一織ワンドロライ

大遅刻の、ワンドロライ作品。
お題は「読書」です。
若干、加筆修正済み。

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高校生活最初の授業は、いきなり自習だった。
なんでも教科担任の先生が、春休み中に出かけたスキーで骨折し、未だ北海道の病院に入院中なのだという。

そんなこんなで、図書室に連れてこられた私達。
図書室内にあるものなら、どんな本でも構わない。漫画でもOK…という言葉に、多くのクラスメイトが漫画や雑誌、ライトノベルの棚へと向かっていった。
たつきちゃんは司書さんに頼んで、スポーツ雑誌のバックナンバーを書庫から出してもらっている。

さて、私は何を読もうかな…そういえば、売値が三万円近い服飾の歴史事典が置いてあると、昨日仮入部したばかりの手芸部で耳にしたっけ…などと思案していたら。
目の前を、すらりとした人影が横切っていった。
反射的に視線で追えば、目に写ったのは鮮やかな橙色の頭髪。

『……黒崎君だ!』

閲覧机の間をすり抜け、図書室の最も奥の棚へと向かって行く後ろ姿。
私はまるで誘蛾灯に誘われた羽虫のように、その後を追って歩き出した。



黒崎君が足を止めたのは、西洋文学…それも、全集の納められた棚。
男の子らしく節の目立つ、でも細くて長い綺麗な指が、一冊の本を引く抜く。
そっと近寄って瞳を凝らせば、引き抜かれた本の周囲には「シェイクスピア全集」と金で箔押しされた背表紙がズラリと並んでいる。

『凄い…あんな難しそうな本を読んじゃうんだ……!』

思わずゴクリ…と唾を飲み込んだ…その音が聞こえたわけでは無いと思うけれど。
人気を察して振り向いたらしい黒崎君と、がっちり視線が重なってしまった。
ぴき、と緊張で身体を強張らせた私の顔を、薄茶の瞳がマジマジと見る。
深まる彼の眉間皺に、咄嗟に後退りしかけたけれど。

「…俺、本選びの邪魔してるか?」

そう、どこか気遣わしげに問う声は、とても静かで優しくて。
私は思い切りブンブンと首を横に振って否定すると、そろり…と足を踏み出し、黒崎君の隣に並んでみた。

「…シェイクスピア、好きなの?」

口から心臓が飛び出そうなほどにドキドキしながら、それを悟られないよう必死に平静を取り繕いつつ、問いかける。
本の目次に落としていた視線を、横目に私へと移した黒崎君は、あからさまに口元を不機嫌そうに歪めると「どうせ、柄じゃねぇ…って言いたいんだろ?」と呟いた。

「そ、そんなこと思ってないよ! わ、わた…私も、ほ、ほほほ本読むの好きだけど、如何にも文学小説ってジャンルには…その、あまり…ていうか殆ど、手を出して来なかったから…。
単純に、凄いな……って」

しどろもどろに伝える私を、胡散臭そうに眺めて。
そのまま無言で、目次に視線を戻す黒崎君。
眼差しの真っ直ぐさと、真剣そのものの表情がとても綺麗に思えて、ついつい横顔に見惚れてしまう。

「あの……」

ためらいがちに声をかければ、先刻と同じように、ちらりと視線だけが投げかけられる。
私は密かに大きく息を吸い込むと、黒崎君的に初心者にお勧めの作品はどれかと尋ねてみた。

「お勧め…って、いきなり言われても……。そもそも普段は、どんなジャンル読んでるんだよ?」
「えと…わりと雑多に読んでて……。
ただ、どんなジャンルのどんな話でも、読後感がすっきりしてたり、気持ちが温かくなるようなのが好きなの」
「悲劇とか.不条理劇みたいのは、苦手ってことか?」
「うん…。あ、あのね?『ベニスの商人』と『ロミオとジュリエット』は、小学生用に易しく訳してあるのを読んだことある。
その二つでなら、やっぱりベニスの商人の方が好き。
それから、テレビで『真夏の夜の夢』の舞台も観たことあるよ! あれは面白かったなぁ…」
「ふぅん…」

軽く、首を傾げて。
暫し考え込んでいた黒崎君は、やがて腕を伸ばすと、一冊の本を棚から抜き出して私に向かって差し出した。

「『ペリクリーズ』…?」
「主人公の男の名前だ。そいつの波乱万丈な人生の物語。
悲劇、喜劇、復讐劇に恋愛、親子愛…色んな要素が入ってて、最後はハッピーエンドだから…多分、楽しめると思う」
「あ…ありがとう…!」

胸元に本を抱き込み、勢い良くぺこり…と頭を下げて。
再び顔を上げたとき、私は思わず目を見張って固まってしまった。
眉間皺が少し緩み、僅かに口の端が上がった…その微笑みが、あんまり優しかったから。
そして。
瞳に宿る穏やかな光に、胸が苦しくなるほどの既視感を覚える。


………おにいちゃん。


「後で、感想聞かせろよ。周囲にあまり読んでる奴居無ぇから、他人がどんな風に感じるのか、興味あるし」
「あ?! う、うん、勿論だよっ‼ 折角選んでもらったんだし…ちゃんと貸出手続きして、読み切るね!」
「おう」

にっ…と口の端を吊り上げて、黒崎君が踵を返す。
閲覧机スペースへと戻っていく後ろ姿を見送りながら、私は胸元に抱えた本を、もう一度ぎゅうっ…と抱きしめた。





【終】
(初出:2017.12.24)
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