旧サイトでの拍手御礼短文



【雪夜の奇跡】





「あれ、井上……?」
「わ、黒崎くんっ?!」

バイトの、帰り道。
小腹が空いて、何か菓子でも……と、ふらり立ち寄ったコンビニで。
同じく、バイト帰りの井上に逢った。

軽く、挨拶を交わして。
他愛のない会話をしながら、雑誌架や菓子棚を二人で物色。

そのまま流れで前後して会計済ませ、並んでコンビニの外に出ると、街は既に、夜の闇に呑まれてしまった後だった。


年頃の女の子の、夜道の一人歩きは物騒だろう………と。
家まで送っていくと井上に言ったら、最初は目をまん丸にして驚き、首を横に振ったけれど。
別れた後で何かあったら困る、俺の精神安定の為にも送らせろ……と言ったら。
ほんのりと頬を染めながら、こくりと頷いてくれた。


顔を上げた彼女から向けられた、はにかむような微笑みに。
とくん……と、ひとつ。胸の鼓動を、高鳴らせて。
恐らくは赤らんでしまったであろう顔を見られたくなくて、慌てて踵を返して歩き出す。

小走りで俺に追いつき、横に並んだ彼女は。
空を見上げ、「寒いね……」と呟きながら手を口元にやり、ふうっと息を吹きかけた。
擦り合わせる細い指先が、赤い。

「………手袋、すればいいのに」
「バイトに遅刻しそうになって、家を慌てて飛び出しちゃって……忘れてきちゃったの」

ちろりと舌を出し、苦笑混じりに肩を竦める井上。
その童女のような仕草に、またもや跳ねる俺の心臓。


………ああ、もう…何故にこう、無駄に可愛いんかなコイツは。


「今夜、雪になるかもって……朝の天気予報で」
「ふぅん………」
「当たりそうだね。なんだか底冷えするもの」
「………そうだな」

相槌を、打ちなから。
再び彼女が指先に息を吹きかける様子を、横目に見つつ。
自分の足先へと視線を落とし、ひそりと息を吐き出しながら思った、のは。

手を、繋いだり……とか。

その繋いだままの手を、俺の上着のポケットに、一緒に突っ込んじまう……だとか。

もしも俺が、彼女の彼氏だったなら。
今すぐにでもそうして、彼女の手を暖めてやれんのにな………って。



そう……例えば、そんな事。



でも、それは……多分きっと、何処までも。
俺の…俺だけの……夢で。
奇跡でも起きない限り、は。
現実になる事等、無い筈の………。





今、頭上に広がっているような。
微かな星影一つ見えない、どんよりと重く雲が垂れ込めた夜空みたいな……。
そんな思考に、感情に、沈みかけていた俺の意識、を。
現実に引き戻したのは、俺の名を呼ぶ井上の声。

目をしばたかせながら、慌てて視線を横に向けると。
彼女は薄茶の瞳を大きくみはって、俺たちの背後を凝視していた。


「……どうした?」


彼女に倣って、首を巡らせて。
その俺の瞳もまた、大きく大きく見開かれていく。



それ、は。
北風に翻る、冬将軍のマントか。

それとも。
優雅に舞い踊る、雪の女王のドレスの裾か。


まるで、大きな大きな薄い白布を広げたように。
そして、それで俺たち二人をくるみこもうとでもするかのように。

雪、が。
雪の壁、が。

背後から、迫ってきていたのだ。

ちりちり………と。
雪がアスファルトへと落ちる、その瞬間の。
音とも呼べぬような、微かな微かな響きと共に………。






「逃げよう、くろさきくんっ!」

叫ぶように、井上が言って。
その小さな掌が、彼女の側にある俺の手を取った。
ぎょっとする間も無く、ぐいっとその手を引かれて思わずよろける。

その、瞬間。

さぁ………と。
俺達の頭上を通り過ぎて行った、雪のカーテン。

「う、わ?!」

慌てて体勢を建て直し、ぐんっ……と地を蹴る。

数歩進めば、それだけで。
俺と井上との位置関係は、逆転。

冷えきった彼女の手を握り、彼女が転ばないようにスピードをセーブしつつ、二人で夜道を駆ける。


やがて、雪が舞っていないことに気づいて。
足を止め、二人でそろりと背後を振り返ってみた。

俺たちの視線が捉えた、のは。
先刻と同じように、数メートル後から俺たちを追って迫りくる、小さな冬の化身達の群。

「わっ?!」
「ひゃあっ?!」

二人、再び走り出す。



走っては、立ち止まり。
背後を窺って。

慌ててまた、走り出して。

追いつかれて、スピードを上げて。
振り切って、抜け出して。

スピード緩めては、呑み込まれて。
負けるもんかと、ダッシュして………。

いつしか二人、ちいさく幼い子供のように。
無邪気な笑い声を、上げながら………。



………そんな雪との追い駆けっこを、200メートル程も繰り返しただろうか。


遂に、逃げきれなくなって。
ちらちらと粉雪の舞う中、俺も井上も激しく肩で息を吐き、必死に呼吸を整える。

「びっくりした、ねぇ?!」

まだまだ荒い息の合間に、俺を振り仰いだ井上が、満面の笑顔で俺に言った。

「こんなことも、あるんだねぇ……」
「ホントだな」
「あのね、何だかね…大袈裟かもしれないけど、ね?」
「うん?」
「とっても、とっても、ささやかだけど……今みたいな瞬間に立ちあえるのって、ね?」


………ちょっとした、奇跡…だね?


そう、言って。

一層綺麗に微笑む彼女の頬も、吐息が漏れる唇も。
走って体が暖まったせいか、鮮やかな薄紅色に染まっていて。

ああ、なんて可愛いんだろう……と。

胸の奥、こみあげてくるのは、愛おしさ。
切なく、狂おしいまでの………。





「あ……ご、ごごごごめんなさい! 私ったら、いつまでも………」

手を繋ぎっぱなしだった事に気づいた彼女が、慌ててそれを解こうとした。

離れていこうとする、白い小さな掌。
握られた瞬間は、氷のように冷たくて。
だけど今ではすっかり、俺の体温と同じになった…その細い指先、に。
俺は慌てて、自分の指を絡め直した。


「くろさき、くん………?」


井上が、唖然として俺を見上げる。
その綺麗な薄茶の瞳を、吸い込まれそうだ…なんて思いながら見つめ返して。

こくり……と。
一つの覚悟と共に、唾を呑みこむ。


「井上……俺、な………?」


ああ、みっともねぇ。
声が震えてんじゃねえか、俺!

なぁ、神様。もしも本当にあんたが居るって言うなら……さ。
今夜のこの、奇跡を起こしたそのついでに。
どうぞ俺に、あとほんの少しばかりの勇気を………。


「俺…お前の事、好きだ………!」


全身から振り絞るようにして、やっとの事で伝えて。

大きく息を吐き出した、俺の目の前。
これ以上ないってくらい目を見張った井上の、その瞳が潤んだかと思ったら。
大粒の涙がぼろぼろとこぼれ出した事に、仰天して。

泣くほど嫌だったのか……と、狼狽える。
だけど………。


これまでの人生で、最大の奇跡だよ………と。


涙に濡れ、苦しげにしゃくりあげながら、も。
俺の想いを受け入れてくれた事を、彼女は一生懸命に伝えようとしてくれたから………。


俺にとっても、奇跡だよ………って。

繋いだ手で、彼女を引き寄せて。
繋いでいないほうの手を、背中から反対の肩に回して。
そうっとそうっと、抱きしめる。

………しばらく、そうして。

身じろいだ彼女に、少し力を緩めると。
腕の中、俺を振り仰いだ井上が。
それはそれは幸せそうに、綺麗に綺麗に笑ってくれた。


きゅう……と、鳴る…心臓。
息が止まる程に苦しくて…でも、なんて甘美、な………。






見下ろす彼女の胡桃色の髪に、うっすらと降り積もった雪。
それはどこか、花嫁のヴェールを思わせて………。

払い取ってやろうと、上げた手は。
一瞬の躊躇の後、彼女の頭ではなく……頬に。



そして。



永遠を誓う、儀式を真似て。
ありったけの想いを込めて、彼女の唇に口づけを落とした………。










終
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