Engage
ボスッ……と。
ボールを強く蹴り上げる音に、反射的に校庭を振り返った。
視線の先には、制服のままでサッカーに興じている男子が数人。
その格好からもわかるように本気の練習などではないようで、笑い声を立てながらボールを追いかける姿はまるで、大型犬同士のじゃれ合いのようだ。
その中、に。
頭一つ分、身長の抜きん出た人影が一つ。
陽の光を受けて金色に輝く橙色の頭髪が、その軌跡を、私の網膜に鮮やかに焼き付けていく。
やがて、見事にゴールが決まって。
私は思わず、歓声を上げながら拍手を送ってしまった。
当然ながら、彼らの視線がこちらへと向けられることなって…ゴールを決めた本人、黒崎君の瞳がまん丸になるのが遠目にも分かった。
その彼の表情と、他の男の子たちから向けられる視線に居心地の悪さを感じて。ついつい視線を足下に落とし、ブレザーの裾をぎゅっ…と握ってしまう。
そんな私の耳に届いたのは、駆け足でこちらへと近づいてくる足音。
井上……と呼ぶ声にそろりと顔を上げれば、軽く息を弾ませた黒崎君が、私の目の前までの残り数メートを歩み寄ってくるところだった、
「井上も、来てたのか」
「うん。司書さんと越智先生に頼まれて、書庫の整理のお手伝いをしてたの。今日はお店も定休日だし」
「そっか…あの二人の頼みじゃ、断れねぇもんな。遠慮が無ぇ人たちだから、かなりこき使われたろう?」
「そんなことないよ! 報酬代わりだ…って、宅配弁当屋さんのスペシャルメニューもご馳走になっちゃったし。
それより…黒崎君こそ、どうしたの?」
「俺は、サッカー部の引退式に招待されてたんだ。バイトで助っ人に入ることが多かったからか、是非、俺にも来て欲しいって誘われて」
「そうなんだぁ…」
何だかんだ言っても、黒崎君は義理堅く、優しくて面倒見もいい。
同級生からも下級生からも絶大な信頼を得ていただろうし、一人の人間としても好かれていたのだろう。
そうでなければ、正規の部員でもない人間を、引退式などに呼ぶ筈がない。
『きっと大学に行っても、男女問わずにモテまくるんだろうなぁ…』
ちくり…と微かに、胸の奥に痛みが走った。
就職という進路を選んだことに、後悔は無い。
けれど…進学を選んだ黒崎君とは、この先滅多に逢うこともなくなるのだと思うと、淋しいと感じる気持ちはどうにも押さえようがなかった。
同時、に。
春から彼と同じ学び舎で過ごすことになるであろう特定多数の人たちが、羨ましく羨ましくて仕方がなくなってしまう。
ああ…私の心はなんてちっぽけで、醜く浅ましいのだろう……。
「……井上?」
怪訝そうに名を呼ぶ声に、意識を引き戻された。
ちょっぴり意地悪な笑みを口の端に浮かべながら、今度はどんな世界にトリップしていたのかと尋ねる黒崎君に、本当の気持ちを言える筈もなく、ただ曖昧な微笑みを返す。
そのとき、だった。
「石焼ぁきぃいいい芋ぉおおお~~、お芋っ!」
フェンスの向こう側から、焼き芋屋さんのアナウンスが聞こえてきて。
風に乗って芳ばしく焼ける薩摩芋の香りが漂って来た途端、あろうことか、私のお腹が大きな音を立てて鳴ったのだ。
「…っ?!」
慌ててお腹を抱えたところで、どうなるものでもなく。
きゅるきゅる…という名残の音まで、黒崎君の耳にはしっかり届いてしまったらしい。
二秒ほどぽかん…とした顔で私を見つめたあと、黒崎君は思いっきり吹き出して…そのままくつくつと、喉の奥で声を立てずに笑い出した。
穴があったら入りたいというのは、まさに今、この瞬間のことを言うのだろう。
実際に私に出来たことと言えば、耳まで真っ赤にならながら、その場で俯くことくらいだったけれど。
恥ずかしさと情けなさで、泣きたい気持ちでつま先を見つめていると、ふいにポンッと頭を軽く叩かれて。
同時に「ちょっと、待ってろ」という黒崎君の声が頭上から降ってきたかと思うと、ざっ…と土を蹴る音がした。
慌てて顔を上げた私の目に映ったのは、フェンスに向かって走る彼の後ろ姿。
フェンス越しに、焼き芋屋さんのトラックを呼び止めて。
運転手さんといくつかの言葉を交わした後、再び私の元へと駆け戻ってきた黒崎君は、どこか得意げな表情で私に告げた。
「このあと、そこの角曲がったところにある児童公園の入り口付近に、少しの間留まる予定だってさ!
俺、先に行って買っておいてやるから、ゴミ捨てが終わったら、帰り支度して公園に来いよ」
「え……?」
「じゃあ、また後でな!」
「あ、あのっ?! ちょ、ちょっと、くろさきくんっ?!」
私の困惑に気づいているのかいないのか、くるりと踵を返して走り去っていく黒崎君。
私はしばし呆然と、その後ろ姿を見送っていた。
黒崎君にしては少々強引に思えるそのお誘いに、戸惑い半分、嬉しさ半分。
異なる二つの感情が、心の中、複雑に絡み合いながら大きくうねる。
ふう…とひとつ、大きく息を吐き出して。
私もまた体の向きを変えると、ゴミ捨て場へと続く渡り廊下を早足で歩き出した。
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「悪ぃ…俺、そろそろ帰るわ!」
サッカー部の奴らに、そう告げると。
彼らも互いの顔を見合わせて、「それじゃ、俺たちも……」と頷き合った。
そのままの流れで、皆でぞろぞろと鞄を置いてあったゴールネット裏へと歩き出す。
「なんだかちょっと、喉乾いたなー…。黒崎、このあといつものトコ寄って行かねぇ?」
「あー…俺、ちょっと先約が有って」
「……もしかして、井上さん? 今、話してたのって、そうだろ?」
「ああ」
俺が頷いた途端、微妙な空気がその場に流れた。
「……何だよ」
「追い出し会の時にも、後輩たちに訊かれてたけど……井上さんと付き合ってない…ん、だよな?」
「また、その話か」
心底うんざりしながら大きな溜息を吐き出し、お前等も存外しつこいな…と口の中で呟く。
「しつこく訊きたくもなるさ。日頃のお前の彼氏面、半端無ぇんだもんよ」
「はぁっ?! 俺がいつ、彼氏面なんてしたよ?!」
部長を務めていた山下のぼやきに対して、俺は即座に突っ込みをいれた。
しかしながら山下は、げんなりとした表情で俺を見返すばかりで。
他の奴らへと視線を移してみても、返ってくる反応はいずれも同じだ。
「……ならどうして、井上さんに近づこうとする奴らに対して、あんなにも激しく威嚇するわけ?
正直さ、お前の背後に火炎見えるレベルなんだよ。ほら、修学旅行中にどっかの寺で見た、不動明王が背負ってるみたいな、さ」
「そうそう! どす黒いオーラがメラメラと!!」
「うんうん!『俺のモノに手を出すな』感、満載だよなー」
「あ、あれは…単純に井上がろくでもない男に引っかかったりしないか、心配なだけで……井上、結構ぼんやりだし人が良すぎるから…」
「……黒崎…お前、井上さんを見くびりすぎてねぇ?」
「…っ、?!」
険を含んだ山下の表情と声に、思わず息を飲んだ。
「どうして俺たちが、入学早々喧嘩騒ぎなんざ起こしたお前や茶渡に、助っ人を頼もうなんて気を起こしたと思う?
井上さんとお前等が仲良くしていた姿が、すげぇ印象的だったからだよ! それで…案外悪ぃ奴らじゃ無ぇのかも…って思って、さ。
そもそも、誰しもが遠巻きに様子をうかがっている中で最初から臆せずお前に声をかけていたのは、幼なじみだっていう有沢さんや、お前に助けてもらったっていう啓吾と小島を除けば、井上さん一人だけじゃん。
つまり人を見る目は確かなんだと思うし、それなのにあんまりにも過剰な心配をするのは、井上さんを信用してないって言うか…莫迦にしてるのと同じなんじゃねぇ?」
「な…っ?!」
絶句する俺の肩を、ぽんっ…と背後から叩かれて。
同時に、「山ちゃん、言いすぎー!」とのほほんと響いた声に、そんなことねぇ…と怒鳴りつける寸前だった気持ちの昴ぶりが、急降下ししていく。
「だってよぉ、榛名……!」
「うんうん、山ちゃんの言いたいことも、理解るよ。
でも…黒崎には妹もいるし、ついつい兄貴目線で気になっちまうんだろうよ。実際、人の良さにつけ込む狡賢い奴らは、どこにでも存在するわけだしな」
な?……と。同意を求めて向けられた笑顔に、無言で頷く。
山下は尚も何事かを言い募ろうと口を開きかけたが、それよりも早く榛名が「ところで…俺も用事あるから、寄り道はバスな! 御免!!」と、山下含めた他の部員に向かって、頭を下げた。それが功を奏し、山下からも他の奴らからも追求が止まる。
「じゃあ俺、裏門から出た方が早いから……」
またな!…と手を振り、踵を返す榛名。
俺は慌てて鞄を肩にかけると、山下達への挨拶もそこそこに、榛名の後を追った。
「お……どした、黒崎?」
「井上との待ち合わせ、その角曲がったところにある児童公園なんだ」
「そうか」
そのまま流れで、二人並んで裏門を出て。
道路との境目をまたいだところで、ためらいがちに榛名が口を開いた。
「……なぁ、黒崎」
「あ?」
「俺の九つ年上の姉貴がさ、近々結婚すんだわ」
「お、おう…それは、おめでとうさん……?」
あまりに予想外の話の展開に、些かどころでなく面食らう。
しかしながら榛名のどこか思い詰めたような表情に、俺は黙って続く言葉を待つことにした。
「その、切っ掛けなんだけどさ。姉貴、都心の歯医者で歯科衛生士ってのやっててさ…通院患者だったどこぞの企業の若社長に見初められたんだ。まぁ……所謂、玉の輿って言っていいのかな」
「…へー……そりゃ、尚更目出度ぇじゃん?」
しかし、榛名の表情は浮かないままで。
それを訝しんだ俺が、眉間の皺を深めたときだった。
「………彼氏が居たんだよ、少し前まで。高校の頃からずぅーっと付き合ってた、さ」
ぼそり…と呟かれた言葉に、思わず瞠目する。
そんな俺の顔を、榛名は複雑という言葉を具現化したような表情で見返した。
「姉貴も随分悩んでたよ。でも…正直、待ちくたびれたってのはあるんだろうな。
大学卒業するまで…てのはまぁ当然としても、そこから更に五年も経っちまったからさ……。
姉貴はそこそこ結婚願望はあったし、それ以上に、子供を産み育ててみたいって気持ちは人より強いほうだ。
それを良く知ってた筈なのに、元彼の男は、それとなく話を振ってもはぐらかし続けて、結婚の『け』の字も出さなかったらしくてな。
年齢のこととか色々考えた上で、姉貴は元彼に見切りをつけちまったんだろう」
「……そっか…」
適当な言葉が見つからず、至極有り体な相槌を打つ。
その俺の肩を、榛名は「他人事だと思ってんじゃねぇよ!」と言いながら、結構な力の強さで平手打ちした。
「痛ぇっ!」
「井上さん、今バイト中のあの店にそのまま就職するんだろ? 接客を担当する以上、いつ、俺の姉貴みたく押しの強い奴に目をつけられちまうか、正直わからねぇよ?
お前さ…井上さんが他の誰かと付き合うことになったとして、追い出し会のときみたいなポーカーフェイス、保ってられんのかよ?」
「……っ?!」
鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けながら、榛名の浅黒い顔をまじまじと凝視する。
「お節介承知で、言うけど……お前が井上さんに対してやってることは、俺の姉貴の元カレと同じ……所謂『生殺し』ってヤツにしか見えねぇんだよ。
自覚があるんだか無ぇんだか、知らねえけど……いや、自覚がないなら尚更、それって相当に質が悪ぃし、この先、お前にとって取り返しのつかない結果にも繋がりかねねぇよ?」
「……榛名…」
返す言葉を見つけられずに、黙りこむ俺。
そんな俺から視線をそらし、バツの悪そうな顔をして頬を掻いて。
「…じゃ、またな!」と言いながらもう一度俺の肩を叩いた榛名は、俺と視線を合わせぬまま、緩く弧を描く細い路地へと足を踏みだし、そのまま走り出した。
「よう! 待ってたぜ、兄ちゃん!!」
無言のまま榛名を見送る俺の耳に、焼き芋屋の親父の声が響く。
反射的に、数メートル先に停まっているトラックを振り返って。
親父さんに片手を挙げて会釈をしつつ、再び路地へと視線を向けた時には既に、榛名の姿はカーブの向こう側へと消えていた。
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