旧サイトでの拍手御礼短文



【GRADUATION~終わりと始まりの日~】





事の発端は、一月下旬に遡る。

高校三年生である俺達は、既に期末テストも受け終わり、答案返却の為に午前中だけ登校して、昼前には下校。
週明けからは、家庭研修期間に突入……そんな時期で。

当時……俺達元一年三組、屋上ランチ組の面々は。
下校後は、コンビニ等で買い込んだ弁当や菓子を手に、皆でどやどや井上のマンションの部屋に雪崩れ込んで。
既に推薦で短大に合格済みの井上と、希望校合格率90パーセント超の石田や国枝を教師役に、俺を含めた合格ラインすれすれ組が容赦なくしごかれる……という毎日を送っていた。


そんな、ある日の事。


久々の休暇で現世に遊びに来た……というルキアが、饅頭だのなんだのがどっさり詰まった紙袋を抱えて、俺達のところにやって来た。
脳味噌をフル稼働した後は、何となく甘いものが欲しくなる。
折角だし、三時には少し早いけれど休憩にしよう……と。
女子が煎れてくれた緑茶の湯呑みを片手に、皆で和菓子を頬張った。

ルキアは俺の隣に座り込み、あっちの奴らの近況を大まかに伝えてくれて。
すっかり乾いた喉と咥内をお茶で潤しながら、ふと、座卓の向かい側に視線を向けた。

そこには、並んで座る井上と石田。

二人は頭を付き合わせるようにして、何事かを相談している模様。
座卓の上には、一枚のルーズリーフ。
石田の書いた細かい字が、ぎっしりと並んでいるのが見えた。

そんな二人の距離の近さ、に。
どきり……と、思わず跳ねる心臓。
そのままざわざわと騒ぎだした心臓を持て余し、俺は緑茶をあおる振りをして、無理矢理二人から視線を外した。

口の中に広がる、渋さと苦み。
しかしながらそれは、冷めかけの緑茶の所為ばかりでは無いような気がした。



………俺、何で苛ついてるんだろう?



そんな事をぼんやりと思ったとき、ルキアが二人に何をしているのかと問いかけた。

「石田君が卒業式で読む答辞の、原稿作りを手伝っているの」

顔を上げ、ふわりと笑いながら答える井上。
その言葉に、ルキアは一瞬、喉に何かを詰まらせたような表情をして。

「卒業式…か………」

そう口の中で呟きながら、今度は苦笑めいた微笑みを浮かべた。

「……そう言えば、霊術院にも卒業式ってあんの?」
「ああ、一応あるな。
しかし私は、参加出来なかった。
朽木の家の養女になったと同時に特例措置で卒業扱いになり、十三番隊に配属になったのでな………」
「そっか……それは、残念だったな」

そう言ったら、ルキアは軽く首を横に振って。

「残念と言うより、後ろめたい気持ちで胸が苦しかったな。
私は…たとえば日番谷隊長のように、ずば抜けて成績が良いわけでは無かったから……」

うっすらと。
口の端を僅かに持ち上げるようにして、笑う。

返答に困って、黙り込んでいると。
ルキアは俺を振り返り、目を細めて。

「残念だったり淋しいと感じるのは……寧ろ、今だな」

羨やむような表情を浮かべて、そう呟いた。

「貴様等とあの学舎で過ごしたのは、ほんの僅かな時間だったが……実に楽しく、想い出深い日々であったよ。
貴様等の掛け合い漫才のようなやり取りに笑った事も、青空の下でおかずを交換しあって食べた昼食も、越智殿の授業も、何もかも………」
「ルキア………」

いつしか部屋に居た全員が、勉強や菓子を飲み食いする手を止めて、ルキアに注目していた。

「今でも時折、当時の事を夢にみたりするのだ。
………不思議な事に、な?
その夢の中では私はこちら側の人間で……死神の存在もソウルソサエティの存在も知らず、お日様の下で貴様等と毎日馬鹿騒ぎして、ど突き合って……そんな風に、学生生活を心から満喫しておるのだよ。
あんまり楽しくて…目覚めた瞬間、どちらが現実かわからなくなる程にな………。
ああ! 勿論、死神として生き方が嫌とか、そう言う事ではなくてな?
そうだな……例えば、大好きな物語の憧れの場面に、その世界の住人として立ち会えたなら………。
そんな気持ちに、近いだろうか」


………叶う事なら貴様等と共に、卒業まで過ごしてみたかったな。


夢見るような表情で、そう語って。
勉強の邪魔になっては悪いから……と、いくらも長居せずに帰っていったルキア。



独り去っていく、後ろ姿。
部屋の空気に融けた、言葉達。

思いがけず触れてしまった、その切ない胸の内。



それを、井上が。
あの……優しい優しい、井上が。

無視、出来る筈が無かった。
ただ黙って、じっとしている事なんて……出来るはずが、無かったんだ。





翌日の、放課後。
寄り道をしていくから、先に皆で部屋に行って、自由に使っていてくれ……と。
俺に、マンションの鍵を預けようとした井上。

俺はその鍵と伝言をそっくりそのまま水色と啓護に託して、彼女に付き添う事にした。

井上は、俺の勉強時間が減る事を気にしていたけれど。
寄り道先が浦原商店と聞いては、着いて行かずに居られなかった。


あの胡散臭い店に、井上独りでなんか行かせられるかっつーの。


二人並んで、ガラス戸を叩いて。
通された奥の部屋、井上は座布団に座るのもそこそこに。
浦原さんに、何とかしてルキアを卒業式に参加させる方法は無いものか……と、相談を持ちかけた。

「例えば、記憶置換とか………」
「生徒、職員、来賓、保護者……諸々含めて千人近くに対して、一度に………っスかぁ…?」

半端に広げた扇子で口元を隠し、浦原さんは大仰にため息を吐いた。

「技術的な問題は、無ぇ筈だよな? 実際、以前にやってみせてくれてんだからよ」
「あれは…仕方ないでしょう……闘いの記憶を、人々に残す訳にはいかなかったんスから………。
今回は完全に、私用。
あなた方の単なる感傷の問題であり、ワガママに過ぎませン。
そんな子供の思いつきで、やっていい事じゃ無いんスよ」
「でも……っ!!」
「そもそも、タダで動かせるものじゃないんスよ。どんだけ費用が掛かると思ってるんスか」
「その費用の分だけ、ここでバイトでも何でもしますから!」
「………1日20時間毎日働いて貰って、井上さんの寿命が尽きるまでに返済できるかどうかって額ですが?」
「……っ?!」

井上は一瞬、その薄茶の瞳を転げ落ちそうなくらいに見張って。
それからゆるゆると視線を畳へと落とすと、大きく大きく息を吐き出した。
勿論、じゃあ代わりに……って、それだけの金額が用意できる筈のない俺も、黙って頭を掻くことくらいしか出来なくて。

「お二人の優しいお気持ちを、理解出来ない訳じゃあないですが……ね?」

労るような口調で、浦原さんが俺達に声をかけた時。

「ならば、叶えてやればよかろう?」

ぱしん……と。
音を立てて開いた、背後の襖。

慌てて振り返った視線の先には、褐色の肌を持つ美女……夜一さんが立っていた。

「そんな…簡単に言わないで下さい、夜一サン………」
「実際、簡単じゃろうが? お主の頭脳を持ってすれば」
「……費用はどうするんです」
「そんなもの…白哉に頼めば、どうとでもなるじゃろうよ。あやつの妹馬鹿は相当じゃからな!
よしんば、出し渋ったとて…儂がこう、ツンツン……っとな?
奴の弱みの一つや二つや三つや四つも突ついてやれば………のぅ?」

にたり………と。
壮絶なまでに美しく、底知れぬほど人の悪い微笑みを浮かべる夜一さん。

ぞわり………と、背を這う冷たい感覚。
多分、それは井上も同じだったに違いなく。

思わず顔を見合わせてしまった、俺と井上。
その、目の前で。

深い深いため息を吐きつつ、わかりました………と。
浦原さんは観念したように返事をし、ぱちりと扇子を閉じた。




浦原さんはすぐにでも作業に取りかかると約束してくれたけど、技術的な分野で俺達に手伝える事は無いから……と。
装置が完成したら連絡をすると言われ、頭を下げつつ俺と井上は店を後にした。

そのまま、啓吾達の待つ井上のマンションへと向かう。

並んで歩く、その道すがら。
井上は俺に、背が伸びて買い替える前に履いていた制服のスラックスを、未だ持っているかと尋ねてきた。

「持ってる…けど?」
「それ、譲って貰えないかなぁ……?」
「……どうする気だよ」
「うん……ちょっと、ね…思いついた事があって………あ、別に変な事に使うんじゃないから安心して?
ただね、ハサミで色々切っちゃう予定だから、後で返して欲しいって言われちゃうと困るけど」
「別に……卒業したら処分しちまうつもりだったから、切ろうが何しようが構わねぇけどよ………」

翌日、学校で渡すと約束をして。
しかしながら。
何をするつもりなのかを尋ねても、井上は立てた人差し指を唇に当て、内緒……と悪戯っぽく笑うばかりで。
理由も用途も、決して教えてくれようとはしないのだった。







浦原さんからの連絡を待つ間に、俺の受験も終わって。
第一希望の大学に、どうにか滑り込む事が出来ていた。

進学先は、自宅から通うには少し遠くて。
一人暮らしをする為の準備を進めているうちに、暦は三月に。

卒業式まで残り三日に迫った頃、ようやく待ちに待った連絡を貰って。
出来上がった装置を、夜中にこっそり学校に忍び込んで、浦原さんに指示された場所へと取り付けた。

井上は勿論、他の皆も手伝ってはくれたけど、人目に付かないように、しかも高所での作業が主体となれば、大半は死神代行化した俺がこなすしかなく。
正直……翌日の予行なんて、寝不足と疲労とでふらふらだった。
それでも。
俺に何度も礼を言ってくれた井上の、殊更に嬉しそうな笑顔を見られただけで、苦労の殆どは報われた気がした。



そして。
ついに迎えた、当日の朝。

火急の用という事で、早朝から浦原商店に呼び出されたルキアは。
まず、俺と井上が居た事に怪訝そうに眉を顰めて。
次に、部屋の隅に下がった制服を見て、もしや……と言う表情になり。
「一緒に学校へ行こう」と微笑んだ井上の言葉で、全てを察して。
もの凄い勢いで井上に駆け寄ると、そのまま彼女の首っ玉に飛びついた。

目尻に光るものを浮かべながら、抱き合ってはしゃぎ合う二人。

ルキアと井上……二人の希望が叶った事が、素直に嬉しくて。
あまりの賑やかさに苦笑しながらも、しばらくの間、俺はその光景から目を離せずにいた。



三人で店を出て、途中の土手で竜貴や啓吾、水色達とも合流して。
ちゃんと装置が作動しているだろうか……と。
不安と緊張で心臓をどきどきさせながら、皆で校門をくぐれば。
おはよう、朽木さん………と。
以前、確かにルキアの記憶を消された筈の連中から、次々と声が掛かってきて。

ほっと胸を撫で下ろす。

昇降口で靴を履き替え、最終的には屋上に集合することを約束して、各自の教室へ。
ルキアは装置にプログラムした設定に従い、井上と同じ教室へと向かった。



最後のSHR。
そして………いよいよ始まる、卒業式。



厳粛な雰囲気の中、吹奏楽部の演奏をBGMに体育館へと入場して。
ふ……と。
憶えのある霊圧に保護者席へと首を巡らせた俺は、思わず目玉をひん剥いた。

何故って………。

俺の視線の先に、は。
黒の三つ揃いを、隙無く着こなした白哉と。
紋付袴姿の、総隊長のじぃさんが。
何食わぬ顔をして、パイプ椅子に座っていたのである。

吃驚したのなんのって………。
それでも、白哉が居たのは、ぎりぎり想定の範囲内ではあった……けど。


じぃさん! あんた一体全体、何しに来てんだよっ?!


まぁ……それだけ、今はあちらも平和だって事なんだろうけど、さ。



そんな(俺にとっての)ハプニングはありつつも、式自体は滞り無くスムーズに進んでいった。

順に受け取る、卒業証書。
登校途中、井上から簡単に作法を習っただけのルキアだったけど、そつなく一連の動作をこなして。
階段落下が心配された井上も、転けることなく無事壇上から戻ってきた。

勿論俺も名を呼ばれ、壇上に上がる。

証書を受け取った瞬間は、勿論だけど。
ステージを降り、職員席に向けて礼をした時に、俺の視線が捕らえた越智先生の顔。
頑張ったな……とでも言うように、その口の端がにぃ……と吊り上がった……その事に。
今日が巣立ちの日なのだと言うことを、改めて実感させられた。


喉元にこみ上げる熱い塊を、柄じゃねぇ……と必死になって飲み下す。


いつしか石田の答辞も終わり、体育館には「仰げば尊し」を歌う声が響いて。
沢山の拍手に送られながら、俺達は会場を後にした。







LHRが終わるやいなや、級友達との別れの挨拶もそこそこに、屋上へと駆け上がる。
担任の話が長かった俺と竜貴が最後だったらしく、他の連中は既に集まっていて、互いに写真等を撮りあっているようだった。

女子に呼ばれて竜貴が傍を離れるのと入れ替わるように、ルキアと井上が俺に駆け寄る。

「一護……改めて、礼を言うぞ」
「俺は、単に装置を付けるの手伝っただけだ。浦原さん相手に頑張ったのは、井上だよ」
「ああ、わかっておるとも」

ルキアに深々と頭を下げられて、井上は慌てて首を横に振った。
そして、身体の後ろに隠すようにして持っていた紙袋を、照れくさそうに笑いながら、ルキアに差し出す。

「あのね、朽木さん……これ、私からの記念のプレゼント。受け取ってくれるかなぁ?」
「私に?」

躊躇いがちに受け取った袋を、ルキアはごそごそと探って。
中から取り出されたものは………。

「これは……私か?!」
「え、これ、俺?!」

一体は、黒髪の女の子の。
一体は、オレンジ頭の男の子の。
布と毛糸で作られた、ニ体の人形。
それはどう見ても、俺とルキアを模したものとしか思えず……。
それに加えて。
人形達が着ているのは、俺達が今着ている空座一高の制服と同じデザインで………。
俺はこのときようやく、スラックスの使い道を知ったのだった。

「良く出来てんなぁ………」

感嘆のため息混じりに呟くと、井上は嬉しそうに笑って。
そっとルキアの手元に腕を伸ばし、優しくルキア人形を取り上げると、何故かそれを俺の胸元に押しつけた。
反射的に受け取ってしまったものの、彼女の意図が理解らず瞬きを繰り返す。

そんな俺とルキアの顔を交互に見ながら、井上はふわり……と笑って。

「あのね……あんまり逢えなくてもね、淋しくないようにって思って」
「………へ?」

言葉の意味する所が理解できず、眉根を寄せつつ薄茶の瞳を覗き込めば。
井上は困ったような表情でうろうろと視線を彷徨わせ、やがてその場に俯いてしまった。

「井上?」

どうしたのかと声をかけようとしたところで、彼女の背後から写真撮影に誘う仲間達の声がして。
まるでこれ幸いと逃げ出すかのように、彼女は身を翻して駆けて行ってしまった。

「………何だよ、一体」

頭を掻きつつ、ボヤく俺。
その隣で、ルキアは深い深いため息を吐いて。
ぼそり……と、小さな声で呟いた。

「一体何時から、このような誤解を………」
「誤解?」

振り返り、鸚鵡返しに尋ねた俺の言葉には応えずに。
ルキアは少しの間、井上の姿を黙ったまま目で追っていた。

「………なぁ、一護?」
「ん?」
「井上は…本当に、いい奴だな………優しくて…心が、暖かくて…………」
「ああ………」

俺もまた、彼女に視線を向けて。
竜貴たちと何事か言葉を交わしては、鳳仙花の実が弾けるように笑って……それを繰り返す様を、見守る。

そう……ルキアの言うとおり、何時だって井上は優しくて。
纏う空気は、どんな時だって春の陽射しのように暖かく穏やかで。

それ、は。


この三年間……俺にとって、何よりも確かな『救い』だったんだ………。





かしゃり………と。
不意に聞こえた、シャッター音。
慌てて隣を振り返れば、携帯のカメラレンズを俺に向けたルキアが、にやりと笑う。

「………手前ぇ、いきなり何しやがる?!」
「いや何、貴様の鼻の下がびろびろに伸びているのが面白くてな」
「なっ?! ばっ、べ、別に俺っ!」
「……と言うのは冗談で」
「……………………おい」
「まぁ…鼻の下はさておき………よく見てみろ、一護」

憮然として睨み付ける俺に構わず、ルキアは俺の眼前に携帯の画面を突きだした。
そこに表示されていた画像を目にするなり、思わず息を飲む。

それ、は。
自分でも吃驚するくらい穏やかな顔をした、俺自身の横顔だった。

「良い表情だろう?」

くつくつと喉の奥で笑いながら、ルキアが俺に問いかける。
どう返答して良いかわからず、困惑の二文字を顔に張り付かせて見返した俺の顔を、ルキアは可笑しそうにのぞき込んで。

「気づいておらぬだろうがな……貴様がそんな笑顔を向けるのは、井上に対してだけなのだぞ?
まぁ…私が知る範囲での事ではあるがな」
「な……っ?!」

急速に、顔に集まる熱。
大きく目を見開き、返す言葉を失い、恐らくは顔を真っ赤に染めて。
しきりに瞬きを繰り返すばかりの、俺。

そんな俺の様子に、今度は声を立ててルキアが笑う。

「なぁ、一護?」

笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を、指先で拭った後。
まるで……幼い子供を諭す母親のような口調と表情で。
制服姿の、死神は言った。

「一度良く、考えてみるがいいぞ。貴様のあの、笑顔の理由を………」
「ルキア………」

目を細めるようにして、ルキアは微笑んで。
それから、つい………と虚空を見上げた。

「そろそろ、時間のようだ」

直後、歪む空間。
そこに現れたのは………。

「穿界門………」

呟いた俺の手の中から、ふいに失われる人形。
慌てて振り返った、視線の先。
つい先ほどまで俺が持っていた人形を、片腕に抱いたルキアが居た。

「こちらは私が、貰っていく。代わりに貴様が、これを持て」

そう言いながら、俺似の人形を放って寄越して。

「それは、貴様が貴様の事を忘れて欲しくないと、願う相手に……。
たとえ離れて暮らそうとも、心は隣に寄せていたいと……そう願う相手に、渡すがいい」
「心を、隣に………?」
「そうだ」

こくりと頷き、ルキアは晴れやかに笑う。

「今日が『終わりの日』となるか、それとも『始まりの日』となるか……。
全ては、貴様次第だ……一護!」

失望させてくれるなよ………そう、言い残して。
身を翻し、ひらりと穿界門へと跳び移る。

それと同時に、俺の背後からルキアの名を呼びつつ駆け寄る、複数の足音が迫ってきた。
井上達が、穿界門が開いた事に気付いたのだ。

「もう行っちゃうの?!」
「ああ……私の記憶は、明日には此処にいる皆以外の人々の頭からは、消えるのだろう?
あまり長居しては、後々に面倒の種を残すことになるやもしれぬしな。
それに…実は明日から、遠征に出る予定になっておるのだ。その準備もあるのでな」
「そう………」

俯く井上に、また遊びに来るとルキアは笑って。

「その日まで、息災でな」
「朽木さんも……遠征、頑張って…怪我、しないでね?」
「有り難う、井上。気をつける」

手を振り合い、口々に別れの言葉を掛け合って。
そして静かに、閉ざされる門。
何事もなかったように元に戻ってしまった空を、名残惜しく皆で見上げる。

しばらくして。

カラオケにでも行こう……と。
啓吾の発案に皆が乗り、荷物を持って順に階下へと移動し始めた。

最後まで空を見上げていた井上が、ゆっくりと振り返って。
私達も行こう……と、赤みを帯びた目元を擦りながら微笑む。

そのまま足を踏み出し、俺の隣を通り過ぎようとした井上の手を、俺はとっさに掴んでいた。

「く、くくくくくろ、さき、くんっ?!」

薄茶の瞳を大きく見開いて、顔を真っ赤にしながら、わたわたと慌てふためく井上。
俺は黙って、ルキアから渡された俺似の人形を差し出す。

「あ、あれ? 何でこれがここに……?!」
「ルキアは、自分に似た方が欲しいって……そっちを持っていったんだ」
「え?! だ、だって…それじゃあ、意味が無いって言うか………」
「意味なら、有るよ。ちゃんと……あるんだ」
「え………?」

きょとんとして、俺を見上げる井上。
小首を傾げ、戸惑いがちに瞬きを繰り返して……その仕草の愛らしさに、思わず口元が綻んだ。


そう……多分、きっと。
今の俺は、ルキアが見せてくれた画像と同じ顔をしてる筈。


そして……俺はあの時、気がついたんだ。

あの、表情は。
俺の親父の。
あの、くそ髭の。

在りし日のお袋に向けられていた微笑みに、嫌なくらい似ている……って事に。





「井上………」

名を、呼んで。
ひとつゆっくり、息をする。

「その人形……もし良かったら、お前が持っててくれねぇか?」
「………え?」

そう……全ては、俺次第。
ここで終わりにするのも、ここから始めるのも………。

だから。



「井上…俺、な……? 俺、お前の事が………」












ここから先の、未来にも。
俺の隣には、微笑む君の姿がありますよう………。







終
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