旧サイトでの拍手御礼短文



【 strawberry Kiss 】






「あら……帰ってきちゃった…」
「………何だよ、それ」

てっきり、喜んでくれるとばかり思っていた、予定より早めの帰宅。
しかしながらドアを開けてくれたヨメさんの言葉は、どこをどう聞いても歓迎しているようには思えず。
戸惑ったように瞬きを繰り返す彼女を見返しながら、俺は眉間の皺を深め、ついつい憮然としてしまった。

ごめんなさい………と、苦笑しながら。
俺を玄関内に迎える為に、ドア側へと身を寄せるヨメさん。
幾分ふてくされ気味にその脇をすり抜けた俺は、靴を脱ぎかけたところで、あれ?……と、動きを止めた。

廊下の、向こう。LDKの方から漂ってくるの、は。
甘い甘い、チョコレートの香り………。

………そう言えば。
今日は2月13日、明日はバレンタインデーだったっけ……と、無言でヨメさんを振り返ると。
彼女は軽く肩を竦めて、ちろりと舌を出した。

「………今日に限ってあの子達、あんまりお昼寝してくれなくて。
今日の帰宅は日付過ぎになるかもって、一護君、出がけに言ってたから……子供達寝かせた後から、作り始めたところだったの。
結婚して、子供もいるのに今更かもしれないけど……でも、やっぱり用意しているところは見せたくなくて。
明日、吃驚して欲しかったから………」
「………そっか」

そっとヨメさんの頭に触れて、胡桃色の髪をくしゃりとひと撫でする。
くすぐったそうに首を竦めた彼女の額に、軽く唇を押し当てて。
改めて「ただいま」と告げれば、俺を振り仰いだヨメさんはふうわりと微笑んで。
つま先立ち、軽く俺の頬に口づけながら、優しく「おかえりなさい」を言ってくれた。





ダイニングテーブルに腰掛け、ヨメさんの用意してくれた食事に箸をつける。

「ごめんね。夕食要らないって言ってたから、ろくなもの残ってなくて」
「いや、これで充分。全く飲み食いしなかった訳じゃないし」
「そう? なら、いいけど………それにしても、一体どうしたの?」
「飲んでる途中で、先輩の携帯にお子さんが熱出したって、奥さんから連絡が入ったんだよ。
通ってる幼稚園でインフルエンザが流行ってるから、多分貰ってきちゃったんだろう……って、さ」
「あら………」

心配ね………と。
チョコレートを削る手を止めながら、ヨメさんが小さくため息を吐いた。
以前、先輩がご夫婦だけで出かける際に、預かった事もある子だ。
彼女自身もまた母親の一人であるし、他人の子とは言え気になるのだろう。

そのままヨメさんは黙り込み、チョコレート菓子を作る作業を続けて。
俺もまた無言で、食事に専念する。

しばらくして俺は、用意された食べ物の皿を全て綺麗に平らげて。
ご馳走様を言いながら席を立ち、皿を手にキッチンへと向かった。

「あ……シンクに置いておいて? 私、洗うから」
「いいよ、このくらい」

スポンジを泡立てて、自分の使った食器類をこすって。
ついでに、ヨメさんが使い終わったらしい菓子作りの道具なんかも洗ってしまう。

「ありがとう……」

生地を流し込んだ焼き型を手にキッチンに入ってきたヨメさんが、少し申し訳なさそうに微笑んだ。
気にするな………という気持ちを込めて笑い返せば、今度こそ綺麗ににこりと微笑って。
くるりと俺に背を向けると、オーブンを操作し始める。

オーブンは、俺の真後ろあたり。
触れるか触れないかの位置に立っていたヨメさんの背に、わざと寄りかかってみれば。
「やぁだ…!」と苦笑気味に笑いながら、向こうも負けじと押し返してきた。

二人でくすくす笑いながら、ちょっとの間ふざけあう。

やがて、一度俺から離れた彼女は。
湯煎にかけていい塩梅に溶けたチョコの入った小さなボールを手に、今度は俺の隣、調理台の前に立って、ボールの中身をシリコン型に流しこみ始めた。
とろりと型に注がれる液体は赤く、固まれば、小さなチョコの薔薇が沢山出来上がるって訳だ。

「飾り付け用?」
「そう」
「食紅?」
「……も、使ったけど、ドライストロベリーやクランベリーとかを細かくして混ぜてあるんだ」
「へぇ………」

丁度洗い物を終えた俺は、シンクに手をつき、彼女の手元を興味津々で覗き込む。
そのまま、ふ……と視線を上げて。
至近距離で目に入った彼女の長い睫や、きめ細かな肌や、ほんのりと淡く薔薇色の挿す頬をぼんやりと眺めながら、何の気無しに………。
本当に、裏の意味とかそう言うもの、一切無しに。

「最近、化粧しないのな」

………そう、呟いてしまった。


本当に、他意は無かった……の、だが。
彼女は、はっとしたように俺を振り仰いで。
それからゆるゆると俯くと、消え入りそうな声で「ごめんなさい」と呟いた。

俺は慌てて、首を横に振って。

「謝るなよ、別に責めたりとか咎めてるわけじゃねぇから」
「……………手、抜いてるわけじゃないの」
「わかってるよ……子供達の事があるからだろ………?」

最近不用意に彼らに顔を近づけると、べろりーんと頬だの鼻だのを舐められてしまう事があるのだ。
………どうやら本人達は、キスを真似てるつもりらしいんだけど。

「化粧品が口に入るの、心配だもんな」
「うん………」
「俺も…化粧するしないは本当に気にしてないし…むしろスッピンの方が、いつでも遠慮なく、こんな事出来て大歓迎なんですケド?」

言いながら、肩を引き寄せて頬に口づける。
うひゃっ……と首を竦めたヨメさんが上目遣いに睨んでくるけれど、顔が赤くなっているものだから、てんで迫力がない。

思わず吹き出し、くつくつと笑う俺を、彼女はもう一度だけちろりと横目で見て。
ふぅ………と。
呆れたように小さく息を吐きながら、ボールを調理台の上に置いた。

すかさず、ひょいと腕を延ばして。
ボールの底に残った赤いチョコレートを、指先で掬いとる。

「あっ……?!」
「ん………旨い」
「………共食い」
「うるせー。そもそも、これはお前が俺の為に作ってくれてるんだろ?
そのお前が、言う台詞かよ」
「それはそれ、これはこれ」
「何だ、それ」

二人で顔を見合わせて、吹き出して。

鈴を転がしたような声で笑うヨメさんの横顔を眺めながら、心に募っていく彼女への愛おしさ。
その想いのままに、腰に手を回してその細い肢体を引き寄せ、腕の中に閉じこめる。

「………酔ってるの?」

俺の頬をぺちぺちと叩くヨメさんに「ちょっとだけ、な」と答えて。
胡桃色の髪に顔を埋めながら「……嫌、か?」と尋ねると、一拍置いた後に、ヨメさんがゆっくりと首を横に振った。
そっと俺の背に回される腕が嬉しくて、更に柔らかな頭髪に頬を擦り寄せる。

………その、瞬間。

唐突に脳裏に甦ったの、は。
学生の頃に読んだ小説の一節。

そこから思いついたちょっとした悪戯に、俺はゆっくりと口角を上げた。


「あのさ……昔、読んだことのあるミステリーにさ、大学生の主人公と五歳年上のお姉さんが、深夜の台所で会話するシーンがあるんだけど、さ」
「う、ん?」
「確か、お姉さんが少し酔ってて……で、先刻の俺達じゃないけど、化粧するしないがどうのこうのって話題になって、な?
それまで化粧したことのない妹の唇を、お姉さんが指に水をつけて濡らしていくんだ」
「………え?」

ヨメさんの身体を拘束していた両腕のうち、調理台に近い方の腕を解いて。
先程までヨメさんが手にしていたボールへと手を延ばし、薬指の先で赤いチョコを掬いとる。

「一護……くん?」

俺を見上げるヨメさんの薄茶の瞳が、戸惑い気味に揺れて。
その瞳に映る俺が、にぃ……と人の悪い笑みを浮かべた。

「………例えばこんな感じ…かな?」
「一護く………んぅっ?!」

形の良い唇に、少しずつ少しずつ指で塗り広げていく、赤いチョコレート。
ぎゅっ……と、きつく両目を閉じて。
全身を硬直させたヨメさんの肩が、俺の腕の中で時折大きくびくりと跳ねる。


「……大体、こんなもんかな?」


俺の呟きに、ヨメさんがうっすらと瞼を持ち上げた。

瞳はすっかり、潤んでしまっていて。
頬も…鮮やかな薔薇色に染まっていて。
それに加えて。
少し恨めしげに俺を見る、上目遣いの視線と言ったら………!


吹き出しそうになるのを堪えながら、俺は彼女に尋ねた。

「小説では、まるで襲われた気分だ…って、主人公が内心で呟くんだけど………お前も今、そんな感じ?」
「……っ?! い、いいいいいいい、一護、くんっ!!!」

からかって遊ぶの、やめてよぅ………と。
ぼふっと、頭から湯気を吹き出しそうな勢いで赤くなったヨメさんが、半分泣きそうな顔をしながら俺の胸元をぽこぽこと殴る。

ごめん………と、謝りつつも。
俺は遂に衝動を堪えきれずに、声を上げて笑い出してしまった。


『ああ、もう……本当に、コイツは…………!』


彼女の持つ、こんな少女のような可愛らしさというか、ウブさと言うか……は。
この先、何年経とうとも。
そう……例えば、彼女が百歳近いおばあちゃんになったとしても。
多分きっと、変わらねぇんだろうなぁ……って。


溢れるような愛しさと共に、心の底からそう思う。





………やがて。

すっかり臍を曲げて俯いてしまったヨメさんの頬を、手で包むようにして、そっと撫でて。
顎下に指を滑らせて、仰向かせる。

重ならない視線に、ちいさく苦笑をこぼして。

「ごめん、悪かった」
「……………」
「お姫様…お詫びに、キスしても?」
「………………………それって、いいって言ったら、結局は一護くん得なだけなんじゃ……んっ!」

抗議しかけたヨメさんの口を、言葉途中で塞いでしまう。

舌先でそっと、唇をなぞって………その時感じた、甘さは。
きっと……俺が口紅代わりに塗った、苺チョコの所為だけじゃない。



「好きだよ…織姫………」



鼻先が触れあうくらいの、至近距離。
ささやくように、そう伝えて。

もう一度両腕で抱きしめ直した腕の中、ヨメさんがその細い腕を、ゆるりと俺の首に巻き付けた。

丁度その時、時計の鐘が日付が変わった事を知らせて。

俺の鎖骨の、少し下辺り。
そこに額を押しつけていたヨメさんが、静かに俺を振り仰ぐ。

重なりあった視線の、先。
ふわりと微笑み、彼女は告げた。




…… HAPPY VALENTINE'S DAY! ……
  











終
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