マドンナたちの休息時間
「卒乳した」という報告は、二ヶ月程前に織姫から受けていた。
だからと言って、何故それを理由に、「ちょっと、デートにでも誘ってやってくんね?」などという連絡を、一護から受けねばならぬのだろうか。
しかも、極秘任務用の回線で。
長い沈黙から、私の困惑といぶかしみを察したのであろう。
一護はため息混じりに、「僅かな時間で良いから、俺や一勇から解放してやりたい」のだと打ち明けた。
「——育児鬱にでも、なりかけているのか?」
その問いかけには、否…と即答された。
しかしながら、家事に関しては比較的うまく手を抜くことのできる織姫が、こと育児に関しては過剰に完璧さを求めているように見えて、時折不安を覚えるのだ…と言う。
「実父母のようになるまい…と、気負いすぎてるように見えるんだよ。
かといって現世での友人や近しい親族には、育児経験のある奴は殆ど居ねぇし。
だから、ルキアなら…と思ってな。
少しの間でいいからあいつの話相手になってやって、俺や一勇に気兼ねすることなく、自分優先に楽しむ時間を過ごさせてやって欲しいんだ。
最近は殆ど自分のための買い物もしてないようだから、できればそれも…」
「なるほど、な」
双方既婚者で、子持ち同士。
しかも私の方が、ほんの少しだけ育児歴が長い。
話題の共通性も高く、ちょっとした不安や疑問も口にし易いだろう…ということか。
「そういうことなら、喜んで協力させて貰おう。織姫と二人で過ごすのも、現世でのういんどーしょっぴんぐも、久しく機会が無かったしな!」
多少大げさに声を弾ませて承諾の意を伝えれば、一護はあからさまに安堵のため息をつき、よろしく頼むと真摯な声で告げてきた。
通話が切れると同時に、隣で苺花の髪を結いながら聞き耳を立てていた恋次が、相変わらず過保護だな…と苦笑混じりに呟く。
「仕方あるまい。それがあやつの、数少ない長所のひとつでもあるのだし」
ふんっ…と、我ながら意地の悪さを自覚しつつ鼻を鳴らしてみせれば。
恋次はくつくつと喉の奥で笑いながら、「違いねぇ!」と相槌をうって寄越した。
……かくて。
数日後の昼下がり、私は織姫と連れだって、空座町に建ったばかりだという「しょっぴんぐもーる」とやらに出かけた。
織姫が比較的躊躇なく誘いに乗ってくれたのは、もーるから徒歩数分の浦原商店を、一護と一勇の待機場所としたからだろう。
何せ、あそこの地下は巨大な広場だ。
外遊びが好きだという一勇は当然気に入るだろうし、雨は勿論、ジン太もあれで結構面倒見は良い。
夜一さんが猫化していたのも、恐らくは遊び相手になる気満々だからだ。
浦原は浦原で、何かと機会を設けては、一勇の様々なデータを収集しているようだし。
まぁ…そんなことは、さておき。
もーるの、主に雑貨を扱う店舗が並ぶ階を訪れた私と織姫は、可愛らしいものや細工の美しいもの、それでいて多かれ少なかれ実生活で使える機能を併せ持つ小物類を、端から端まで存分に堪能して歩いた。
気に入った小物を手にとり、瞳を煌めかせながら小さな歓声を上げ、うっとりと瞳を細めて嘆息する織姫は、同性の私の目から見ても大変に愛らしい上に、年相応の仄かな艶をも纏っている。
故に、通りすがる男性の視線を集めてしまうのはある程度仕方がないのだろうが、もし、今この場に一護が居たならば、さぞかしドス黒い霊圧を全身から噴き上げ、眼光鋭く男達を威圧したに違いない。
『挙げ句の果てには織姫の肩や腰に手を回し、これ見よがしに周囲にみせつけたりなどするのであろうよ』
そんな空想を働かせながら苦い笑みを零していると、織姫がそっと私の耳元に唇を寄せた。
そして、今しがたすれ違った若い男女連れ、その男の方が私に見惚れ、連れの女性に腕を抓られていた…と、囁く。
「もしも恋次君がいたら、さり気なくルキアちゃんの肩を抱いたりとかして、周囲を牽制しそうだね…」
ふふ…と小さく笑いながらの織姫の言葉に、私は真っ赤になって俯いてしまった。
“灯台もと暗し”とは、このことか…と恥入りつつ、小さくため息を吐く。
自分自身や近しい者に対して客観的な視線を保ち続けることは、存外難しいものだ。
程なくして私達は階を移り、甘味処の暖簾をくぐった。
時計に目をやれば、一時間半以上も雑貨階をうろついていたことになる。
楽しい時間は、何故こんなにも早く過ぎ去ってしまうのだろう…そんなことをぼんやりと考えながら、運ばれてきた宇治抹茶ぱふぇを口に運んだ。
目の前ではくりーむあんみつを頬張った織姫が、餡子の甘さ加減が絶妙だと絶賛しながら、とろけるような笑みを浮かべている。
ちなみに卓上にはわらび餅やら串団子など、他にも数点の皿が並んでいた。
卒乳のお祝いとして私が注文したものだが、この分なら織姫はほぼ間違いなく完食してくれるだろう。
色々な面で、相変わらずだな……と。
胸の内に沸き上がる安堵と可笑しさに笑いを堪えながら、育児あるあるを中心に話に花を咲かせる。
そして菓子の皿が粗方空になったころ、織姫は脇に置いていた紙袋の中を覗き込んで、百面相を始めた。
瞳を柔らかく細めて微笑んだかと思えば、不安げに首を傾げて眉尻を下げる。
その、くるくると変わる表情を眺めているのは楽しくもあったが、何を考えているのかと些か心配でもあった。
「かずくんも、一護くんも、気に入ってくれるかなぁ……」
呟く声に、百面相の理由を理解する。
同時に、織姫の購入品がいずれも家族のためのものばかりであったことに、今更ながらに気が付いた。
そのこと自体は大変に織姫らしいと思いつつも、このままでは一護の口にした最後の願いは叶わない。
かといって、己自身のものを何か一つでも買ったらどうだ…と織姫に勧めたところで、笑って首を横に振られてしまう気がした。
……一体、どうしたものか。
考え込む私の視線の先では、織姫が持ち帰りできる菓子類の棚を物色している。
家族への土産と、浦原商店の面々に渡すお礼の品を選んでいるのだ。
何の気無しにその後ろ姿を眺めていた私の脳裏に、ふいに、稲妻が走るように妙案が浮かんだ。
「……これなら、うまくいくかも知れぬ」
お待たせ…と紙袋を手に席に戻ってきた織姫に、私は「もう30分くらい買い物を続けても大丈夫だろうか」と問いかけた。
現在時刻が表示されている携帯電話の画面と暫しにらめっこをしたのち、「30分だけなら」と織姫が頷く。
その返事に、にぃ…と口の端を吊り上げると、私は先ほどの思いつきを口にした。
「その30分で、お互いへの贈り物を探さないか?」
私の言葉に大きく目を見開いた織姫は、ぱちり…とひとつ瞬きをしたのち、にっこりと笑って頷いてくれた。
その姿に、内心密かに拳を天に突き上げる。
これで少なくとも30分間は、織姫の意識の中心になるのは、家族ではなく私だ。
加えて、織姫は罪悪感を感じずに自分のための何かを手に入れることができる。
私にとっては織姫の好みを決して外さぬ品選びを…という重圧が少なからず生じるものの、それは何かの遊技に興じるような楽しさを含んでいた。
善は急げとばかりに伝票を手にし、荷物をまとめて会計を済ませる。
受け取る側として負担の感じない金額を予算に設定し、落ち合う場所を決めると、私たちはそれぞれ別の階で自動階段を降りた。
「……で、お前は何を選んだんだ?」
「内緒だ」
何だよ、教えろよケチ…と口を尖らせる恋次に、いつの日にかわかることもあるだろうよ…と、私はすまし顔で答えた。
「織姫の性格を考えれば、贈り主の目に留まる機会には極力身に付けようとするだろうし、その場にお主が居たならきっと、私から受け取ったものだと報告するだろうよ」
「なるほどね……んでもって、『身につけようとする』ってことは、装飾品の類か?」
「まぁ、そんなところだ」
軽く肩を竦めながら、寝返りした拍子にはだけてしまった夏掛けを、苺花の身体に掛け直す。
その小さな腕の中には、私がお土産として渡した兎の縫いぐるみが抱え込まれていた。
思っていた以上に気に入ってくれたようで、何よりである。
「ところで、お前は何を贈られたんだ?」
「ああ…これだ……!」
帯の中央を指させば、良いものを貰ったな…と恋次が優しく瞳を細めた。
「何気に、苺花とお揃いじゃねぇか」
「うむ。流石は織姫だな」
頷きながら、そっと指の先で触れてみる。
織姫が選んでくれたそれは、落雁のような風合いの作りの、兎を象った小さな帯留めだった。
終