実様へ押し売りした短文集
【雪天】
逢瀬の最中に無粋な呼び出しが掛かるのは、大概が隊長を務める俺の方だ。
だけど、その日は違った。
俺たちが寝付いていくらも経たないうちに訪れた地獄蝶は、井上に対しての出動要請を告げるものだった。
遠征に出ていた他隊の一軍が虚の急襲を受け、大勢の負傷者を出して帰還したのだという。
急いで起き上がり、身支度を始める井上。
俺も一緒に瀞霊廷へ……と上半身を起こしかけたところで、素早く、そして意外なほどに強い力で、布団の中に押し戻されてしまった。
井上の、細腕によって。
………あ、なんか既視感。
頭の片隅でぼんやりとそんな事を思った俺の顔を、井上が覗き込む。
若干、眉を逆立て気味にして。
「黒崎さんは、寝ていてください」
「でも……」
「戦闘自体には、勝利した…との事です。黒崎さんが慌てて駆けつける必要は、多分ありません。
むしろ今後の対応として、取り逃した虚に対する討伐隊が組まれるような事があれば、その時こそ零番隊に命が下ると思います。
それを考えたら…今は何よりもまず、休養を優先すべきです。このところ激務続きで、まともに公休を取られていないのですから……」
「………わかった」
身体が疲労で泥のように重いと感じていたのは本当だったから、渋々ながらも肯く。
すると彼女は、ふわり……と表情を和らげて。
「帰ってきたらまた、目いっぱい甘えさせていただきますから」
そう言って、悪戯っぽく微笑みながらちろりと舌を出してみせた。
そんな彼女の心臓に悪い発言と、反して幼さの残る仕草に苦笑しつつ布団から手を伸ばし、胡桃色の髪をくしゃりと掴んで。
しっかりやって来い……そう励ませば、それはそれは嬉しそうに、そしてどこか誇らしげに笑う。
ふいに身を屈め、俺へと近づいてきた彼女の顔に咄嗟に目を瞑れば、優しい口づけが瞼に落とされた。
「……ぐっすり、眠れるように。おまじないです」
顔を赤くして、ただ瞬きを繰り返すばかりの俺。
その視線の先、すっ…と静かに立ち上がった井上は、「行ってきます」と言いながら鮮やかに微笑んで。
踵を返し、胡桃色の髪をふわりと翻しながら部屋を出て、四番隊の持つ救護施設へと急ぎ出かけて行った。
井上のおまじないが効いたのか、自分が思っていたよりも疲労の度合いが酷かったのか……。
次に目を開けた時には、外はすっかり明るくなっていた。
「うわ……もう、とっくに昼回ってんのか」
枕元から手探りで手にした、伝令神機。
表示されている時刻が、直き未の刻になろうかしている事に目を丸くする。
しかしながら障子を通して届く光は、今が冬で元々太陽光が弱い時期だという事を差し引いても、あまりに淡すぎて。
ゆっくりと身を起こし、障子の桟に手をかけ外の様子を伺ってみた。
すると。
「……………雪?!」
目に入ったのは、一面の銀世界。
どおりで寒いわけだ……と、慌てて死覇装の短着を引き寄せ、肩に羽織る。
しんしん……と、音も無く静かに降る雪。
遠くからは、甲高い子ども特有の歓声が聞こえてくる。
おそらくは長屋の子供達が、広場で雪合戦にでも興じているのだろう。
そんな事をぼんやりと思いながら、暫く外を眺めて。
ふ……と、ある事に思い至った。
『井上は、傘を持って行っただろうか……』
立ち上がって部屋を横切り、土間との境の戸を開く。
視線を彷徨わせれば、玄関の脇に立てかけられた傘が目に留まった。
ああ、やっぱり……と、溜息を吐いて。
丁度その時、どこからともなく現れた地獄蝶がひらりと視界を横切った。
後、四半時ほどで帰れそうだ……と。
井上からの伝言を残して、姿を消す綺麗な蝶。
俺は部屋へと引き返すと、死覇装ではなく、普通の着物と羽織の方に袖を通した。
それは、手先の器用な井上が、俺がこの長屋で寛ぐ時のために……と仕事の合間に縫ってくれた物で、厚手の、しかしながらとても柔らかくて肌触りの良い上質の木綿に、裏を付けて仕立ててあった。
「あったけぇな………」
思わず呟き、笑みを漏らす。
そして俺は土間に降り、傘を手に取ると、白い世界へと足を踏み出した。
歩く道には、ほとんど雪が積もっていなかった。
逆に、軒下に高く積みあがった雪に、おそらくは長屋の住人達が一度雪かきをしたのだろうと推測。
多少なりとも物音がしただろうに、気づかず昏々と眠っていた自分が少しばかり情けなく思えて、溜息を吐く。
その時、がらり……と一件の長屋の戸が開いて。
井上が、彼女の兄が死んでからとても良くして貰ったのだ……とかつて紹介してくれた、恰幅の良い初老の婦人が姿を現した。
「あら、隊長さん!」
「こんにちは、おかみさん。寒いですね」
「ホントだよぉ、昨夜からやけに冷えるなぁとは思ったけれど、まさか雪になるとはねぇ。参った参った!
………ところで、織姫ちゃんは一緒じゃないのかい?」
「夜中に、隊の方から急な呼び出しがあって。傘を持って出なかったようなので……」
「お迎えかい?」
「はい」
肯けば、「そうかい」と笑いながら、その井上の三倍の厚みはあるんじゃないかと思われる掌で、ばんっと背中を叩かれた。
「痛って!」
「きっと喜ぶよぉ、織姫ちゃん」
「……そうでしょうか」
「何言ってんだい、当前だよぉ!」
がはは……と笑って。
それからおかみさんは少し切なげな顔をして、雪で朧に霞む瀞霊廷を見あげた。
「思い出すねぇ……仕事に出かけた昊君を迎えに、雨や雪の日に大きな傘をさして、よろよろ歩いていた、ちっちゃな織姫ちゃんの事………」
「おかみさん」
「迎えに来てくれる人が居る、待っていてくれる人が居る、そしてその人の元へ帰れる……ってのは、本当に幸せな事さね。
隊長さん……頼むから、あんたはあの子を泣かすような事をしないでおくれねぇ?」
「………はい」
肯いた俺に、にっこりと笑って。
おかみさんもまた傘を広げると、広場へ続く道へと去っていった。
恐らくは、彼女が自分の子として面倒を看ている子供の魂魄を迎えに行くのだろう。
「帰ってきたら、俺も雪掻き手伝いますから!」
後ろ姿に声をかければ、彼女は顔半分だけ振り向いて。
頼りにしているよ………と、傘を大きく揺すりあげながら笑った。
「……黒崎さん!」
橋の向こうからやってくる人影が、弾むような声で俺の名を呼んだ。
そしてこちらに向かって走り出したことに、仰天する。
「莫迦、滑るぞ!!!」
俺が言いきらないうちに、傾ぐ身体。
慌てて瞬歩を使い、どうにか彼女の後頭部が地面に激突するのを回避した。
「………全く」
「ご、ごめんなさい」
俯く彼女の耳が、赤い。
それは多分羞恥のせいだけではなく、この寒さの所為でもあるのだろう。
頭や肩にうっすらと積もっていた雪を、そっと払ってやる。
すると彼女はくすぐったそうに肩を竦め、それからゆっくりと俺を見あげた。
「迎えに来てくださったんですか?」
「ああ」
肯けば、柔らかく細められる瞳。
嬉しいです……と、額をそっと俺の肩口にくっつけてきたのを良い事に、傘を持ってない方の腕で細い腰を抱き寄せた。
傘に隠れるようにして、掠めるように口づける。
今度こそ、茹蛸のように真っ赤になった彼女に、思わず笑って。
冷え切った小さな手を取ると、ゆっくりと来た道を引き返しはじめた。
「朽木さんが差し入れにと、上等のお肉とお野菜を持って来てくれたんですよ!」
今夜はお鍋にしましょう……と。
腕に抱えていた包みを示しながら、俺を振り仰ぐ井上。
「そりゃあいい、身体があったまるから」
「でしょう?」
嬉しそうに笑う、彼女の。
俺側ではない方の肩に、再びいくつかの白い結晶を見つけた俺は、そっとその細い肩を引き寄せた。
「……もっと、寄れ。そっちの肩、また雪が積もっちまうだろう?」
「あ………は、はい」
はにかんで、躊躇いがちに。
それでも、肩と俺の腕とが触れる程近くに寄り添い歩いてくれる華奢な姿に、心の中、愛しさが募っていく。
静かに降り積もる、雪のように………。
終
逢瀬の最中に無粋な呼び出しが掛かるのは、大概が隊長を務める俺の方だ。
だけど、その日は違った。
俺たちが寝付いていくらも経たないうちに訪れた地獄蝶は、井上に対しての出動要請を告げるものだった。
遠征に出ていた他隊の一軍が虚の急襲を受け、大勢の負傷者を出して帰還したのだという。
急いで起き上がり、身支度を始める井上。
俺も一緒に瀞霊廷へ……と上半身を起こしかけたところで、素早く、そして意外なほどに強い力で、布団の中に押し戻されてしまった。
井上の、細腕によって。
………あ、なんか既視感。
頭の片隅でぼんやりとそんな事を思った俺の顔を、井上が覗き込む。
若干、眉を逆立て気味にして。
「黒崎さんは、寝ていてください」
「でも……」
「戦闘自体には、勝利した…との事です。黒崎さんが慌てて駆けつける必要は、多分ありません。
むしろ今後の対応として、取り逃した虚に対する討伐隊が組まれるような事があれば、その時こそ零番隊に命が下ると思います。
それを考えたら…今は何よりもまず、休養を優先すべきです。このところ激務続きで、まともに公休を取られていないのですから……」
「………わかった」
身体が疲労で泥のように重いと感じていたのは本当だったから、渋々ながらも肯く。
すると彼女は、ふわり……と表情を和らげて。
「帰ってきたらまた、目いっぱい甘えさせていただきますから」
そう言って、悪戯っぽく微笑みながらちろりと舌を出してみせた。
そんな彼女の心臓に悪い発言と、反して幼さの残る仕草に苦笑しつつ布団から手を伸ばし、胡桃色の髪をくしゃりと掴んで。
しっかりやって来い……そう励ませば、それはそれは嬉しそうに、そしてどこか誇らしげに笑う。
ふいに身を屈め、俺へと近づいてきた彼女の顔に咄嗟に目を瞑れば、優しい口づけが瞼に落とされた。
「……ぐっすり、眠れるように。おまじないです」
顔を赤くして、ただ瞬きを繰り返すばかりの俺。
その視線の先、すっ…と静かに立ち上がった井上は、「行ってきます」と言いながら鮮やかに微笑んで。
踵を返し、胡桃色の髪をふわりと翻しながら部屋を出て、四番隊の持つ救護施設へと急ぎ出かけて行った。
井上のおまじないが効いたのか、自分が思っていたよりも疲労の度合いが酷かったのか……。
次に目を開けた時には、外はすっかり明るくなっていた。
「うわ……もう、とっくに昼回ってんのか」
枕元から手探りで手にした、伝令神機。
表示されている時刻が、直き未の刻になろうかしている事に目を丸くする。
しかしながら障子を通して届く光は、今が冬で元々太陽光が弱い時期だという事を差し引いても、あまりに淡すぎて。
ゆっくりと身を起こし、障子の桟に手をかけ外の様子を伺ってみた。
すると。
「……………雪?!」
目に入ったのは、一面の銀世界。
どおりで寒いわけだ……と、慌てて死覇装の短着を引き寄せ、肩に羽織る。
しんしん……と、音も無く静かに降る雪。
遠くからは、甲高い子ども特有の歓声が聞こえてくる。
おそらくは長屋の子供達が、広場で雪合戦にでも興じているのだろう。
そんな事をぼんやりと思いながら、暫く外を眺めて。
ふ……と、ある事に思い至った。
『井上は、傘を持って行っただろうか……』
立ち上がって部屋を横切り、土間との境の戸を開く。
視線を彷徨わせれば、玄関の脇に立てかけられた傘が目に留まった。
ああ、やっぱり……と、溜息を吐いて。
丁度その時、どこからともなく現れた地獄蝶がひらりと視界を横切った。
後、四半時ほどで帰れそうだ……と。
井上からの伝言を残して、姿を消す綺麗な蝶。
俺は部屋へと引き返すと、死覇装ではなく、普通の着物と羽織の方に袖を通した。
それは、手先の器用な井上が、俺がこの長屋で寛ぐ時のために……と仕事の合間に縫ってくれた物で、厚手の、しかしながらとても柔らかくて肌触りの良い上質の木綿に、裏を付けて仕立ててあった。
「あったけぇな………」
思わず呟き、笑みを漏らす。
そして俺は土間に降り、傘を手に取ると、白い世界へと足を踏み出した。
歩く道には、ほとんど雪が積もっていなかった。
逆に、軒下に高く積みあがった雪に、おそらくは長屋の住人達が一度雪かきをしたのだろうと推測。
多少なりとも物音がしただろうに、気づかず昏々と眠っていた自分が少しばかり情けなく思えて、溜息を吐く。
その時、がらり……と一件の長屋の戸が開いて。
井上が、彼女の兄が死んでからとても良くして貰ったのだ……とかつて紹介してくれた、恰幅の良い初老の婦人が姿を現した。
「あら、隊長さん!」
「こんにちは、おかみさん。寒いですね」
「ホントだよぉ、昨夜からやけに冷えるなぁとは思ったけれど、まさか雪になるとはねぇ。参った参った!
………ところで、織姫ちゃんは一緒じゃないのかい?」
「夜中に、隊の方から急な呼び出しがあって。傘を持って出なかったようなので……」
「お迎えかい?」
「はい」
肯けば、「そうかい」と笑いながら、その井上の三倍の厚みはあるんじゃないかと思われる掌で、ばんっと背中を叩かれた。
「痛って!」
「きっと喜ぶよぉ、織姫ちゃん」
「……そうでしょうか」
「何言ってんだい、当前だよぉ!」
がはは……と笑って。
それからおかみさんは少し切なげな顔をして、雪で朧に霞む瀞霊廷を見あげた。
「思い出すねぇ……仕事に出かけた昊君を迎えに、雨や雪の日に大きな傘をさして、よろよろ歩いていた、ちっちゃな織姫ちゃんの事………」
「おかみさん」
「迎えに来てくれる人が居る、待っていてくれる人が居る、そしてその人の元へ帰れる……ってのは、本当に幸せな事さね。
隊長さん……頼むから、あんたはあの子を泣かすような事をしないでおくれねぇ?」
「………はい」
肯いた俺に、にっこりと笑って。
おかみさんもまた傘を広げると、広場へ続く道へと去っていった。
恐らくは、彼女が自分の子として面倒を看ている子供の魂魄を迎えに行くのだろう。
「帰ってきたら、俺も雪掻き手伝いますから!」
後ろ姿に声をかければ、彼女は顔半分だけ振り向いて。
頼りにしているよ………と、傘を大きく揺すりあげながら笑った。
「……黒崎さん!」
橋の向こうからやってくる人影が、弾むような声で俺の名を呼んだ。
そしてこちらに向かって走り出したことに、仰天する。
「莫迦、滑るぞ!!!」
俺が言いきらないうちに、傾ぐ身体。
慌てて瞬歩を使い、どうにか彼女の後頭部が地面に激突するのを回避した。
「………全く」
「ご、ごめんなさい」
俯く彼女の耳が、赤い。
それは多分羞恥のせいだけではなく、この寒さの所為でもあるのだろう。
頭や肩にうっすらと積もっていた雪を、そっと払ってやる。
すると彼女はくすぐったそうに肩を竦め、それからゆっくりと俺を見あげた。
「迎えに来てくださったんですか?」
「ああ」
肯けば、柔らかく細められる瞳。
嬉しいです……と、額をそっと俺の肩口にくっつけてきたのを良い事に、傘を持ってない方の腕で細い腰を抱き寄せた。
傘に隠れるようにして、掠めるように口づける。
今度こそ、茹蛸のように真っ赤になった彼女に、思わず笑って。
冷え切った小さな手を取ると、ゆっくりと来た道を引き返しはじめた。
「朽木さんが差し入れにと、上等のお肉とお野菜を持って来てくれたんですよ!」
今夜はお鍋にしましょう……と。
腕に抱えていた包みを示しながら、俺を振り仰ぐ井上。
「そりゃあいい、身体があったまるから」
「でしょう?」
嬉しそうに笑う、彼女の。
俺側ではない方の肩に、再びいくつかの白い結晶を見つけた俺は、そっとその細い肩を引き寄せた。
「……もっと、寄れ。そっちの肩、また雪が積もっちまうだろう?」
「あ………は、はい」
はにかんで、躊躇いがちに。
それでも、肩と俺の腕とが触れる程近くに寄り添い歩いてくれる華奢な姿に、心の中、愛しさが募っていく。
静かに降り積もる、雪のように………。
終
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