BLUE BLUE BLUE



「どうして………?」

薄紅色の唇から、こぼれ落ちるソプラノ。
まるでそれが合図だったかのように、次から次へと、涙が薔薇色の頬を伝い始めた。

「いのう、え……」
「どうして…そんな言い方をするの……?」

狼狽える俺を、真っ直ぐに見つめて。
彼女が、言葉を紡ぐ。
震える、その声で…懸命に………。

「私が青条揚羽の話をしたのは、黒崎君が初めてじゃないよ?
でも、今まで誰も…わざわざ捕ってまで私に見せてくれようとなんてしなかった。
お兄ちゃん以外は、誰も………」

手の甲で一度、涙を拭って。
尚も彼女は、続ける。

「黒崎君……不良に絡まれてる人、何度も助けてるよね?
信号の無い道を渡れないでいるお婆さんの手を引いてあげたり、荷物持ってあげたりしてるのも、知ってるよ?
人混みで迷子になった小さな子、肩車しながら親を捜してあげた事もあったよね?
一緒に何か食べたり飲んだりした時、必ず他の人の分までゴミ集めて、ゴミ箱に捨てに行ったり。
アイスの棒やチョコの包み紙なんて…その場に投げ捨てる人、いっぱいいるのに……黒崎君、絶対にそんなことしないでしょう……?」
「だって、そんなの……簡単で当たり前な事ばかりじゃねぇかよ………」
「その当たり前の事が、当たり前に出来ない人が…いっぱいいっぱいいるんだよ?!」

驚くほど強い口調に、思わず息を飲む。

「お願いだから、そんな風に自分で自分を悪くいったりなんかしないで!
黒崎君は、何も変わってない。
なぁんにも、変わってなんかないよ?
自分より弱くて困ってる人が居たら、手を差し伸べずにいられない。
それが黒崎君で……。
黒崎君の、黒崎君たる所以で。
死神代行になる前だって、今だって、同じ。
そういう優しい気持ち、誰かを護りたいっていつも思ってるところ……。
同じだよ?
ちっとも違ってなんかいないよ?」
「井上………」

白い腕がすっと伸ばされて。
彼女の側にある俺の手を、そっと取った。

驚いて思わずひっこめかけた手を、力を込めて握られて。
そこにぽたり……と、落ちる雫。
きらり……陽光を弾きながら、手の甲を滑り落ちていく。

「お兄ちゃんの治療中、ずっと私の手を握っててくれたよね……?
泣きたいときには、泣け……って、言ってくれたよね……?
今日は……蝶を捕まえて、私に見せてくれた。
………嬉しかったの、とても。
嬉しくて……いつだって励まされて……何度も何度も、助けられてきたの。
この手、に。
死神代行っていう、特殊な力を持ったひとの手じゃなくて。
黒崎一護君っていう、ごく普通の男の子の手、に。
だから、お願い………」


役立たずなんて…使えない奴…だ、なんて。
そんなこと、言わないで………。


「井上………」

俯いて、肩を震わせて泣く……その、姿が。
あまりに儚く、心許なげに見えて………。

握られてないない方の腕を伸ばし、彼女の後頭部にそっと触れた。

びくり…と彼女の身体が跳ねる。それには、気づかぬ振りで。
そのまま静かに、小さな頭を引き寄せる。
そして……彼女の額を俺の肩口に押しつけた。

「……ありがとな、井上」

胡桃色の柔らかい髪の感触を頬に受けながら、耳元で囁く。

「すっげぇ、嬉しいよ………」
「黒崎く」
「でも、な?」

彼女が呼びかけた俺の名を、遮るように言葉を発して。
後頭部に回していた手を、側頭部に移す。

「やっぱり…心のどこかで、俺は受け入れられないんだ。
自分にもう、あの力が無いってことが……」

指先で探り当て、触れたのは……ヘアピン。
薄氷色に輝く、彼女の六花。

「悔しくて…悔しくて……たまらないんだ。どうしようもなく………」
「黒崎くん………」
「石田はともかく…お前とチャドが力を持っちまったのは、俺の所為だ。
死神代行だった俺に、関わった所為だ。
ただの人間でなくなって…その分、虚に狙われやすくなって………。
ましてやお前の六花の力は、藍染にも目を付けられた程だ。
また何時、どんな奴に狙われて、どんな目に遭うかわからねぇ。
なのに…俺は……俺、は………っ!!」

ぎりっと、奥歯が鳴る。
彼女が握ってくれている手を、おそらくは痛みを感じる程に握り返して………。

声を、絞り出す。

「俺はもう、護ってやれない!!
お前の事も、チャドの事も……家族も、友達も、誰も………!!!」
「くろ…さ…き……く………」
「護って、やれねぇんだ…………」

血を吐くように………。





初めて……漏らした、本音。
あの日からずっと…押し隠してきた、想い。



………霊なんか…見えなくなって、清々してらぁ。



ずっと…そう、強がって。
笑ってきた。


………嫌だったんだ。


心配されるのも。
同情されるのも。
誰かが、俺の事で心を痛めることも………。


だけど………。





「悔しい…よ………」
「……………」
「後悔は、してねぇんだ。それこそ、爪の先程も………」
「………うん」
「だけど……だけど………っ!」
「黒崎君……」
「………っく、しょ……ぅ…っ!!!」

小さな手を、握る。
そして、握り返される。

ぱたり……と。
彼女の肩に落ちて、服に染みを作ったのは………。

………違う。

涙なんかじゃ、ない。
断じて、違う。
だって……ほら、今日は酷く暑いから。
目玉だって、汗のひとつもかくってなもんで………。





「黒崎君………」






蝉時雨が、降る。
俺と、井上の上に。

それはまるで、音のカーテン。
幾重にも、幾重にも、重なって………。

この、小さな公園を。
俺たち、二人のことを。

世界中から、隔絶するかのように………。


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生物部の奴にでも頼んで、標本にでもするか?………と、尋ねた俺に。
彼女は静かに、首を横に振った。

太陽が傾きかけた橙色の世界を、二人並んで歩く。

高台の公園、展望スペースで。
彼女は、飼育箱の蓋を外した。

空に舞い上がる、揚羽蝶。
夕焼けの中…その翡翠色の残像を、俺たちの心に焼き付けて………。



舞い踊る姿が、小さくなって。
やがて見えなくなってしまっても。

俺たちは黙って、空を見ていた。
世界が藍色に染まって、星が瞬き始めるまで。


二人で、ずっと………。














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