Engage



児童公園の入り口に立てば、目指す人影はすぐに見つかった。
中央にある砂場の脇に設えられたベンチ、そこに腰掛けている男の子の頭髪は、綺麗綺麗な夕焼け色。
間違いなく、黒崎君だ。

嬉しさに弾む心を必死に落ち着かせながら、急ぎ足で歩み寄って。
しかしながら私は、名を呼びかけようと声を出す寸前に、軽く息を呑んでその場に立ち竦んでしまった。
黒崎君が、ひどく思い詰めたような表情をしていたからだ。

常よりも深さを増した眉間皺に、固く横一文字に引き結ばれた唇。
それでいて瞳には光が宿って居らず、焦点を結ばない虚ろな視線が、少し離れた地面に落とされている。
そんな黒崎君の纏うどうにも近づき難い雰囲気に、私はその場から一歩も動くことが出来なくなってしまった。


……一体、何があったの?


踵を返す寸前に見せてくれた微笑みの記憶が、あまりにも鮮明で。
だからこそ、何がこんなにも彼の表情を変えてしまったのか…と、心が不安にざわめき立つ。
校庭で別れてから私が此処に到着するまで、20分ほど。
短くはないけれども、長いとも言い難い時間だ。

声を掛けたくて、でも、どうしても出来なくて。
ただその場に突っ立ったまま途方に暮れていると、不意に頭上からゆったりとしたメロディが、かなりの音量で降ってきた。





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突然、頭上から振ってきた大音量のメロディに、はっ…と我に返った。
反射的に空を振り仰げば、視界に大きなスピーカーが映り込む。
それは自治体の防災放送用のもので、今現在流されているのは、外遊びをしている子供たちに帰宅を促すための音楽だ。

もう、そんな時間か……と。
ゆっくりと視線を下げていけば、公園の入口付近に制服姿の人影が一つ。
やはり音量の大きさに驚いたのか、高いポールの上に設置されたスピーカーを見上げている。
俺に背を向けて立っていたから顔は見えないのだけれど、俺には直ぐに、待ち人である少女と知れた。
背格好は勿論のことだが、背に流れる長い髪が、それは綺麗な胡桃色をしているのだ。
他の誰かと、どうして見間違うことがあるだろう。

「井上!」

少し大きめの声で名を呼べば、一瞬びくり…と身体を強ばらせたのち、わたわたと少し慌てた動作で俺の方へと向き直る。
そして彼女が浮かべてみせた笑顔に若干のぎこちなさを感じた俺は、表面上は何も無かったように小さく笑みを返しながらも、内心では大きく舌打ちをしていた。

ぼんやりしているように見えるけれど、実のところ、井上は相当に聡い。
特に、周囲に居る親しい者達の機微に関しては、心が読めるのではないかと疑いたくなるほど敏感に察知する。
そんな彼女の目の前で、おそらく俺は、相当酷い渋面を晒していたに違いないのだ。


……榛名が、余計なこと言いやがるから…。


盛大な溜息を吐きたくなるのを堪えながら、腰掛けていたベンチの空きスペースを掌でぽんぽんと叩く。
すると、井上は漸くいつも通りの柔らかな笑顔に変わり、小走りで俺の目の前まで駆け寄ってきた。

「お邪魔します!」

ぺこり…と頭を下げた彼女が、人ひとり分の間を空けて俺の隣へと腰を下ろして。
コートやスカートの裾を整え終わるのを待ってから、保温の為にくるんでいたマフラーごと焼き芋を差し出せば、大きな茶の瞳がくりっ…と、更に一回り大きく見開かれた。

「……マフラーに、お芋の匂いが移っちゃたんじゃない…?」

私が、ぐずぐすしてたから……と。
眉尻を下げ、肩を落として悄げる井上を「洗うか、消臭剤スプレーすれば済むことだ」と宥めながら、買った二本の芋のうち、一本を取り出して眼前に突きつける。

「ほら…悄げてる暇があったら、さっさと食え。冷めちまうぞ」
「……うん!」

小さな子供のように、こっくりと頷いて。
俺から芋を受け取りながら、ぽつり…と井上が呟いた。

「優しいね、黒崎君は」
「あ? 別に、普通だろ?」
「……………うん」

そうだね、普通だね……と。
俺の言葉を鸚鵡返しする井上の顔が、笑っているようで笑っていない。

至極稀に…ではあるけれど。
俺との会話の最中、井上が今のような顔をすることは、これまでにも幾度かあった。
その度に、何かおかしなことを言ったりやったりだろうか…と直前の自分の言動を振り返るのだが、これぞ正解と思い当たる事柄に行き着いたことは、情けないことに一度もない。

こんなとき、俺は嫌と言うほど思い知らされるのだ。
俺は井上のことを良く知っているようでいて、本当のところは、何も解っちゃいないのだ……と。





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黒崎君は、とてもとても優しい人だ。
でもそのことに、黒崎君自身はまるで気づいていない。
「普通だ」って、思ってる。

………だから。

自惚れては、駄目なのだ。
思い違いをしては、駄目なのだ。

私は彼にとっての、『特別』だ…なんて。
そんなことは、あり得ないのだから。

これまでも。
そして、これからも……。





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「あ、そうだ! 忘れてた!! 私、学校の自販機でお茶を買ってきたの」

皮を剥きかけた芋を、膝に広げていたティッシュの上に置いて。
俺とは反対側の椅子の上に置いてあった鞄の中から、井上はくるくるとロール状に丸まったマフラーを取り出した。
その中央で芯になっているのは、二本のペットボトルだ。

「……自分だって、同じことをしてるじゃねぇか」

ほかほかのお茶を受け取りながら、ぼそり…と呟く。
それに対して、ペットボトルは芋のように匂い移りなんかしない…と井上は澄まし顔で反論したけれど、たとえ互いの購入品が逆だったとしても、やっぱり井上は焼き芋をマフラーに包んだに違いないのだ。
ただしそれを口にすれば、気まずい沈黙が二人の間に降りてくるだけだ…ということも容易に予想がついていたから、俺は無言のままボトルの封を切り、中身の緑茶を口に含んだ。

程良く冷めたそれを飲み下せば、舌に残るは特有の苦み。
それはまるで、今の俺の心の内を代弁しているかのようだった。



井上は、優しい。
自分に危害を加えた相手にさえ、躊躇うことなく救いの手を差し伸べるほどに。



……だから。
解らなくなる。
不安になる。
井上が、俺の側に居てくれる…その理由、に。

『もしかしたら、俺のこと…?』

榛名や山下に言われるまでもなく、そんな自惚れを抱いたことは一度や二度じゃない。
だけど淡い虹色の期待はいつだって、胸に抱いた直後から、木っ端みじんに打ち砕かれてきた。
まるで、悪意のない幼児の手で、せっかく吹いたシャボン玉を割られてしまったときのように。
そして見て見ぬ振りをしてきた現実を、改めて眼前に突きつけられるのだ。
井上の俺に対する優しさの理由は、互いに大切な肉親を亡くしているが故の、共感と同情に過ぎないのだ…と。

榛名や山下は、俺が死神代行であることや、虚になっちまった井上の兄貴のこと、そして俺達か巻き込まれてしまった二つの大きな戦のことなど、何ひとつ知らない。
だからきっと、井上の俺への気遣いを恋慕の情だと勘違いしちまうんだ。
井上の、ウルキオラが消滅した瞬間の表情や、ユーハバッハを倒した後、尸魂界中を駆け回って、多くの死神たちを治療していた頃の姿を目にすれば、奴らだってきっと、考えを改める筈だ。
俺が井上に対して過保護気味に接してしまうことにしても、昊さんとの一件を知ったならば、致し方ないことと理解してくれるに違いねぇ。
榛名にいたっては、いっそ俺を憐れんでさえくれるかもしれない。
行き場のない想いを抱えて宙に浮いているのは、寧ろ俺の方なのだ……と。



『昊、さん……』



やるせない気持ちになると、決まって脳裏に浮かぶのは、井上の部屋に置かれた兄貴の遺影だ。
穏やかに微笑みながらも、その瞳はいつも静かに重く問いかけてくる。

『妹の隣に立つ資格があると、胸を張って言えるかい?』

それに対し、力強くうなずき返すだけの自信を、残念ながら今の俺は持ち合わせていない。
死神代行としてはともかく、現世を生きる一人の人間としての俺は、情けないくらいに無力で、どうしようもなく餓鬼なままだった。





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「わ、美味しい…!」

たつきちゃんやリルカちゃんと一緒のときのように思わず声を上げてしまったけれど、口の中には未だお芋がたくさん残ったままで。
小さな子供じゃあるまいし…と、慌てて手で口を押さえて俯く。

「……今更、気取らなくても」

苦笑混じりの声にそっと横目で黒崎君の様子を伺えば、呆れたような表情を浮かべつつも、酷く優しい目をして私を見ていた。
そう……まるで、生前のお兄ちゃんのように。

「井上が何か美味いモン食ってるときの顔って、ほんっと幸せそうで良いよな。側で一緒に食ってると、旨味が増す気がする」

そんな、赤面ものの台詞をさらり…と吐いて。
口をあーんと大きく開け、かなり豪快にお芋にかぶりつく黒崎君。

「………ん、美味い!」

もごもごと口を動かしながらそう呟いたのは、無意識なのか、私への気遣いなのか……。
どちらにせよ、「いつも通り」の私を黒崎君が望むなら、そうするだけのことだ。
それこそ幼い子供のように大口を開けてお芋にかぶりつけば、隣からはふっ…と、笑い含みの優しい吐息が落ちてきた。





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他愛のない話をしながら、お互いに芋を頬張って。
ふ…と目に留まった、彼女の口元。
小さな、黄金色の欠片。

「芋、ついてるぞ」

そう指摘すれば、井上は顔を赤くしながら、わたわたと口元を指先ではたき始めた。
しかしながらいずれも的外れな場所に触れるばかりで、肝心な欠片はいつまでも残ったままだ。

「……ちょっと、じっとしてろ」

腕を伸ばして欠片をつまみ上げ、ほいっ…と口の中に放り込む。











……自分がやらかしてしまったことに気づいた、のは。
井上の顔が、茹で蛸のように真っ赤になってしまった後だった。





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「ご、こめ…っ!! つい、妹たち相手にしてるときのノリで……」

慌てて言い訳する黒崎君の言葉に、瞬時に心が凍り付いた。
ああ、やっぱり……黒崎君にとっての私という存在は、せいぜいが良いところ【妹】どまりなのだ。

「………いの、う…え?」
「え?! あ、ああ…だ、大丈夫! ぜぜぜ全然、気にしてないよ!! 
うんうん! 確かにお兄ちゃんも、よく、今みたいなことしてくれてたなぁ……あは、懐かしい!!
あ、あのっ、勿論変な誤解なんてしてないから、安心してね!!!」

そう、口にした。
いつものように、満面の笑顔を浮かべて。
一瞬、とは言え。
おかしな期待をしてしまった数分前の自分を、心の中で呪いながら……。





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ほんの一瞬のこと、とは言え。
井上の表情が絶望の色を深めて強ばったのを、俺は見逃さなかった。
その表情には、嫌と言うほど見覚えがあった。
井上にとっての俺という存在は、せいぜいが良いとこ、弟程度のものだろう……そんな考えに囚われては重い溜息を吐くときの、鏡に映った俺自身の表情と瓜二つだったのだ。

「………いの、う…え?」

どくり…と心臓が、熱い塊を吐き出す。
走馬燈のごとく脳裏を過ぎっていくのは、この三年の間に目にしてきた井上の表情の数々。
何度も何度も、俺の気のせいだ、自意識過剰なだけだ…と否定し続けてきた、直向きで甘い瞳の色。


……なぁ、井上。
俺…やっぱり、自惚れてもいいのか?
期待しても、構わねぇ?



「変な誤解なんて、してないからね!!!」



その言葉に、かっ…と頭に血が上った。
違う、井上! そうじゃねぇ!!

「あのな、『誤解』ってのは多分、そこじゃねぇっ!
確かに俺は、妹たち同様に井上を護りてぇ…って思ってるよ?!
でもそれは、あくまで比較対象としての話だ!!
お前を『妹』だなんて思ったことは、出逢ってからこの方、一度だって無ぇぞ!!」



……うっかり口走ってしまったそんな言葉に、自分で固まる。
目の前の井上もまた、ぽかん…と口を開けたままで石になっていた。





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