GIFT



「……………」
「……………」

気まずい沈黙が、二人の間に降りる。
それを破ったのは、織姫の発した消え入りそうな声だった。

「あの………本当に、ごめんなさい。あんな…盗み聞きみたいな事……」
「だから…それは先刻も言ったけど、俺、全然気にしてねぇから」
「でも……っ」
「いいんだって!」

俯いていた顔を上げて更に謝罪の言葉を言い募ろうした織姫を、語気強く遮って。
橙色の髪に無造作に手を突っ込み、織姫から視線を外しながら、ぼそりと一護は呟いた。

「そもそも…わざと、聞こえるように言ったんだし……」
「……………へ?」

間の抜けた声に織姫の顔へと視線を戻せば、彼女はぽかんと口を開けて一護を見つめている。

「……何、で?」
「何で……って」

織姫の問いかけに、一護の顔が困ったような、怒ったような、複雑な色を浮かべて歪んだ。

「そりゃ、お前……俺にとっちゃ、一石二鳥って言うか、手間一個省けて儲けもんっていうか………」
「一石二鳥……手間………?」

きょとんとして瞬きを繰り返し、童女のように首を傾げる織姫。
そんな織姫を、益々情けなさそうに顔を歪めて見返した一護、は。

「……ああ、もうっ!」

がしがしと頭を掻き毟ると、織姫を睨みつけながらやけくそのように叫んだ。

「お前に正面切って好きだって告る事以外に何があるってんだよっ?! そのくらいここまでの流れで察しろ、この鈍感天然娘っ!!!」
「え………あ、あっ!!」

ようやく合点がいった織姫の顔が、ぽんっと音がしそうな勢いで朱に染まる。
そのままもじもじと俯いてしまった織姫に、一護が未だ少し憮然とした響きの残る声で問いかけた。

「………で、お前の返事は?」
「へ、へへへ返事って?」

おろおろと狼狽えて、鸚鵡返しするばかりの織姫に。
がっくりと肩を落とし、頭痛を堪えるかのようにその額を押さえながら、一護は盛大に溜息を吐く。

「く、くろさきくん?」
「………要するに、篤志から俺に乗り変える気がありますか…って尋いてるんですよ、井上さん!」
「っ、…?!」

息を飲む気配に、一護は前髪の隙間からそっと目の前に座る少女の様子を伺った。
驚いて、大きく目を見開いている織姫。
やがてその表情がゆっくりと悲しげに曇ると、静かに首が横に振られた。

「やっぱり……今更だったか?」
「………」
「俺に向かって吹く風でいる事には、もう疲れた? 篤志の帆になる方が、いい?」

淋しげに微笑んだ一護、に。
織姫は再び首を横に振りながら、そうじゃない……と、呟いた。

「俺ん家の借金や、竜貴んトコの土地問題だったら、気にする事無いんだぜ?」
「どうして、それを?!」

驚いて顔を上げた織姫に、少し考えればすぐに分かる事だ……と、一護は笑った。

「寧ろ、こっちが恐喝罪で篤志の奴を訴える事が出来るくらいだ。
どんな手を使ってでも戦うって言ったのは、そういう事も含めてなんだぜ。だから……」
「それでも…駄目なの!」
「いの……?」
「駄目なの……だって、私は…私には、黒崎君の彼女になる資格なんて、無いんだから!」
「………何だよ、それ」

訝しげに眉根を寄せた一護の目の前で、俯いたままの織姫の手がぎゅっとスカートの端を握りしめる。

「私、ね? 黒崎君の為だったら、何でも出来るって思ってたの。
死ねるとさえ、思ってたの。
でも……出来なかった。篤志君の彼女に成りきる事が……どうしても、出来なかったの。
黒崎君を好きな気持ちを…どうしても、どうしても殺せなかったから……!!」
「井上………」
「朽木さんは黒崎君の為に、あんなに静かに死を受け入れようとしたのに……。
私には、あんなに綺麗で鮮やかな潔さなんて無かったの! 持つ事が、出来なかったの!!」
「……あのさ、井上。
俺…死を覚悟するってのと、死んだ気になって何かやるってのは、似ているようで違う事だと思うぜ?」

一護の言葉に、織姫は尚も激しく頭を振った。

「でも……それだけじゃないの。
私…知ってたの。私が黒崎君を好きなせいで、大切な人を傷つけている……って事。
だから、今回の事は神様のくれた贖罪の機会なんだと思ったの。
これで、恩を返せる……って。
これまで貰うばかりだった優しさの、ほんの何分の一かでも返す事が出来る筈だ……って。
私が篤志君を受け入れさえすれば、全てが上手く行く筈だった。
それが解っていたのに……あたしは…あたしは………っ!!」

織姫の睫にみるみるうちに滴が溜まり、幾筋も幾筋も頬を伝い始める。

「ねぇ黒崎君。篤志君の事、酷い奴だな……って思う?
でもね…私、解るの。解っちゃうの!
そうまでしてでも、好きな人に傍に居て欲しい……って、気持ち。
ねぇ…解っちゃうんだよ!!!
それは、私も篤志君と同じだからだよ。
自分の為なら、誰のどんな気持ちだって踏みにじれる……そんな醜くて嫌らしい人間だからなんだよ!!!」
「………んなこた、ねぇよ」
「あるよ! 私なんて…朽木さんやたつきちゃんに比べたら、全然強くないし優しくもないし、綺麗じゃないの。
黒崎君の足を引っ張ることしか出来ない、ちっぽけで汚い人間なんだよ………」
「井上………」

うなだれて、肩を震わせる織姫。
一護は重く息を吐き出すと、ぼそりと独り言のように呟いた。

「そんな事言ったら、俺なんかどうすりゃいいんだよ……」

え?……というふうに、顔を上げた織姫が首を傾げる。

「……お前、よく俺の事を優しいって言うけど、さ。
人間としての器みたいなもんは、多分チャドの方がよっぽと大きいし、包容力だって何倍もあると思うよ。
石田みてぇに頭が切れる訳でもねぇし、気も回んねぇし。
水色みたく言葉一つで女を喜ばしちまうような真似は、死んでも出来無ぇだろうし……啓吾のゾンビ並みの打たれ強さも無ぇ。
短気だっていう自覚もあるし、売られた喧嘩は買って倍返ししなきゃ気が済まねぇ質だし、そんなだから教師には目ぇつけらちまうし……。
はっきり言って、全然良いとこ無しだぞ?」
「そ、そんなことないよ!」

織姫は焦ったように、ぶんぶんと首を横に振った。

「良いとこ無しだなんて……そんなこと、絶対に絶対に無い!
石田君とも茶渡君とも違う、黒崎君には黒崎君にしかない良さが、沢山沢山有っ………」

そこでふいに、織姫が口を噤んで。
しまった……とでも言うように口元を押さえて俯く姿に、一護の表情が和らいでいく。

「……同じだよ、井上」

そっと片腕を伸ばして、織姫の頬を掌で包んで。
一護は彼女を優しく仰向かせると、その涙で潤んだ瞳を正面から覗き込んだ。

「くろさき、く……」
「俺も、同じだ。同じなんだ、井上……」

もう片方の手も、反対側の頬に添えて。
親指で涙を拭ってやりながら、一護は幼子に諭すような口調で、ゆっくりと織姫に向かって語りかける。

「ルキアや竜貴と比べて、どうだとか……そんなの、関係無ぇ。
お前に隣に居て欲しくて、お前の隣は他の誰にも譲りたくねぇ……って、ただどうしようもなく、そう思うんだ。
その事で他の誰かを傷つけて、泣かせることになったとしても……それでも……!」
「くろ…さ……く………」
「俺………井上を…好き、だ」
「くろ…っ、?!」
「成績は抜群に良いくせに、何も無ぇ場所で年中すっ転んで、階段なんかもしょっちゅう踏み外して。
変な替え歌作るほどお笑いが好きで、手芸が好きで、実は空手もそこそこの腕前で。
あんこが好きで…つか、そもそも食うことが大好きで、男顔負けな食欲魔神で」
「く、くくくくくろ、さき、くん?」
「馬鹿みてぇに人が好くて、友達思いで、他人の長所見つけるのが得意で、なのに自分の長所にはちっとも気づかなくて。
敵ですら憎みきれねぇで、怪我なんぞしてりゃあ片端から助けて回るのに、自分の事にはとんと無頓着で、仲間護る為なら平気で無茶してこっちの肝冷やしてくれて」
「くろ、さき…く………」
「普段ぽやぽやしてるくせに、いざとなるとすっげぇ頑固で。
泣き虫のくせにピンチの時ほど強情張って、意地になったように頼ってくれなくなって、自分は大丈夫だから…って笑いやがる。
そんなお前だから……俺は…俺、は……」
「くろ…さ………」
「好き、だ。井上の事が…他の誰よりも、何よりも………」
「くろ…さき、く………」

くしゃりと歪む、織姫の顔。その瞳からは、次々と涙が溢れ出す。
一護は織姫の頬に添えていた手を彼女の華奢な肩へと移すと、静かに自分の方へと引き寄せた。

びくん…と硬直した背を、宥めるように叩いて。
胡桃色の豊かな髪に、顔を埋めて。
この状況に戸惑い、身じろいだ織姫の痩躯を拘束するように、腕の力を強めて。
耳元で、囁いた。


………ごめんな、と。


「くろさき…くん……?」
「気づかないで、ごめん。……いや、そうじゃねぇな。
気づかない振りしてて、ごめん……だ」
「くろ…さ……」
「俺…もう、逃げねぇから……ちゃんと、受け止めるから………だから。
また俺に、風…届けてくれよ。
もう二度と、他の奴の方なんか向かねぇで……それが例え、俺の為だったとしても………」
「くろさき…く………」

織姫の腕が、ゆっくりと持ち上がる。
躊躇いがちに背に触れてきた小さな手に、きゅっ…と制服を掴まれて。
その仕草と、そこに込められた織姫の想いを理解した一護は、より一層腕の力を強めて、彼女の髪に頬を擦り寄せた。





………その、直後。





「くぉらぁあああっ、黒崎ぃっ! 井上ぇっ! お前等そんなトコで何やってる!!!」

突如響き渡った、大音声。
二人は慌てて身体を離すと、声の聞こえた方に目を向けた。

……すると。

視線の先には、校舎最上階の廊下の窓に群がった、大勢の野次馬と。
その中央で拡声器片手にこちらを睨みつけている、越智の姿があった。

「………げっ」

顔から血の気が引く音を聞きながら、呻く一護。
その隣では織姫が、顔や耳のみならず、手足までうっすらと朱に染めながら、がっちがちに固まっている。

「全く……給水タンクの上で痴話喧嘩してるバカップルが居ると言うから、何処の馬鹿かと思って見に来てみれば………! 
仲直り出来たようでそれは大変に結構な事だが、ちったぁ場所を考えてイチャつかんか、このど阿呆!!
とにかく……二人とも今すぐそこから降りて、生徒指導室まで来るように。くれぐれも梯子を踏み外すなよ!」

それから越智は、野次馬の生徒達に向き直って。

「ほら、あんた達も帰った帰った! 明日から中間だって事を忘れたか?!
あと十数えるうちに、此処から離れなさい。でないと、減点するよ!!!」

そう怒鳴りながら彼らを階下へと追い立て始めた為、最上階はちょっとした騒ぎになった。
それに乗じて、一護と織姫は急ぎ梯子を降りていく。


屋上へと、降り立って。
顔を見合わせて、苦笑した……その、次の瞬間。
織姫は大きく目を見張って、息を飲んだ。

「どした?」
「……………篤志君、は?」

織姫の言葉に、そう言えば………と。
一護も慌てて、周囲を見回す。

しかしながら、屋上の何処にも彼の姿は見あたらなくて。
先刻よりも幾分強さを増した風が、ただ吹き抜けていくばかりだった………。















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