一織ワンドロライ



5月5日のお題【こどもの日】





「いけない! 菖蒲を買い忘れてた!!」

コンロ前で大鍋を掻き回していた遊子ちゃんが、呻くように呟いた。
買ってこようか?…と声をかけると、申し訳なさそうな表情で頷く。

「ごめんなさい、今はここを離れたくなくて…」
「うん、わかってる」

笑顔で応じながらエプロンを外していると、「ついでに少し、ゆっくりしてきていいよ」と声をかけられた。

「これ以外は、ほとんど出来上がってるし。イートインで、お茶でも飲んできたら?」
「え…で、でも……」

言い淀む私の声に被さるように、ふえぇ…と一勇の泣き声が聞こえてきて。
慌ててリビングを横切り、隣の和室に駈け込むとそこには、布団の上に座り込み、抱き上げた一勇の背を撫でて必死に宥めている、困り顔の一護君が居た。

「うぇぇっ、ぼくのケーキぃいいいっ! 」
「……だから、それは夢だって! …痛っ!!」

ぽこぽこと一勇に胸元を叩かれながら、「俺が喰っちまったって言って、きかねぇんだよ」と一護君がボヤく。
苦笑しながら、一勇を受け取って。そのまま抱いて台所まで連れて行き、冷蔵庫の中におさまっているケーキの箱を見せると、漸く我が家の小さな食欲魔人は泣き止んだ。

「……お兄ちゃん、普段そんなに、かず君のおやつを横取りしてるの?」
「してねぇよっ!」

兄妹のやりとりに思わず吹き出せば、一護くんが恨めしげな視線を投げて寄越す。
そして一勇に向かって手を伸ばすと、「…だから夢だと言ったろう?」と言いながら、こつり…と至極軽めに額を小突いた。

「……ごめんなしゃい」

謝りながら一護君に向かって両腕を広げ、抱っこをせがむ一勇。
一護君は苦笑を浮かべ、現金なヤツだな…とこぼしつつも、私の腕から一勇を抱き取った。

「菖蒲がどうの…って聞こえたけど?」
「あぁ…うん、そうなの。今から買いに行くのだけれど……一勇も起きちゃったし、三人で一緒に行く? お散歩兼ねて」
「そうだな…そうするか……! 一勇、お母さんと一緒に、菖蒲を買いに行くぞ」
「しょう…?」
「菖蒲、だ。今夜の風呂に入れる、緑の細長い葉っぱだ。菖蒲湯に入ると、病気にかからないって言われてるんだ」

一護君が解説している間に、三人分の上着を用意する。昼間は初夏のように暑かったけど、帰路に着く頃には陽が傾いて、風が冷たくなってくるだろう。

「お待たせ! じゃあ、行きましょうか」
「おう」
「ゆんたん、行ってきましゅ!」
「はぁい、気をつけてねー」

カウンターの向こう側では、遊子ちゃんが笑顔でお玉を振っていた。




「買えてよかったねぇ…残り二束だったもの!」
「ホントだな」

流石に5日の夕方遅くともなれば、すでに殆どの家庭が買い求めた後だったのだろう。
ビニール手提げから頭を出したシュッとした青葉を見ながら、改めて安堵のため息を吐く。

「迷信だ…と思っても、やっぱりね」
「ああ、そうだな。子に対して健やかなれと願う気持ちは、親心の根幹みたいなものだし」
「うん」

一護君の言葉に頷きながら、少し先を歩く一勇の背中に視線を向ける。
ゆっくりで良いという遊子ちゃんのお言葉に甘えて、すこし遠回りの川沿いの遊歩道を帰り道に選んだので、一勇とは手を繋がず、一人で歩かせていた。
一勇は走り出したかと思えば、急に立ち止まり、道端にしゃがみ込んで野の花を摘んだり、小石を摘み上げたりなどしながら、散歩を楽しんでいる。
そろそろ一般道へと戻ろうか…というあたりまで来たところで、突然一勇が大きな声を張り上げた。

「おかぁしゃん、おとうしゃん! みてみて、しゅごぉい!!!」

私たちを振り返りながら、対岸を指差す小さな指。
その指し示す方へと視線を向ければ、それはそれは大きく豪勢な鯉のぼりが飾られた家があった。昔からこの土地に住んでいる、お金持ちの旧家なのだろうか。色鮮やかな鯉が大小10匹以上も、茜色に染まり出した空を悠然と泳いでいる。

「凄ぇな….。数代に渡っての品ってところか?
それにしても、これまでちっとも気づかなかったな」
「関心が無いと、目に入らないものなのかもね。逆に、一勇が生まれてから、独身時代には気づかなかったことに気づいたり、あれこれ目に留まることが増えたような気がする」
「……確かに」

泳ぐ鯉を眺めつつ、そんな会話を二人で交わしていたら、突然ぱんぱんっ…と柏手を打つ音が聞こえた。
慌てて視線を一勇に戻せば、鯉のぼりに向かって手を合わせ、ぎゅっと目を閉じて何やら熱心に祈っている。

「かず君……?」

躊躇いがちに声をかければ、私たちを振り返り、にぱっ…と笑って。

「ぼくもね、あの鯉しゃんたちみたく、おとうしゃんやおかぁしゃんや、じぃちゃんやゆんたん、りんたんと、ずぅぅっと仲良しが良いでしゅって、お願いしてたの!」

どこか得意げな口調で言いながら、一勇は照れ臭そうに、小さな拳で鼻の下を擦った。







終

掲載にあたり、若干の加筆修正を行っております
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