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「『妹』だなんて思ったことは、出逢ってからこの方、一度だって無ぇぞ!」
そう言い放った後、黒崎君は慌てたように口を押さえた。
うろうろと視線をさまよわせるその顔も、髪から覗く耳も、口を押さえる手も…衣服に覆われていない皮膚の全てが、紅く染まっている。
「……くろさき、くん…?」
掠れる声で名を呟けば、びくりと身体を強ばらせて。
相変わらず赤い顔をしたまま、途方に暮れたような目をして私の顔を見返した。
その、まるで迷子の子犬のような表情、に。
とくり…と甘く鼓動が高鳴り、きゅう…と切なく胸の奥が痛む。
ままならぬ呼吸に、喘ぐように息をした。
どくり、どくり……と、自分の心臓の鼓動がやけに大きく耳に響く。
『……もういっそのこと、全てぶちまけてしまおうか』
想いを呑み込み押し殺すばかりの日々は、穏やかに過ぎてはいくものの、真綿で首をじわりじわりと絞められているかのように苦しくて。
駄目なら駄目で、もう、いいじゃないか……と。
どうせ、あと少しで卒業なのだから。
気まずい想いをすることになったって、それはホンの僅かな日々のことなのだから。
家庭研修期間に入ってしまえば、通学路で行きあうことも校内ですれ違うこともなく、いざ卒業さえしてしまえば、進路の違う私たちが逢わずにいることなど、あまりに容易だ。
ぎゅっと、手の中の焼き芋を握りしめて。
ひとつ大きく息をすると、私は思いきって口を開いた。
「くろさき、くん……あの…あの、ね…? あた…あた、し……くろさきくんの、こと…」
緊張でわななき、思うように動いてくれない唇から、どうにかこうにか震える声を押し出して。
胸の奥底に押し込めてきた大切な二つの音を、夕焼け空の下に解き放とうとした……まさに、そのときだった。
「ごめん、いのうえっ……!」
切羽詰まった黒崎君の声に、反射的に口を噤む。
瞠目する私に向かって、ぎこちなく微笑んだ黒崎君は、まるで小さな子供に言い聞かせるような口調で告げた。
その先は、絶対に言わないでくれ……と。
瞬時に、冷水を浴びせられたような感覚が心身を襲う。
だけど……。
「その先は、いつかきっと、俺から言うから……」
息を呑む私の手から、食べかけの焼き芋が転げ落ちた。
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「っと……!」
井上の手から転げた芋を、地面すれすれのところで受け止める。
安堵の溜息を吐いたところで、頭上からぽつり…と井上の声が落ちてきた。
「いつか……?」
ゆっくりと顔を上げれば、俺を見下ろす井上の視線とぶつかる。
いつもと変わらず怖いくらいに透き通った瞳は、しかしながら風が水面に紋を刻むように、不安と戸惑いととが幾重にも刻まれ、ゆらゆらと不安定に揺れていた。
……そりゃ、そうだろう。
逆の立場であったなら…と考えれば、今の井上の心の内など容易に想像がつく。
だから先ず最初に、俺は言ったんだ。
巧いこと躱そうだなんて、思ってねぇからな……と。
「黒崎君……」
微かな声で俺の名をこぼしたきり、再び黙り込む井上。
俺は井上の手の中に焼き芋を戻してやると、まっすぐに背を伸ばして、井上の瞳を真正面から見つめた。
「いつか、必ず…そう決めているのは、嘘じゃねぇ。
けど…じゃあ何で今じゃ駄目なのか…てのを、井上に納得して貰えるように説明する自信も、正直無ぇんだ。
それでも、聞いてくれるか……?」
数秒の沈黙ののち、こくり…と前に倒される細い首。
俺は一度目を閉じ、大きく息を吸い込込んだ。
「……本当は、な? 今だって…すぐここまで、出掛かってんだよ」
ゆっくりと瞼を持ち上げながら、左手で喉元を押さえる。
「でも…言えねぇんだ。その資格が、今の俺には無ぇ…って、どうしようもなく思うから」
「……資格…?」
呟きながら、僅かに首を傾げる井上。
俺は無言で頷き返すと、自分の右手に視線を落とした。
「あの日…俺が昊さんを、あっちに送った日……俺は“兄”とはどうあるべきものか…なんてことを、そりゃあもう偉そうに説教垂れたんだ。
だけど、今ならあの日よりももうほんの少しだけ、理解るような気がするんだ。なんで昊さんが、虚なんかになっちまったのか…ってこと。ああ成らざるを、得なかったのかな…って……」
「………」
「昊さんが小さな井上を連れて、実家から離れることを決めたのは、今の俺たちとほぼ同じ時期だったろうよ。
それはとんでもなく凄ぇ決断だったんだな…って、今更ながらに思うんだ。
少し前に進路室で求人票をぱら見してみたけど、高卒の初任給なんてホンとたかが知れててよ…そんな給料で、お前抱えて、どんだけ必死に生きてきたんだろう……そう考えたら、息をするのも辛く感じるほど、胸が苦しくなった。
翻って、今の自分はどうだろうか…と顧みて、愕然としたんだんだ。
……なぁんも、無えなぁ…って。
死神代行としてはともかく、“ひと”としてはてんで餓鬼でよ。なぁんも、持って無ぇんだよなぁって……。
そんな俺が今、井上とどうこうなったら…俺は多分、井上に甘えて、寄りかかり過ぎちまうような気がするんだ。
最悪、ぺちゃんこに潰しちまうだろうとさえ思うよ。
そんなこと、昊さんが生きてたら絶対に許す筈が無ぇし……何より俺自身、そんな未来は御免だ。
だから、今は未だ駄目なんだ。
どうしても、言えねぇんだよ!!!」
「くろ、さ……」
「……そのくせ、よ。
『いつか』なんて曖昧な約束を渡してでも、井上の未来を俺の未来の隣に縛りつけておきたい…だなんて、思っちまうんだ。
……情けねぇよな。
我ながら、あんまり卑怯で反吐が出そうだけど…それでも……!!!」
そこまで言ったところで、肩が下がるほどに大きく息を吐きだす。
井上は何かを言いたげに、うっすらと唇を開きかけて……けれど結局は一言も発しないまま、そっと目を伏せた。
その姿に、胸の奥がつきり…と痛む。
さっき井上にも言ったとおり、身勝手で卑怯なことを言っている自覚は、十分過ぎるほどに持っていたから。
「……怒ったか…?」
俺の言葉に、井上は顔を伏せたままでゆっくりと頭を振った。
「良いんだぜ、本当のこと言ってくれて……自分勝手なことばかり言いやがって、ってさ…」
「そんなこと、思ってないもの!!」
「…っ、?!」
思いも寄らなかった声の大きさに、息を呑んで瞠目する。
顔を上げ、俺の視線を真正面から受け止めた井上の目には、涙が今にも溢れんばかりになっていた。
「い、のう…え……」
「…待ってて、いいのね? 『いつか』の、そのときまで…私、待ってていいんだね……?」
井上の唇が、上向きに優しく弧を描いて。
柔らかく細められた瞳からこぼれた涙が、薔薇色の頬をゆっくりと伝い落ちていく。
俺は言葉を失ったまま、ただ黙ってその様子を見ていた。
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「……待っていること自体が、迷惑だろうと思っていたの」
私の言葉に、黒崎君は一層大きく目を見開いた。
呆然と私を見返したまま、唇の形だけが『めいわく』と私の言葉を鸚鵡返しに動く。
「例え『いつか』が永遠に訪れないまま終わったとしても、私はきっと平気だし、気持ちもずっと変わらないと思うの。
でも、そういうのって…相手にしてみれば、かなり重いでしょ?
だから、黒崎くんにとって私がどうあってもそういう対象になり得ないなら…この先、どうしたらいいのかなって、最近、ずっと考えてたんだ……でも…」
もう、悩まなくてもいいんだね……そう言って笑ったら、黒崎君は喉に何かを詰まらせたような顔をして。
それから、膝の上に置いていた手を持ち上げたかと思うと、私の頭を引き寄せ、黒崎君の肩口に押しつけた。
「ひゃわっ…?!」
突然のことに吃驚して、変な悲鳴を上げてしまう。
何がどうしたのやら…とパニックを起こしかけた私の耳に、「一日、二日って話じゃ、ねぇんだぞ」と、絞り出すような声が響いた。
「…くろさき、く……?」
「多分、年単位で時間がかかるって話をしてるんだ、俺は! それなのに…何でそんな風に笑えるんだよ…? 何でそんなに簡単に、待つなんて言える?!」
「だって、黒崎君の言葉だもの…。黒崎君、咄嗟の思いつきで、こんな話をするような人じゃないでしょう?」
「…井上……」
私の頭を押さえつけていた黒崎君の手から、ゆるりと力が抜ける。
顔を上げれば、至近距離に蜂蜜色の綺麗な瞳。
戸惑いも露わに揺れるその瞳に向かって、私は出来うる限りの信頼を込めて微笑んだ。
「黒崎君が、いつか…って言うなら、私はそれを信じるよ!
……あ、でもね?
この先、気が変わることがあったら、そのときは…」
遠慮なく、言ってね…そう続けた言葉が、「無ぇよっ!」という黒崎君の声にかき消される。
その語調の強さと声量に驚き、喉の奥をひきつらせて黙り込めば、再びぐいっ…と頭を引き寄せられた。
ごちっ…と鈍い音を立ててぶつかる、私の額と黒崎君の鎖骨。
私は石頭だから何ともなかったけれど、黒崎君は恐らく、そこそこ痛い思いをしたのだろう。
ぐ…と息を呑みこんだのが、鎖骨に押しつけられたままの額から伝わってきた。
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「……だ、だだだ大丈夫…?」
「……おう」
そういや井上は、相当な石頭だったっけ……と。
ブレザー越しに当たったにも関わらず、じんじんと強烈に響く鎖骨の痛みに耐えながら思い出す。
そして芋蔓式に脳裏に引っ張り出されてきたのは、二年前の夏のこと。
わたわたと慌てながら、謝る姿。
治療してくれている最中の、真剣な瞳の色。
俺が生きていて良かったと言いながら浮かべた、泣き笑いの表情。
全てが痛いほどに、鮮明で。
ほのかに甘い、あの日の記憶……。
それまでも、井上に対して、ぼんやりとした特別感はあったけれど。
始まりはどこだったのか…と問われて真っ先に思い浮かぶのは、あの時、あの瞬間だ。
その気持ち、に。
俺の中で明確に名前が付いたのは、もう少し後になってからだったけれど……。
「……約束する、井上」
「黒崎くん…」
「必ず、だ。必ず、言うから……」
「………うん!」
腕の力を緩めれば、顔を上げた井上が、俺を見上げて綺麗に笑う。
その笑顔の鮮やかさに、心臓を射抜かれたような痛みを感じて…思わず息を止めてしまった俺の眼前に差し出されたのは、白くて細い井上の小指。
視線を井上の顔に戻せば、はにかみながら目を伏せた。
そんな些細な仕草にすら、血管のなかで赤血球が踊り出すような感覚に囚われていく。
望みのままに、小指を絡めようとして…ふとあることを思いついた俺は、「ちょっと待ってろ」と言いながら、傍らに置いてあった鞄の中に手を突っ込んだ。
ごそごそと中を漁って探り当てたのは、サッカー部の奴らから貰ったプレゼントの包み。
そのラッピングに使われていた細い銀色のリボンを解くと、改めて井上に向き直る。
「左手、貸してみ?」
不安そうに瞬きながらも、言われたとおりに手を差し出す井上。
その薬指に、俺は丁寧にリボンを巻き付け、蝶結びにした。
結び目には小さな二つの青い珠。元々は、リボンの端を飾っていたものだ。
「……いつか、な」
頷く井上の瞳から、再び綺麗な雫がこぼれ落ちる。
プレゼントの中身のハンドタオルを井上の頬に押し当て、照れ隠しもあって、ごしごしと些か乱暴に涙を拭き取ってやれば、「うぎゃっ?!」と、色気の欠片もない悲鳴が上がった。
「芋、早く食べちまえよ」
「はぁい!」
俺の気持ちを察したのか、井上もまた、何処か幼い子供のような戯けた口調で返事をする。
そして、あーん…と見事な大口を開けると、勢いよく焼き芋にかじりついたのだった。
井上の誕生石が青石(サファイア)だと知る、のは。
このときから、約三年の月日を重ねた後のこととなる……。
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