実様へ押し売りした短文集












ギターを、見つけた。





それは、院長を手伝っての物置整理中の事。
ケースから出してみれば、多少年季は入っているものの状態はかなり良くて。
弦さえ張り替えれば、未だ未だ充分演奏に耐えられそうだった。


「………弾けるのですか?」

ギターを手に、動かなくなってしまった俺を振り返って。
穏やかな微笑みを浮かべながら、卯ノ花院長が俺に問う。

少し……というジェスチャーを交えつつ、小さく肯くと。
院長はより一層深く微笑んで、俺の好きにしていいと言ってくれた。

「それは、以前此処で暮らしていた子が残していったものです。
いつか此処の指導員になって戻ってくるからと、地方の教育大に進学したのですが……あの戦争で………」

はっ……として。
ギターから目線を上げた俺の視線の先、院長は酷く透き通った哀しみを湛えた表情で、窓の外を眺めていた。



………どのくらい、経ったのだろう。



院長がゆっくりと、俺を振り返る。
その顔には、いつもどおりの聖母像のような笑みが浮かんでいて………。

「良かったら、弾いてあげてくれませんか?」

一度俺の手からギターを取り上げて。
それを再び俺へと差し出しながら、院長は静かな口調でそう切り出した。

「きっと……あの子も、喜ぶでしょう」




そうして俺は、また一つ。
命の証を、預かる事になった。










部屋に持って行って構わない……との言葉を有り難く思いつつも、その日は物置の隅に置いたままにして。
翌日、街へ補修材の買い出しに出たついでに、弦を買いに立ち寄った。

予め用意しておいたメモ用紙を、カウンター内の店員に渡す。

若い女性の店員は酷く戸惑ったような表情で、メモ用紙と俺の顔を交互に見て。
電話機の隣にあった紙と鉛筆を手に取ると、そこに何かを書き付け、俺にそれを見せた。

『何セット、ご入り用ですか?』

差し出された鉛筆を握り、返事を書く。

『1セット。それから、声は出せませんが耳は聞こえていますので』

店員はほっとしたように息を吐いて、にこりと笑って。
少々お待ちください………と頭を下げて、店の奥へと姿を消した。





代金を払い、弦と釣り銭を受け取って店を出る。
途端に身体にまとわりつく、熱気。
今年の夏は、何とか言う気流のせいだとかで、例年よりも暑くなるらしい。

額に流れる汗を、手の甲で拭う。

そのまま、額に手を翳して。
見上げた空は、どこまでもどこまでも………。

抜けるように、蒼い。





十年前に終わった、戦争。
その、最後の戦いで。


俺は、声を失った。


その事を、不幸と思った事は無い。
何故ならば。あの日……俺が本当に失う事になっていたの、は。

俺の、命……それ、そのものだった筈なのだから。



生きて、この国に還って来られた。
しかも、腕や足を失ったり、半身不随になって生還した人間が多くいる中で、火傷痕こそ残っているものの、俺の四肢や体躯には何の障害も残ってはいない。


………奇跡。


そう……正に、奇跡なのだ。
俺が今、此処でこうしていられる事、は。


ましてや、好いた女は十年も俺を待ち続けていてくれて。
こんな俺を、伴侶に選んでくれて。

そして、今。
彼女の胎内には、新たな命が宿っている。





………幸せ、だった。
心が押しつぶされてしまいそうな程に。







それでも。

時折、ふとした瞬間に。
微かに心が揺れる事がある。


俺はもう、彼女の名を呼べない。

想いを声に乗せて、伝える事も。
教えて貰った歌を、一緒に口ずさむ事も。


これから生まれてくる我が子は、俺の声を知らずに育つ。










ああ………俺、は。
俺の心、は。魂、は。

なんと浅ましく、愚かで、無い物ねだりに出来ていることか………!


孤児院で暮らす子供達を、見ろ。
彼らの多くは、親の声はおろか顔すら知らない。

そして。

そんな子供たちは、多分、あちらの国にも大勢居るに違いない。
その中には、親が軍人だった子供だって居るだろう。

おそらく、は。
俺が撃ち落とした、戦闘機乗りの子供も………。







ごめん。
ごめんなさい。

俺は、生きてる……の、に。










ベッドに腰掛け、弦を張り替える。
調弦し、コードを変えて幾度か鳴らしてみた。

『………うん、悪くない』

思わず、口の端に笑みが浮かぶ。

そのとき。
風に乗って窓の外から届いた、歌声。
子供たちが、公園から戻ってきたのだろう。

無邪気で明るく、弾むような歌声。
それに混じって、一際高く伸びやかに響くのは、織姫の声だった。


目を閉じて。
しばし、その綺麗な歌声に耳を傾ける。


やがて、門を開く音。
院の庭に入ってもなお続く、歌声に合わせて。
少し強めに、俺はギターの弦を弾いた。


瞬間……止まる、歌声。


構わずコードを先に進めて弾き続けると、次のフレーズの頭から、再び織姫が歌いだした。
その声に、ひとり…またひとり………と。
次々に加わっていく、子供たちの声。

最初は斉唱だったのが、歌の得意な子供たちが音を重ね始め、いつしか大合唱に………。
最後の一音を長く伸ばして歌い切ると、庭からは大きな歓声と拍手が沸き起こった。

窓下に駆け寄る幾つかの靴音に、ギターを置いて立ち上がる。

「凄い凄い! 一護先生、ギター弾けるんだ?!」

窓枠にしがみつくようにして問いかけてくる、瞳を輝かせた男の子達。

「ねぇねぇ、今度俺に教えてよ!」
「あっ?! 一護先生、俺にも俺にも!!」

俺が一番に教わるんだ、いや、ここは習いたい奴で公平にくじかじゃんけんだ……そんな軽い争いを始めた子供達の頭を、苦笑しつつ順にくしゃくしゃとかき回す。

「………一護先生?」

遠慮がちに声をかけてきた女の子に視線を向けると、他にも弾けるかと尋ねてきた。
肯いてみせると、彼女はとあるミュージカルナンバーを口にした。

元気になれる曲だから………と。
織姫が子供達に教え、院内では割と頻繁に歌われるものの一つだ。

「弾ける……?」

心配そうに首を傾げ、俺の顔を覗き込んだその瞳に、笑いかけて。
俺はもう一度、ギターを手に取った。


出だしのコードを数小節分、前奏代わりに弾いて。
織姫の合図で、再び子供たちが歌い出す。

今度もまた、綺麗にハーモニーを生み出す子。
陽気なその曲調に、我慢しきれず踊り出す子。

その時の孤児院の庭は、まるでちょっとした祭のようだった。



織姫が、俺に手を振る。

歌いながら、微笑いながら。
嬉しそうに、楽しそうに。

そして、とても幸せそうに………。








………なぁ、織姫?

子供が、産まれたら。
子守歌を歌う君の隣で、ギターを弾こうか。

君が居ない時は、君の代わりに。
歌う代わりに、やさしく弦を奏でようか。

あの空に、届くよう。
海の底にも、届くよう。

星の彼方にまででも、届くよう………。



護れなかった、命。
俺が奪った、命。

ごめん。
ごめんなさい。

償えないと、知っている。
慰めになど、ならないことも。


それでも、せめて…………。


弾き続けよう。
鎮魂歌を。命の、子守歌を。

俺の命が、尽きるまで。
この指が動かなくなる、その時まで。




たとえそれが、自己満足だと解っていても………。




紡ぎ続けていくよ。
祈りの調べ。
此処で……この、場所で………。


空の上から…では、なく。
この、大地から………。














(ごめんなさい。ありがとう。俺は此処で、生きています)

終
2/4ページ
スキ