おうちごはん
小一時間ほどしろくまを散歩させて、帰路に着く。
ばぁちゃんの家が近づくほど歩調が鈍る事に自己嫌悪を覚えながら、俺は大きなため息を吐いた。
人間誰しも、得手不得手はある。
勿論、俺自身にも。
井上の作る料理がちょっとアレだからと言って、それが彼女の何を損ねるものではない…とは、思うけど。
だからと言って、あの見た目も味も吃驚仰天な料理を目前に並べられて、平然としていられるか、そしてそれを笑顔で食せるか…と問われれば、それはまた別の話になってくる。
井上を傷つける事だけは、絶対にしたくねぇんだけど……。
「まぁ…なるべく努力してみるさ」
腹を括って、気合いを入れて。
最後の曲がり角を、折れた。
「只今、戻りまし…た……」
語尾が尻つぼみになってしまったのは、食欲をそそる香りに意識を持っていかれてしまったから。
「お帰りなさい、黒崎君!」
呆然と立ち竦む俺の視線の先、台所の入り口から「ぴょこっ」という擬音が聞こえそうな動作で井上が顔を覗かせて。
丁度雑炊が出来上がったところだと言って、にっこり笑った。
「お腹空いたでしょ? すぐに支度するから、上がって上がって!! あ…くまちゃん用の足拭き雑巾、そこに用意してあるよ」
「あ…ああ、サンキュ……」
ぎこちなく、微笑んで。
どこかギクシャクとした動作で屈み込むと、しろくまの足裏を丁寧に拭ってやる。
「ほら、もう上がっていいぞ」
「おんっ!」
たたっ…と、軽やかに廊下を駆けていくしろくま。
恐らくは、奴もこの後に出されるドッグフードが楽しみなのだろう。
苦笑しつつ、靴を脱いで後を追う。
「有り難うね、一護君」
「いえ…」
部屋の敷居を跨げば、しろくまの背を撫でながら、ばぁちゃんが俺にねぎらいの言葉をかけてくれて。
手招かれるままに布団の脇に腰を降ろしたところで、盆を手にした井上が現れた。
「お待たせしました!」
盆の上には、湯気の立つ木椀が二つ。
つい先刻玄関で感じたのと同じ、出汁の効いた美味そうな香りが部屋いっぱいに広がっていく。
井上は、一度盆をちゃぶ台の上に置いて。
先ずはばぁちゃんに椀とレンゲを渡すと、次にもう一つの椀とレンゲとを俺に向かって差し出した。
「どうぞ、黒崎君!」
「……あ…えっと…」
ちろり…と、視線を横へと走らせれば。
それを受けたばぁちゃんが、何も心配することはない…と言うように頷いてみせる。
こく…と、唾を飲み込んで。
それから俺は、恐る恐る井上の手から椀を受け取った。
「………」
といた玉子や斜め切りした葱の浮かんだ、琥珀色の出汁汁。
その底に沈む、白米。
取りあえず、見た目には何もおかしな点はない。
至極まっとうな、玉子雑炊だ。
レンゲをそっと差し入れてみれば、さらり…と崩れるご飯。
思わず、軽く目を見張った。
確か…ご飯をべっとりと粘らせずに作るのって、結構難しかった筈。
……それでも。
もしかしたら、とんでもないものが隠し味として溶け込んでいるのではなかろうか…と、口に入れることを躊躇っていると。
「すごく美味しく出来てるわよ、織姫ちゃん!」
明るく弾むばぁちゃん声が、耳に届いて。
それに後押しされるようにして、えいやっ…と。
心の中で気合い一発、自分の口内へと雑炊を流し込んだ。
「……………美味い」
本当に、無意識だったんだ。
そう口にしたの、は。
「ほ、ほんとっ?!」
井上が、勢いよく俺の方へと身を乗り出して。
それで漸く、「ああ俺、今、声に出してたのか」と、気付いたくらいで……。
「あの…お世辞とかじゃなくて?」
不安気に、俺の顔をのぞき込む薄茶の瞳。
その距離の近さに内心大いに焦りつつも、こくり…と頷く。
情けないことに、それが精一杯だった。
人間て心底何かに感動したときほど、言葉をみつけられなくなってしまう。
それほど、井上の作った雑炊は美味かったのだ。
記憶の中の……恐らくは、多少どころでなく美化されている筈の、嘗てお袋が作ってくれた雑炊以上に。
「…よかったぁ……」
ほう……と。
大きな安堵のため息を吐く、井上。
そんな彼女に、ばぁちゃんがにこにこと笑いながら声をかけた。
「やったわね、織姫ちゃん!」
「はい! それもこれも、ぜーんぶ美桜里さんのお陰です!!」
「何を言ってるの、あれから一体何年経つのやら……もうすっかり、あなた自身のものだわ」
「えへへ、そうですか? 美桜里さんにそう言われると、自信持っちゃうなぁ~」
「……?」
井上とばぁちゃんの会話の内容が読めずに、独り疑問符を飛ばしながら首を傾げていると。
俺へと視線を戻した井上が、どこか誇らしげに説明してくれた。
この雑炊のレシピは、ばぁちゃん直伝なんだ……って。
「へぇ…そうなんだ…」
「うん! ……あ、きゃっ?!」
「わふぅ、わんっ、わんっ!」
「ひゃあぁああっ!!」
「こ、これ…しろくまっ!! おやめなさい!!!」
井上が悲鳴を上げたのは、しろくまの奴が彼女の肩に「のしっ」と前足をかけたから。
そのままぺろぺろと頬や首筋を舐められ、きゅぅん…と甘えたように耳元で鼻を鳴らされて。
流石にくすぐったくてたまらないのだろう、井上は首を竦めてうずくまったまま、身動きも出来ない状態。
俺は慌てて雑炊をちゃぶ台に乗せると、しろくまを井上から引き剥がした。
「ばうばうっ! う~~…」
俺の腕の中でもがきながら、恨めしそうに唸るしろくま。
その頭を宥めるように撫でてやりながら、井上はわたわたと慌てた様子で立ち上がった。
「そ、そうだよね! くまちゃんもお腹空いてるよね?! 美桜里さん、ドッグフードは何処にありますか?」
「それがねぇ……今朝丁度、家の中に置いてある分が無くなっちゃって。買い置きの袋があるのは、裏の物置なの」
「それなら私、今すぐ取ってきます!」
「いや、外なら俺が行った方が……」
「何を仰る、黒崎の旦那! 外と言っても敷地内でっせ? あっしひとりで十分でござる! 旦那はとっとと雑炊食っちまいねぇ!!」
「……何でいきなり、時代劇口調になるんだっ?!」
「悪いわねぇ、織姫ちゃん。戸を開けて、右側の棚の上にあるわ。暗いから、下駄箱の上の懐中電灯を持って行ってね?」
「わっかりましたぁ!」
おどけた笑顔で、ぴしり…と敬礼をしてみせて。
くるり…と踵を返す、井上。
そして、大人しく待ってなどいられない…とでも言うように、しろくまもまた井上を追って部屋を出て行く。
「あ、おいっ、しろくま…っ?!」
「いいのよ、一護君!」
立ち上がりかけた俺を、ばぁちゃんが呼び止めて。
振り返った俺に雑炊の椀を指し示しながら、「私たちは、このまま食事を続けましょう」と言った。
「その方が、織姫ちゃんは喜ぶと思うわ」
「……ですね」
確かに、その通りかもしれない……と。
浮かしかけた腰を落ち着けて、再び木椀を手に取る。
食べ頃に冷めた雑炊を、ふた口、三口とレンゲを口に運んで。
やっぱり、美味いなぁ……と、知らず感嘆のため息を吐いた時だった。
「……もう、8年になるかしらね」
ぽつり…とこぼれ落ちた、ばぁちゃんの声。
ゆっくりと視線を向けると、ばぁちゃんは手にした椀を見つめながら、辛そうに顔を歪ませていた。
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