夕風 花の香 茜雲



【最終話】








「今年も綺麗に咲いたわねぇ! 本当に良い香りだこと…!!」

ご近所さんからの声かけに笑顔で答えながら、すっ…と伸びた茎に鋏を入れる。
茎の先で揺れるのは、紫色の可愛い花穂。
つみ取った穂に顔を近づけ、深く息を吸い込めば、甘さと清涼さが絶妙に混ざり合った豊かな香りが、心身を満たしていく。

あの日から、かれこれ十年が経った。
その間に、家族の仕事の都合で東京から遠く離れた土地に移り住み、私自身も仕事を変えたため、彼の地との縁は今では完全に切れてしまっている。

……それでも。

前の住居地から移植したラベンダーが毎年花を咲かせるたび、私の心は期待に浮き立つのだ。
今年こそ、どこかで逢えるかも知れない……と。
夕焼け色したふわふわのくせ毛の、あの男の子に。

「……そろそろ、声変わりしてたりするのかな」

父親がかなり高身長だったから、背もぐんと伸びていることだろう。
母親は母親でアイドルのようなお顔立ちだったから、かなりの美少年に育っているかもしれない。
そんなことを考えながら花穂をつみ取り、それをポプリやスティックに加工する時間は、至福であり癒しでもある。

だって……。
誰が何と言おうと、何年経とうと、私は信じているのだ。
あの子が別れ際にくれた、「またね」という言葉を。
ご両親のお墨付きの、あの子の「勘の良さ」を。










……半月後。
私は懇意にしている女将が経営する、小さな海辺の旅館に来ていた。
ラベンダーで作ったポプリやスティックを、届けるためだ。

小規模ならではの行き届いた心配りと家庭的な雰囲気が売りのその場所は、夏にはスポーツクラブや学校の部活動の合宿先として賑わっている。
そんなお客様…特に小中学生のお子さんの中にはホームシックにかかってしまう子も居るらしく、女将は希望するお客様には、私の作ったスティックやポプリを貸し出すのだそうだ。

「毎年、とても助かっているのよ」

お礼と共にそんな言葉を頂くと、嬉しさと気恥ずかしさで、なんだかくすぐったくなってしまう。

早速、カウンターの片隅にスティックを挿した花瓶を飾り、安眠効果有りとの張り紙を用意する女将さん。
その様子を、他愛ない世間話をしながら眺めていると、玄関の外から複数の足音と声が聞こえてきた。
入り口の歓迎看板に、何処ぞの空手道場ご一行様との記載があったから、おそらくは門下生達が稽古から戻ってきたのだろう。

何とはなしに、玄関を振り返って。
ちょうど扉の内側になだれこんできた道着の集団を目にした私は、思わず大きく目を見開いた。
疲れ切ってげんなりとした表情を浮かべている少年少女が多いなか、たったひとりだけ、にこにこと愉しげな笑顔を浮かべている……その男の子の頭髪が、目にも鮮やかな橙色だったからだ。

「……あれ? ラベンダーの匂いがする…」

ぱちり…とひとつ、瞬きをして。
きょろきょろと周囲を見渡し始めた男の子の視線と、私との視線が、かちり…とぶつかる。

「あ…?!」

目玉が転げ落ちるのではないかと心配になるほどまんまるになった目が、ふわり…と柔らかく細まって。
同時に、よく通るテノールの声が玄関ホールいっぱいに響き渡った。


「ラベンダーの、お姉さん!」


お久しぶりです…と近づいてくる人影は、既に私の身長を超えている。
懐かしさと、嬉しさと、ほんのちょっぴりの淋しさと…そんな複雑に絡み合った感情で胸をいっぱいにしながら、私もまた、少年に向かって一歩を踏み出した。









終
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