一織ワンドロライ
5月4日のお題【ピクニック】
紆余曲折を経て(という言葉を使ったら「単にあんたがヘタレだっただけだろ!」と竜貴に蹴りをいれられたが )晴れて恋人同士となった俺と井上。
しかしながら、平日が定休日でシフト勤務制の井上と、カレンダー通りの週休2日勤務な俺とでは、共通の休日は月に一度有るかどうか…といったところだ。
その貴重な休日、初めての昼日中からのデートの日。
井上に希望を尋ねれば、どこか屋外の気持ちの良い場所で、ぼーっとのんびり静かに過ごしたいと言う。
それなら此処ら辺りがお薦めだ…と、職場の先輩に紹介されたのは、俺たちの最寄駅から数駅離れた近隣市の河川敷だった。
「桜が咲いている時期は渋滞も起こるほどだが、葉桜になっちまった今時分は、そりゃあもう静かなもんさ。遊具で遊べないくらい小さい子供を連れた家族連れや、年配の夫婦が散歩しにくる程度だし、トイレに行きたくなったら、近くの大学内に借りに行けばいい」
そんな先輩のアドバイス通り、目印にした大学の正門近くの土手を登っていけば、散歩中らしき人影がぽつりぽつりと遠くに見える程度で。それこそ緑の絨毯が広がる土手下には、人が居る様子がない。
井上が転げ落ちないよう手を引きながら斜面を降り、一際大きく枝を広げた桜の樹の下、白詰草などが生い茂る草の上に敷物を広げた。
靴を脱いで上がりこめば、草の香のする風が髪を優しく嬲るように吹き抜けていく。
何とは無しに視線を合わせた俺たちの口元には、自然と笑みが浮かんだ。
井上が作ってきてくれた弁当を二人で綺麗に平らげた頃、井上が目をくしくしとこすりながら、小さな欠伸をひとつ漏らした。
何でも四月から大手のチェーン店が近所に開業したので、客離れを防ぐために、パティシエは勿論、それ以外の社員やバイトも含めて皆一丸となって、新製品の開発に取り組んでいるのだと言う。当然、井上も夜遅くまで案を練ったり、実際に試作をするなどしているものだから、最近ずっと寝不足気味なのだ。
「少し眠れば…?」
そう声をかければ、俺に申し訳ないと首を横にする。その直後に二発めの欠伸が井上の口を吐いて出るものだから、俺はついつい笑ってしまった。
ぷぅ…と軽く頬を膨らませる姿に苦笑しつつ、着ていたパーカーを脱いで丸め、枕にしろ…と敷物の上に置いてやる。
「俺のことなら、気にするな。こんな真昼から一緒にいられるだけで充分満足してるし、アプリで勉強でもしてるから」
無事就職を果たしたものの、英語の勉強はいくらやろうと足ることはない俺の職業を理解している井上は、少しの間逡巡したのち、ごめんね…と消え入りそうな声で呟きながら、敷物の上に体を横たえた。
陽が落ちてからの防寒用に…と井上が持ってきていたショールを広げて身体にかけてやり、髪を梳いてやれば、くすぐったそうな微笑みを浮かべて俺の太腿に額を押し付けてくる。
可愛いなぁ…なんて思っているうちに、井上の呼吸は安らかな寝息へと変わっていった。やはり相当に疲れているようだ。
画面の中の演習問題と格闘しながら、時折井上の寝顔を覗き込む。
井上は申し訳ないと詫びたけれど、こんなにも無防備で、どこか幼くて、愛らしい寝顔を独り占めできるのは、この瞬間、世界中で俺一人だけなのだ……そう考えれば、胸が締め付けられるような幸福感が心の奥底から湧き上がってくるばかりだ。
「費用なら出世払いで貸しておいてやるから、さっさと結婚しちまったらどうだ?」
井上と正式に付き合うことになった頃から、親父はそう言って俺を焚きつけてくるけれど、なるほど、それも存外悪くないのかもしれない。
あの髭達磨に貸りを作るのは、正直癪だ。
しかしながら、井上の部屋で彼女の帰りを待たせてもらうことのあった日に、おかえりと告げた俺の顔を見て、泣きそうにくしゃりと歪んだ…その表情を思い返すたび、一日も早く正式に家族になれたなら…という願望は、胸の内で強まる一方なのだ。
「……腹、括るかな」
これまで、充分すぎるほど待たせてしまった。
ならば、ここらで帳尻を合わすべく行動したところで、おそらく罰は当たらないだろう。
勿論、井上もまた、それを望んでくれるのであれば…だが。
携帯を脇に置き、少しだけ井上のそばを離れて、敷物から手を伸ばせる範囲に生えている白詰草を掻き分ける。
五分ほど、そうして。
運良く見つけることのできた四つ葉と白い花を一輪摘み取ると、茎を絡ませて小さな指環をつくった。
そっと、井上の左手を取って。
その細い薬指に、慎重に指環を嵌め込んでいく。
余程深く眠り込んでいるのか、井上はいっかな目を覚ます様子がない。
ほう…と深く息安堵の息を吐き出しながら、これを目にしたとき、井上は一体どんな反応をするだろう……そんな至極近い未来の情景を思い、胸の内でぐるぐると渦を巻きはじめた期待と不安とをを持て余す。
叶うことなら、今日の日の風のように。
ふうわりと優しく、微笑んで欲しい……そう願いながら身をかがめ、井上の額に軽く唇を押し当てた。
終
花言葉
白詰草:約束、私を思って
四葉のクローバー:幸運、私のものになって
掲載にあたり、若干の加筆修正を行っております