GIFT
「……この数日…あいつの霊圧を確認しながら、一緒に歩いた事のある道、一緒に過ごした事のある場所を、可能な限り回ってみた。
二人で話したこと、俺に見せてくれた沢山の表情……そんなものを想い出しながら、それを失うっていうのがどういう事か、必死に考えた。
死に別れるのとも、また違う。
生きているのに、逢えなくなるってこと。
確かに存在を感じるのに、近づく事も触れる事も許されなくなって。
あいつの笑顔も何かもかも、全部が俺じゃねぇ誰か別の男のものになって。
あいつを護る…その権利も誇りさえも、黙ってそいつに引き渡すしかない……そんな、未来。
………嫌だ…と、思った。
竜貴や妹たち相手なら、きっと祝福してやれる。
でも…それが井上だったなら、俺はとてもじゃねぇけど堪えられねぇ……って。
そう、はっきり自覚した」
辛そうに、苦しそうに、一護が目を閉じる。
「他にも、色々気がついたよ。
俺がどれだけ、自分に都合良くあいつを振り回してきたかって事に……。
先刻、言ったな? これまで井上を特別視した事は無ぇ…って。
それでいて俺は、俺の傍から井上が居なくなる日が来るかもしれるねぇだなんて、全く考えた事がなかった。
この先の未来にもずっと、あの笑顔は俺の隣に在るものだと…そう信じて、疑いもしなかったんだ。
………可笑しい、だろ?
俺自身、今振り返ると嘲笑えてしょうがねぇよ。
でも、な。
詳しく説明してやれねぇけど……井上はこれまで幾度か、生きるか死ぬか…っていう目に遭ってる。
その度に、俺はあいつを救いに行って…そして、取り戻してきた。
だから…油断…つか、思い違い?……しちまったのかも知れねぇ。
井上の居ない明日なんて、来るはずが無ぇ……って。
そう……俺は、井上の中に、他の誰よりも何よりも鮮やかに“普遍”や“永遠”を視ていた。
『明日』の保証なんて何処にも無ぇんだって…それを俺は、誰よりも知っていた筈なのに、そんな自分に都合の悪いことは、綺麗に忘れちまってた。
“特別”は要らねぇなんて言いながら、あいつのくれる優しさや笑顔に、甘えて、頼って、縋りついて……そうやってこの二年半、俺は生きてきたんだ。
そのくせ俺は、“仲間”という言葉で全てを誤魔化そうとした。
逃げたんだ。井上から寄せられる想いからも、自分の気持ちからも、何もかもから………。
………酷ぇ話だよな。
もし…これが他の男の話だったら、俺、間違いなくそいつをぶん殴ってる。
井上を都合よく使っておきながら、自分独りの力で立ってるような顔してんじゃねぇよ!……ってな」
情けねぇよなぁ………苦笑と共に、そう呟いて。
一護が前髪を掻き上げる様子を、篤志はただ黙って凝視し続けていた。
「こんな俺に井上が愛想尽かしても、それは仕方が無い事だと思った。
そんな矢先だった。
………風が、止まった。
一昨日の、夜の事だ。
井上から俺へと吹いていた風が、あの時確かに止まって……そして、向きを変えた。
篤志…お前の方へ……な」
一護の言葉に、篤志が大きく目を見開く。
その様子、を。
一護は何故か、嫉妬や羨望と言うよりも、寧ろ哀れみに近い表情で見返した。
「……悔しかったよ。
気が狂うかと思うほど、お前が妬ましくてたまらなかった。
だけど、全ては自業自得だ。
そんでもって……俺はもう、九つの餓鬼じゃねぇ。
星に向かって目一杯手を伸ばして、届かねぇと泣く……そんな駄々っ子のような振る舞いが許される筈も無ぇ。
これまで井上にしてきた仕打ちを思えば、尚のこと。
だから…せめて笑おうと思った。
笑って、あいつの背を押そうと決めた。
今度は俺が追い風になって、あいつを…あいつが幸せになれる場所へと送り出してやらなくちゃ……って。
もう俺の事など、構わなくていいから…どうか、自由に……と。
それで…昨日の朝、井上に逢いに行って……伝えたんだ。
『良かったな』って。
『幸せになれよ』って。
そしたら……。
あいつは、泣いた。
まるで、奈落へと突き落とされたような顔をして。
あいつは、泣いた。
泣いたんだ、篤志………」
次の、瞬間。
ゆらり………と。
一護の身体から、強烈な気が立ち上った。
殺気という名の、気が………。
思わず一歩、篤志が後ずさる。
その様子を眇めるようにして見ていた一護の口から、低い低い声が押し出された。
「篤志…お前、井上に何をした………?」
「何を……って…」
平静を装おうとするものの、自分に向けられた気迫のあまりの凄まじさに、掠れる篤志の声。
それを耳にした一護の瞳に、一層強い光が閃く。
「最初に言っただろ。
井上は物事を簡単に決めるような奴じゃねぇし、一度決めた事を覆すような事も滅多にしねぇ……って。
だから…もしも心の底から納得してお前の彼女になったんなら、例え俺が今更何を言おうと、どんな態度とろうと、泣いたりなんかしねぇ筈だ。
だけど、あいつは泣いた。
ぼろっくそに、泣きやがった。
……その時、俺は思い出したんだ。
四日前の昼休み…もうすぐ予鈴が鳴るって頃だ。あいつの霊圧が、酷く揺らいだって事を………」
篤志の身体が、ぎくりと強ばった。
それを目にした一護の顔つきが、一層険しいものになる。
「その時俺は、あいつの友達連中と言い争いをしていて…だから、気にはしつつも、そのまま放置しちまったんだ。
本当に一瞬の事だったし、そもそも学校の中だし…どうせいつもみてぇに、階段でも踏み外したんだろう…くらいに考えて…すぐに忘れちまってた。
たけど…良く良く思い返してみりゃあ、井上の態度がおかしくなったのは、あの昼休みの後からだ。
そして俺は、もう一つ重要な事に思い当たった。
あいつの、俺達への態度がおかしくなって変に意固地になる時は、大概の場合、あいつが誰かに弱みを握られた時だ……って
それもあいつ自身の事じゃなくて、俺や竜貴をネタにして脅された時だって事をな!
……なぁ、篤志。
お前、井上に何をしたんだ?
一体あいつに、何を言った?!」
今度こそ誤魔化しようもなく青冷めて、篤志はその場に立ち竦んだ。
それを暫くの間、一護は瞬きもせずに見据えて。
やがて伏し目がちに小さく息を吐き出すと、「まぁ、そんな細かい事はどうだっていいか」と、まるで独り言のようにぼそりと呟いた。
それから、ゆっくりと顔を上げる。
不敵な笑みを、その目元、口元に刻みながら……。
「要するに、だ。
あいつの気持ちがまだ完全にはお前に向いていなくて、つけ込む隙が有るって言うなら、俺は徹底的に付け込ませて貰う。
もう遠慮なんか二度としねぇから、覚悟しておけ。
そしてもし…お前が本当に井上を脅して、無理矢理言うこと聞かそうとしたって言うなら……俺は絶対に、お前を許さねぇ。
たとえどんな手を使ってでも、お前と戦って……そして井上を、護ってみせる!
解ったか、篤志?!」
そして何故か、一護は篤志から視線を外して。
彼のすぐ脇に建つ給水棟を振り仰ぐと、一際大きな声を張り上げた。
「井上、お前もだ!! 解ったな?! 」
一護が視線を戻すと、篤志の目はこれ以上ないと言うほどに大きく見開かれていた。
「どうして………」
喘ぐように呟かれた後輩の言葉に、にっ……と口の端を上げて。
鮮やかに、一護が笑う。
「………先刻も言ったろ? 俺は、あいつの霊圧を感知できるんだ…って、な!」
言い終わるや否や、ひらりと身を翻して。
棟の壁に取り付けられた梯子に手をかけた一護は、もの凄いスピードで棟の上へと登って行った。