アンソロジー寄稿作



【天使の休息 戦士の午睡】






井上が倒れた…と、連絡があったのは。
見えざる帝国との戦争終結後、瀕死の重傷を負った死神達への応急処置が一段落したとの報を受けてから、幾らも時間が経たないうちのことだった。
 
このときの俺は、チャドや石田、岩鷲と共に、井上の詰めていた四番隊舎とは随分と距離を隔てた場所に居た。
井上の、六花のような能力は勿論のこと。
親父やルキアのような鬼道の才にも乏しく、石田の親父のような医療技術も持たない俺達は、瓦礫の撤去などの力仕事を主に手伝っていたからだ。
 
『急ぎ診察しましたが、恐らく過労によるものと思われます。ここ数日、不眠不休でご助力くださいましたから』
「…そうですか……」

借り受けていた伝令神機から聞こえる虎徹勇音副隊長の声に、大きく息を吐き出す。
どうやら無意識に、呼吸を止めてしまっていたらしい。

『本来ならば四番隊で責任を持ってお預かりするべきところですが、ご存知のとおり現在は、我が隊の医療施設はおろか、他隊の救護室や隊舎の空き部屋すら負傷者で埋まっている状況です。
井上さんには大変申し訳ないのですが、栄養剤の点滴のみこちらで済ませ、その後は朽木邸に移っていただくことになりました』
「朽木邸って……つまり、ルキアん家ってことですか…?」
『はい。現在皆様がお泊まりの志波の家では、賑やかすぎて静養には向かないだろう…との、朽木副隊長のご判断で』
「………まぁ、確かに」
『黒崎さん宛のご伝言も、預かっていますよ。できるだけ早く、朽木邸までいらして欲しいそうです。
そろそろ、道案内役の地獄蝶がそちらに着くころでしょう』

その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ちいさな黒い影が視界の端を掠めた。
視線だけそちらに向ければ、揚羽蝶に似た蝶が、星空を切り取ったような美しい羽根を羽ばたかせながら、優雅に宙を舞っている。

『では、確かにお伝えしましたよ。
井上さんがお目覚めになられたら、一度こちらにご連絡ください。
お体の状態如何によっては、隊士を派遣するなど致しますので…』
「わかりました。
あの…俺がお礼を言うのも変かもしれませんけど……色々とありがとうございます」
『いえ……。
井上さんが私達にしてくださったことに比べたら、ほんの些細なことです』

穏やかに微笑む気配が、小さな機械の向こう側から届いて。
程なくして、ふつり…と通話が切れた。
今すぐにでも走り出したい気持ちを落ち着けるために、深い呼吸を繰り返しながら、敢えてゆっくりとした動作で伝令神機を耳から離し、懐へと納める。
その最中、躊躇いがちに名を呼ぶ声に背後を振り返れば、チャドと石田が不安げに眉根を顰めて俺を見つめていた。
通話の内容をかいつまんで話せば、二人ともに口を揃えて、直ぐさま此処を発て…と言う。

「けど……やらなきゃならねぇことは、未だ沢山残っ…」
「いいから、さっさと行きたまえ。後は僕と茶渡君とで、どうとでもするから。
もうじき、岩鷲君も戻ってくるだろうしね」

石田の言葉に、茶渡もまた深く頷いて。
いつものように口の端に小さく笑みを刻みながら、親指をびしり…と突き立ててみせる。

「……悪ぃ。じゃあ俺、行って来るな!」

二人に向かって軽く片手を挙げながら踵を返すと、地獄蝶の導くままに、瓦礫だらけの道を走り出した。







「………でっけぇ…」

屋敷の正門前で、呆然と呟く。
目の前にそびえ立つ大扉は、見るからに頑丈そうで。
内側から閂が掛けられているのか、試しに両手で力任せに押してはみたものの、びくとも動かない。

死神の力を使えば扉を破れないこともないだろうし、或いは塀を飛び越えてしまうことも可能だ。
しかしながら、それはあくまで最終手段であるのだということは、いくら無知で気の利かない俺でも分かる。

「…かと言って、どうやって入りゃあ良いんだか……」

周囲を見渡してみても門番らしき人影はなく、途方に暮れかけた時だった。
大門脇の小さな木戸が開いたかと思うと、中からひょこり…と顔をのぞかせた少女が一人。
俺と視線が重なると、ぱぁ…っと顔を輝かせ、「黒崎一護様ですね!」と弾む声で名を確認してきた。

少々面食らいながらも肯けば、「お待ちしておりました。どうぞ、お入りくださいませ!」と、屈託の無い笑顔で塀の内側へと手招かれる。
こくり…と、ひとつ唾を飲み込んで。
俺はくの字に身を屈めながら、小さな木戸をくぐり抜けた。


「申し訳有りません、普段はちゃんと門番が居るのですが、今は白哉様のご指示で、使用人の大多数が復旧作業や炊き出しなどの手伝いに出向いておりまして。
ルキア様が黒崎様の霊圧を関知されて直ぐに私が門へと向かったのですが、少しばかりお待たせしてまったようですね。
重ねてお詫び申し上げます」
 
そんな説明と謝罪の言葉とを聞きながら、だだっ広い庭園を横切っていく。
やがて、客用の離れだという小振りな(と言っても、現世の一般的な戸建の三倍近い大きさは、優にあるのだが)建物へと案内された俺は、内部に足を踏み込んだ途端、ぎょっ…と大きく目を見張って立ち竦んでしまった。
純和風な外観とは裏腹に、内部はコテコテの洋風仕様(ロココ調とか言うんだっけ?)だったからだ。
 
「この建物の内装は、ルキア様が現世にいらした頃の愛読書であった絵物語の、主人公のお家を模して設えられております。
発注されたのは白哉様で、計画当初は外装も似せようとお考えだったようですが、他の建物や庭園との釣り合いが取れないとのことで、最終的にこのような形に落ち着きした」
「はぁ……」

解説を聞きながら、そう言えば…と、出会ったばかりの頃のルキアが、翡翠のなんちゃらとかいうタイトルの漫画を夢中になって読んでいた姿を思い出す。
少女向けの漫画だから俺は読んだこともないし内容も知らねぇけれど、表紙画の背景に大きな洋館が描かれていたことだけは、何となく覚えていた。
 
『金持ちのやる事って、どうしてこうも極端なんだろう……』

感嘆とも呆れともつかない感想を内心に抱きながら、少女の後に続いて玄関ホールを横切っていく。
板張りではなく、大理石のタイルが敷き詰められた廊下を突き当たりまで進めば、大きな木製の扉の前へと辿りついた。
ドアを二度ほどノックし、案内役の少女が凛と声を張り上げる。

「ルキア様、ちよにございます。黒崎様をお連れいたしました!」

二呼吸分ほどの時間が経ったところで、蝶番を微かに軋ませながら扉が開いた。
しかしながら、中からぬっ…と姿を表したのはルキアではなく、馴染みの赤毛のっぽだった。

「ご苦労だったな、ちよ!」 

まるで可愛い妹でも見るような穏やかな顔つきで、恋次が少女に労いの言葉をかける。
その様子を見守りながら、俺は自分の眉間に皺が刻まれていくのを自覚していた。

「……何で、手前ぇが此処に居るんだよ」
「何で…って……俺が井上を運んで来たからに決まってんだろ。
尸魂界全体が混乱を極めて人手も足りない状況で、輿や駕籠なんざ頼めやしねぇし、どこもかしこも瓦礫だらけとくりゃあ、乗り物だって使えねぇ。
抱き抱えて瞬歩使っちまった方が、断然早ぇし安全ってもんだろうが。
んでもって、ルキアが井上に対してそれをやるには、体格的に無理がある」
「………」

恋次の言うことは、至極尤もなことばかりで。
それでも『抱き抱えて』という言葉ばかりをついつい脳内で反芻してしまい、より一層、眉間皺を深めてしまう。
 
「……あのな。
お前だって終戦直後には、同じやり方で大勢の負傷した隊士達を、男女問わず大勢運んだだろうが。
それと、同じだ」

呆れ顔で俺の顔を見返しながら、軽めの拳骨を一発、恋次は俺の脳天へと見舞った。
そして顎をしゃくり、室内へ入るよう促す。
俺は大袈裟な仕草で脳天をさすりながら、恋次が広げてくれたドアの隙間へと、体を滑り込ませた。







「……井上っ…!」

天蓋付きのベッドに横たわる姿が目に入った途端、思わず大きな声を上げてしまって。
ベッドの傍らに置かれた椅子、そこにに腰掛けていたルキアに、振り返りざま思いっきり睨みつけられてしまった。
慌てて手で口を押さえ、足音を忍ばせてベッドへと近づく。

ルキアの肩越しにのぞき込んだ井上の顔は紙のように白く、生気というものがまるで感じられなくて。
僅かに上下する胸元を確認して漸く、俺は安堵の息を吐き出すことができた。

「力を使い過ぎたのだろう……全く、無茶をする…」

低めた声と深い溜息とが、ルキアの口から押し出される。
ちらり…と横目に表情を伺えば、辛そうに顔を歪め、下唇をきつく噛みしめていた。

ルキアにとって井上は、人間と死神という垣根を越えて友情を育むことの出来た、とても大切な存在だ。
そんな井上を、世界の存亡をかけた大戦に巻き込んでしまったこと。
そして、終戦後も過労で倒れるほど、尸魂界が彼女を頼らざるを得なかったことに、死神としても友人としても、必要以上の責任を感じているのだろう。

俺が無言でルキアの肩に手を置けば、ふ…と小さく息を吐き出して。
一度ぎゅっ…と目を閉じた後、ゆっくりとした動作で椅子から立ち上がった。

「……済まぬが、そろそろ私は隊務に戻らねばならぬ。
本音を言えば、井上が目覚めるまで付き添っていたいのだが……浮竹隊長が居ない今、副隊長としての責務を優先せねばならぬのでな」 
「そりゃあ、当然のことだろ。
井上だって、そのくらいのこと理解ってるさ。お前の親友なんだから」

俺の顔を振り仰ぎ、前髪の隙間から、不安げに揺れる紫紺の瞳を覗かせるルキア。
俺がにっ…と口の端を吊り上げてみせれば、漸くその表情が和らぎをみせる。
 
「……後を頼めるか、一護?
志波家よりも安静に過ごせるだろうと此処に連れてきてしまったが、見知らぬ場所でひとり目覚めるようなことになっては、井上も心細かろう」
「ああ…確かに、そうかもな……」
 
俺が肯くと、嬉しそうに目を細めて。
しかしながら次の瞬間、まるでお面の表と裏とをくるりとひっくり返したかのように、ルキアは眦をきっ…と吊り上げ、酷く険しい表情で俺を睨みつけてきた。

「……な、何だよ?」

思わず半歩後退されば、そうはさせじ…とばかりにルキアに死覇装の襟を掴まれ、ぐい…っと上体を引き寄せられる。
そして、あと数センチで額がぶつかるような至近距離から、それはそれはキツい口調で言い渡されたのだ。
 

もし井上に不埒な真似を働くようなことがあったら、只では済まさぬからな……と。

   
「あ…当ったり前だろーがっ!」

ついつい大声を出してしまった俺に対し、「馬鹿者、井上が目を覚ましてしまうではないか!」と、すかさず小声で苦言を呈すルキア。
同時に、結構な力の強さで、鳩尾に拳を突き立てられる。
床にうずくまって痛みに呻いていると、「一護に、そんな心配は要ら無ぇよ」とルキアを宥める恋次の声が耳に届いた。
流石は、恋次! 俺のことを、ちゃんとわかってくれているじゃねぇか…などと、感謝の念を抱いたのも束の間のこと。

「そもそもコイツに、寝込みを襲う度胸なんざあるかよ」

続く言葉に、思わず床に突っ伏した。
恋次……それ、フォローになって無ぇよ。
 
それもそうだな…と、あっさり納得するルキアにも腹が立った。
そもそも意識失ってる病人相手に手を出すなんて、男としてどうとか以前に〝ひと〟として終わってんだろ!

——そう怒鳴りつけてやりたかったが、井上が絡むと少なからず言動に冷静さを欠く傾向のあるルキアに下手な反論をして、泥沼な言い争いになるのも面倒だった。
故に、ぐ…っと喉に力を込めて押し黙る。

「では一護、井上を頼んだぞ! 
良いか、くれぐれも間違いだけは起こしてくれるなよ!」
「しつけぇよ! 二人とも、さっさと隊務に戻りやがれ!」
 
小声での応酬は、閉じられた扉によって強制終了。
俺は溜息を吐きつつ床から立ち上がると、つい先刻までルキアが座っていた椅子へと腰を下ろした。 







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