたかった、力が欲しかった………何だよ、全部過去形じゃねぇか!!
折角、力取り戻して…俺、また死神代行に復帰するってのに。
この先もう、俺のことなんて……お前、知らねぇってか?
お前の力……もう俺には、貸してくれねぇのかよ?」
「そ、そんなこと…無い! そんなこと、無いよ!!」
ぶんぶんっ……と。
大きく横に振られる、井上の首。
その仕草に、思わず笑って。
「なら……さ?
あの日の事なんて、もう、気にすんなよ。
俺がお前に見て欲しいのは、大事にして欲しいのは、これから先………未来、だよ?」
「くろさき…くん………」
「ま……実際、あの日はお前が考えるような事なんて、何も無かったけどな」
「…………嘘」
「本当だよ。お前もチャドも……俺を護ろうとしただけだ。ただ、それだけだ………」
………そう、あの日。
もう少しで二人は廃人になるところだったのだと、親父と浦原さんに聞かされた。
記憶を塗り替えられながら…それでも俺を心配して、ぼろくそに泣いて。
意識を手放してからも、幾度も幾度も、譫言で俺の名前を呼んで、ごめんなさいを繰り返してた……って。
俺に対する想いが、強かったからこそ。
だからこそ……俺の周囲の誰よりも、二人は奴らに利用されたんだ。
記憶に留めておくべき事は、それだけ。
たった、それだけ。
それも……俺さえ憶えていれば、良い事だ。
忘れていい。
忘れていいんだ、井上。
その代わり、に。
一緒に、行こう。
俺と、お前と、チャドと……………石田…は、ちょっと不本意だけど。
これからも、ずっと。
今までのように、俺達みんなで…………。
ふいに、代行証が鳴った。
「うおっ?!」
「………近い。それに…結構強そうだよ、黒崎君!!」
霊圧探査に優れた井上が、緊張した面もちで俺の顔を見返した。
俺はすぐさま身体から抜け、死神代行姿になる。
「身体は、私が看てるから………」
「………は? お前、何言ってんの?」
「え……?」
呆れたような声をあげ、深く眉間に皺を寄せた俺の顔を、井上が戸惑って見上げる。
「身体なんて、玄関に鍵掛けておけば、それで十分護れるだろ?
此処、井上の部屋で……俺ん家や学校に居る時みたいに、誰かに死体同然の俺を見られる心配なんて無ぇんだから………」
「くろさき…くん………」
真っ直ぐに、手を差しのべて。
にっ……と、口の端をつりあげた。
「行こうぜ、井上!」
「…………うん!!」
綺麗に、鮮やかに、笑って。
俺に向かって伸ばされた彼女の手を、取る。
そのまま、ぐいっ………と力を込めて引けば、バランスを崩した細い身体が、胸元に倒れ込んできた。
「ひゃ……?!」
片腕を膝下に回し、ひょい……と持ち上げる。
要するに………お姫様抱っこ…って、奴。
「く、くくくくくくく、くろさきくん?!」
「………女は担ぐもんじゃねぇって、ネルに散々言われたもんなぁ」
敢えて、ぼやくような口調で言う。
本当は……心臓すんげーばくばくしてて、口から飛び出んじゃねぇかって感じだったんだけど。
「全力で、飛ぶぞ! しっかり掴まっとけ!!」
「へ? あの…くろ、さ……………ぅ、ひゃぁぁぁああああっ?!」
ぐんっ………と窓枠を蹴り、すっかり陽が落ちて星が瞬きはじめた空の下へと飛び出した。
「頼りにしてるぜ、井上!」
「…………………うんっ!」
こくりと、頷いて。
俺の肩口に額を押しつける井上。
死覇装に染み込んでくる涙には、気づかない振りをして………。
空を、駈ける。
腕の中の温もり、は。
そのまま、俺の力に変換されていくような気がした。
「見えた………! 行くぞ、井上…………っ!!」
行こう、井上。
どこまでも。
世界の果てまででも。
これから先も…一緒に………。
終
再掲にあたり、若干加筆修正。