おうちごはん



「へぇ…ご近所さんだったんだ」
「そうなの。お兄ちゃんと空座に来て、初めて住んだのがこの辺りで。
借りていたアパートがマンションに建て替えられる事になって、立ち退くまでの数年間、とても親切にしていただいたの。
私の事を、孫みたいに可愛がってくださってね。
お兄ちゃんに急な残業が入った日には、夕飯をごちそうしてくれたりとか…とにかく、ちょっとやそっとじゃ返しきれないご恩があるんだぁ…」
「そっか……」


晩秋の日没は、早い。
すっかり暗くなってしまった住宅街を、井上と二人で肩を並べて歩いていく。

井上は余程ばぁちゃんが心配なのか、普段よりもずっと口数が少なく、終始俯いたままだった。
ただの常連客に対する反応じゃねぇな…と薄々感じては居たけれど、そんなに長く深い関わりがあるのならば、彼女の狼狽えぶりにも至極納得がいく話だ。
……そう言えば、俺が遺品整理に行く少し前、親しくしていた知り合いが亡くなった…と、彼女が泣き腫らした目をして学校に登校してきた事があったっけ。
今にして思えば、その知り合いこそがばぁちゃんの旦那さんだったのに違いない。


「……大丈夫だよ」

努めて明るい声を出し、井上の肩を軽く叩く。

「黒崎くん…」
「育美さんの話しからすると、そんなに症状は重くねぇみてぇだから」
「うん……」
「井上がそんな顔してたら、逆にばぁちゃんに心配かけちまうぞ?」
「……だ、ね」

俺を振り仰ぎ、半ば無理矢理に笑顔を浮かべてみせる井上。
そんな彼女の肩を、もう一度励ますように叩いて。
正面に向き直れば、細い路地の突き当たり、灯りの点ったばぁちゃん家が見えた。















「鰻屋でっす! ご依頼の買い物を届けに来ました!」

鍵を開けておくので、勝手に入って良い…とのことだったけど、やはりいきなり無言で上がり込むのは気が引ける。
なので、玄関内に入ったところで、俺は声を張り上げて来訪を告げた。
すると奥の間から、意外と元気そうな声で「中へどうぞ」と返事があって。
それと同時に、開いた戸の隙間から、何か白い塊が弾丸のように飛び出してきた。

「よう、しろくま! 元気だったか?!」

俺の足に飛びかかるようにしてじゃれついてきたのは、白い雄犬。
この「しろくま」と言う名の犬こそ、散歩を依頼されたばぁちゃん家の飼い犬だった。
数年前、公園に捨てられていたのを、見過ごせずに拾って育てたのだという。
何処か白熊を連想させる外見から、亡くなったじぃさんがそのまま「しろくま」と名付けたのだそうだ。

「わぁ、くまちゃん…! 久しぶりだねぇ……」

屈み込んだ井上が耳の後ろと首の下を撫でてやると、しろくまは気持ちよさそうに目を細めて、くふぅ…と鼻を鳴らした。
雑種は人懐こいと聞いたことがあるが、確かにしろくまにはそういう一面がある。
それでも見知らぬ相手には決して尻尾を振らずに威嚇するというのだから、立派な番犬であるのには違いない。

「しろくま、オイタをしては駄目よ!」

ばぁちゃんの声に、ぴっ…としろくまの耳が立ち、尻尾の動きがぱたりと止まった。
そして、くるりと踵を返し、小走りで廊下を戻っていく。
しろくまは部屋の入り口で一度立ち止まり、俺たちを振り返ると、まるで入室を促すかのように「わんっ!」と鳴いた。
思わず、井上と顔を見合わせて。
互いにくすり…と小さな笑いをこぼしながら、しろくまの後に続く。


「ちわっす! ばぁちゃん、風邪の方はどんな具合……って、おい、起きあがったりしていいのかよ?!」

室内に入ると、ばぁちゃんは布団に上体を起こし、肩にカーディガンを羽織ろうとしているところだった。

「心配有り難う、一護君。もう熱は下がっているのよ。今日は大事を取ってゆっくりしていただけで……。
あらまぁ、織姫ちゃも来てくれたの?!」
「お邪魔します、ミオリさん。
伏せってらっしゃるところに私まで押し掛けちゃったら、迷惑かな…とも思ったんですけど……どうしても、心配で…」

俺の隣、井上がぺこりと頭を下げる。
ばぁちゃんは、にっこり笑いながら首を横に振り、身振りで俺たちに座るよう促した。

「迷惑だなんて、とんでもない! 来てくれて嬉しいわ。
あなたがあのパン屋さんでバイトするようになってから、逢う機会はぐんと増えたけど…ゆっくりお話する時間までは、無かったものね?」
「ばぁちゃん…ミオリって名前なんだ」
「ええ、そうなの」
「美しい桜の里って書くんだよ。字も音も、とても綺麗で素敵でしょう? だから、私は名前で呼ばせてもらっているのよ」
「ふうん……んじゃ、俺もそうしようかな」
「あらやだ、照れるじゃないのぉ! 一護君みたいな若いハンサムさんに、名前で呼ばれたりなんかしたら」
「ぶっ……?!」

思わず、吹き出す。

「……からかわねぇでくれよ、ばぁちゃん!」
「え? でも黒崎君がカッコいいのは、本当のことでしょ」
「○△□×////////……っ?!」

………いったい何を言い出すんだ、この天然めが?!

顔が朱に染まるのを自覚しながら、じろり…と横目に井上を睨みつけたけれど。
彼女は何故俺に睨まれなければならないのかさっぱり解らないようで、きょとん…とした顔で俺を見上げるばかりだ。

困り果てた末に大きなため息を吐くと、ばぁちゃんがくすくすと笑い出した。
井上は相変わらず疑問符を飛ばしながら俺とばぁちゃんの顔を交互に見ていたけれど、そのうち何やら自分が下手を打ったらしい…という事には気づいたようだ。

「わ、私……お買い物の品、片づけてくる!」

真っ赤になってどもりながら、そう言って。
俺が脇に置いていた買い物袋を手に立ち上がると、そそくさと台所へと姿を消してしまった。

「………ったく…井上の奴…!」
「ふふふ………」

がしがしと頭髪を掻き毟りながら、ばぁちゃんに恨めしげな視線を向ける。
するとばぁちゃんは「ごめんなさい…」と言いながら笑いを納め、目尻に浮かんだ涙を拭った。
俺はもう一度、深々とため息を吐いて……それと同時に、何かがのしっ…と肩に乗っかってきた。

「しろくま……?」

振り返れば、口にリードをくわえたしろくまの顔。
くぅくぅ…と鼻を鳴らすのは、多分散歩に連れて行って欲しいとの催促なのだろう。

「……よし、行くか!」

俺が紐を手に取れば、さっ…と俺の前に回り込んで、リードを付けやすいように首を差し出す。
本当に、なんて賢くて可愛い奴なんだろう。

「良かったわね、しろくま。今日は一護君が相手だから、思いっきり走っても大丈夫だしねぇ?」
「わふっ!」

出立の挨拶のつもりか、しろくまは一旦ばぁちゃんの側へと戻って、ほっぺたをぺろりと一舐めして。
それから再び俺に向き直ると、俺を促すかのようにくるりと巻いた尾をぱたぱたと振った。

「それじゃあ…」

行ってきます……と。
立ち上がりながら、俺がぱぁちゃんに向かって言いかけた時だった。

「美桜里さーん、鶏肉と卵を使って雑炊作ってもいい?」

台所から響いた井上の声に、俺はぎょっ…として目を見開いた。

井上が、料理…って………そりゃ、絶対に拙いだろ?!
健康ならまだしも、ばぁちゃん、病人なんだし!!

ところが、どっこい。
ばぁちゃんがそれはそれは嬉しそうに笑み崩れながら「いいわよー」と答えたものだから、俺は慌てて布団の側に屈み込んだ。

「ば、ばぁちゃ…っ?!」
「しっ……」

口の前に人差し指を立てるばぁちゃんの仕草に、ぐっ……と声と息とを飲み込む。

「織姫ちゃん、分量は三人分以上でお願い出来るかしら? 独りで食べても美味しくないから、一護くんと二人でお相伴していってちょうだいな」
「わ、良いんですか?! じゃあ、お言葉に甘えて……」
「(ば、ばぁちゃんっ…!)」

至極小さい声で、咎めるように呼びかけて。
しかしながらばぁちゃんは、相変わらずにこにこと笑い続けたまま「大丈夫」と言い切った。

「一護くんも、あの子が普段どんな料理を作るか知ってるのね?」
「………」
「でも、本当に大丈夫だから。
あの子が作り上げるまでの間に、しろくまと一緒に外を走って、うんとお腹を空かせて帰ってらっしゃいな」
「………はぁ」

歯切れ悪く返事をし、のろのろと立ち上がる。

「……じゃ、行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい。……あ、くれぐれも途中で買い食いして、胃に上げ底なんかしては駄目よ?」

思わずぎくり…と身体を強ばらせながら、まじまじとばぁちゃんの顔を見返せば。
ばぁちゃんは片手を腰に当てて胸を反らせながら、自身の顔の前で「ちっちっち」と人差し指を振った。

「亀の甲より年の劫。年寄りのカンと観察眼を、なめてはいけませんよ?」
「………」


ただただ絶句する、俺の足下で。
まるで飼い主自慢をするかのように、しろくまが一声「わふん!」と鳴いた。















.
2/4ページ
スキ