終わりに見る景色に、は



二日後の、午後1時。
面会時間が始まると同時に、俺は病院の入り口をくぐった。

廊下を進みながら、途中、昼食の食器を下げるためのワゴンとすれ違う。

あと数歩で井上の病室…というところで、部屋の中から出てきた竜貴と出くわした。
その手には、途中のワゴンでみかけたのと同じ昼食のトレイ。

「一護……」

俺の名を呟いたまま、その場に立ちすくむ竜貴。
ゆっくりと間合いを詰めていき、盆の上の食器へと視線を落とせば、そこには殆ど手つかずのままの食事が残されていた。

黙って手を伸ばし、竜貴の手からトレイを取り上げる。

そのまま、竜貴の隣をすり抜けて。
井上の病室の前、ドアの取っ手へと手を伸ばした瞬間、背後から竜貴の声がかかった。

「……あの子をお願いね、一護…!」

振り返り、小さな笑みを口の端に浮かべてみせて。
そして俺は、静かに彼女の病室の扉を開いた。










「早かったね、たつきちゃ……、っ!?」

ベッドの、上。
窓の外を眺めていた井上が振り返り、俺の姿を見留めた瞬間、彼女は表情を強ばらせてその場に凍り付いた。

「……ど………して…」

掠れた声での問いかけを無視して、ベッドの足下側からぐるりと回り込み、窓下のパイプ椅子に腰をおろす。
呆然と目を見開いたまま、俺を凝視する井上。
そんな彼女の視線には一切構わず、サイドテーブルにトレイを置くと、そこから粥の入った椀とレンゲを取り上げた。

ひと口分、掬って。
そこで初めて、彼女の顔を正面から見る。

青白く、精気のない……まるで幽鬼のような表情。

胸に突き刺さるような痛みを、覚えながらも。
努めて表情を変えぬまま、レンゲを彼女の口元へと突きつけた。

「…………食え」
「へぁっ?!」

ぎょっ…としたように大きく目を見開いたかと思えば、戸惑って忙しなく瞬きを繰り返す井上。

「あ……あの、く、くろさ…」
「いーから黙って口開けろっての! 開けねぇってんなら、顎引っ掴んで無理矢理こじ開けて、上から一気に粥流し込むぞっ?!」
「ひっ……?!」

俺の剣幕に、息を飲んで。
半ば恐怖に顔をひきつらせながらも、井上はおずおずと口を開いた。

「もっと開けるっ!」
「は、はいぃっ」

ぎゅっ…と目を瞑りながら、あーんと大きく開いた井上の口に、そっと粥を注ぎ入れてやる。
もごもごと、口元が動いて…やがてこくり…と飲み下しながら、彼女はゆっくりとその瞼を持ち上げた。
すかさず二口目の粥を突きつけようとしたら、彼女は慌てて首を横に振って。

「く、くろさきくん……あの…も、もう…っ」
「ぁあ? もう、要らねぇってか?! まだ一口しか食ってねぇだろうが、やっぱり上からざーっと一気に…」
「ち、違う! そうじゃなくて……!!」

自分で、ちゃんと食べるから……と、俺に向かって両手を差し出す井上。
疑わしげな視線を向けながらも、小さな白い手にレンゲと椀を持たせてやれば、彼女は「いただきます」と呟いて、口元に粥を運び始めた。


……やがて。
ごちそうさまでした…と、俺の手に戻された腕の中身は、綺麗に完食されていて。
安堵の息を吐き出しながら椀をトレイに戻すと、視線を彼女に向けないまま、俺は小さく呟いた。


「………悪かったな」


井上が大きく息を飲んだのを、気配で知る。
ゆっくりと彼女を振り返れば、そこにあったのは、信じられない…とでも言うように俺を見つめる、色素の薄い大きな瞳。

「死んだ方が良かったなんて、もう二度と言うなよな……?」
「…っ?!」

あからさまに動揺している彼女に対し、宥めるように微笑んで。
幼い子供に言い含める時のように、一語一句区切るようにして、声に乗せる。

「お前の命は、俺にとっての『誇り』そのものだ。それこそ、勲章みたいなもんで…さ」
「くろさ……く………」
「お前が生きて、此処に居る……それこそが、俺がこの世界を護る事が出来たんだって言う、何よりの証しだ。
そのお前に、藍染に殺されていた方が良かったなんて言われたら……俺は一体、どうしたらいい…?」
「くろ…さ………」
「関わるな…なんて言って、悪かった。完全に、八つ当たりだった……ホント、餓鬼だよな…俺も」
「ううん…っ!!」

井上が激しく、首を横に振る。

「そんな事、無いよ……! 黒崎君は、ちっとも悪くなんかないもん!!」
「いや、そんな事ぁねぇと思うけど…」

必死に訴える井上に、苦笑をこぼして。

「だけど……井上が本気でそう思ってくれるなら、また俺、お前達の仲間に戻ってもいいかな?」
「くろさき、く……」
「霊力、すっからかんで……それこそ、足手まといにしかならねぇけど。それでも…お前の傍に居ても、いいかな……?」
「…くろ、さ………」

彼女の瞳から、次から次へと綺麗な滴がこぼれ落ちていく。
たまらずその細い肩を引き寄せれば、井上はまるで溺れた人間が助けを求めるかのように、俺の胸元にしがみついてきた。

「いの…っ?!」
「うぁ…ぁ…ぁぁ、ぁぁああああああああああああああっ!」

胸を締め付けられるような声を上げて、井上が激しく泣きじゃくる。
俺はただ黙って、ひたすら彼女の背と髪を撫で続けた。
やがて泣き疲れた井上が、腕の中で眠ってしまうまで………。










「……しょっ、と」

そっと、彼女の頭を枕の上に下ろして。
至近距離で彼女の寝顔を見下ろせば、こんな時だと言うのにどくり…と心臓が高鳴った。


「井上……」


ふいに、接吻けてしまいたい……という衝動に駆られたけれど。
ぎゅっ…と目を瞑り、歯を食いしばるようにして、彼女から身体を引き剥がす。

「今は、駄目だ……今は、未だ………」



俺は、餓鬼だ。
とんでもなく、餓鬼なんだ。

死神の力が、どうとかでなく。
ひとりの男として……全然、まだまだどうしようもない場所にいる。


「でも…いつか………もし、その時が来たら……」


乱れて彼女の額に張り付いていた前髪を、そっと指先で直して。
俺は、病室を後にした……。



















「いのうえー、準備出来てるかー?」
「はぁい!」

扉を開けば、井上が元気良く腰掛けていたベッドから飛び降りた。

「荷物、これ?」
「うん! ……ごめんね、結構重いよ?」
「全然平気。それに…もし病み上がりのお前に荷物持たせたりなんかしたら、後で竜貴に殺される」
「あはは……! たつきちゃん、元気かな?」
「元気だろ。きっと今頃くしゃみしながら、合宿先の道場で、自分よりでかい相手を蹴り飛ばしてるさ」
「ふふ…そうかもね……!」

会話しながら廊下に出て、退院の手続きを済ませて外へ出る。

「石田も、見送りくらいすればいいのにな」
「あ…石田君、今日は学校だって。新入生歓迎挨拶の原稿を、先生にチェックされるんだとか……」
「へぇ…生徒会長ってのも大変だな」

そんな他愛ない会話を続けながら、のんびりと井上のマンションへ向かう。

「そういえば、もう大分前だけど………俺に貸したい漫画があるって、言ってなかったっけ?」
「あ……う、うん!」
「今日、ついでに借りて行ってもいいかな?」
「どうぞ、どうぞ! 遠慮なく!!」

狭い、歩道。
ガードレールの内側を、時折肩や腕をぶつけながら、並んで歩いていく。

俺の隣で、井上が笑う。
まるで春の陽射しのような、やわらかな笑顔で………。

その時…ふいに耳の奥に蘇ったの、は。
あの夜聞いた、井上の言葉。







『終わりに見る景色の中に、笑顔を浮かべた黒崎君の姿が在りさえすれば、それだけで………』






「…っ、?!」
「………どうかした、黒崎君?」
「いや…何でもねぇ」


ゆるく、頭を振って。
そしてまた他愛のない話を続ける、俺と井上。











………なぁ、井上。
俺も、だよ。

俺だって……終わりに見る景色の中に、微笑むお前のの姿が在りさえすれば、それだけで。
きっと胸を張って、笑って逝ける。

ただ………叶うことなら、それは。
今から何十年も、時が過ぎた後で……ってのが理想だけどな。





「あ……ごめん。痛かったか?」
「ううん、大丈夫。こっちこそ、ごめんね? さっきから手、ぶつかってばかりで」
「仕方ねぇよ、道狭いんだから」










それは、遠い遠い夢物語。
今の俺には、彼女と手を繋ぐ資格すら無いのだから。

それでも………。
いつか、力を取り戻せたら。
それ以上に、ただの男としても恥じない人間になれたなら。


そのときに、は………。















その日まで。
君が待っていてくれるなら、よいのだけれど……。








終
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