GIFT
翌日。
竜貴は重い足取りで学校に向かった。
その脳裏で、は。
昨夕篤志から叩きつけられた言葉が、リフレインする。
『僕に言った言葉は、結局全部綺麗事ですか?』
思わず、きつく目を瞑って。
深く深く、息を吐き出す。
一護に未練があるのか……と問われれば、それには否と即答出来た。
勿論、全くの零である訳ではなかったが、それ以上に二人の幸せを祈る気持ちに嘘はない。
だけど………。
二人が結ばれてしまったなら、自分は?
彼らにとって【有沢竜貴】とは、この先彼らの人生の中でどんな立ち位置を得るのだろう。
幼なじみとして、親友として。
彼らの一番の理解者であり、その心に誰よりも近く寄り添ってきたのは自分だ……と。
そう自負して、これまで生きてきたのに。
「……何だか、子離れ出来ない馬鹿親みたいだ」
或いは、強度のシスコン・ブラコンと言ったところだな……と。
机に教科書を突っ込みながら、竜貴は自嘲気味に口元を歪めた。
その、直後。
「よぉ、黒崎! 今日は重役出勤じゃねぇんだ?」
同じクラスの男子生徒による揶揄を多分に含んだ声が、彼女の耳に飛び込んできて。
反射的に顔を上げれば、視界に飛び込むのは鮮やかな橙色。
腕を振りあげ、自分をからかった生徒に殴りかかるふりをする一護と、頭を抱えて大げさに怯えてみせる相手生徒。
そんな二人のやり取りに、周囲から笑いが沸き起こる。
やがて、振り上げていた手を降ろして。
周囲を取り囲むクラスメイト達と挨拶を交わしながら、自席の在る方へと、一護は身体の向きを変えた。
その顔を正面から見た、瞬間。
「……っ?!」
竜貴は思わず、息を飲んだ。
ここ数日の、どこか捉え所のなかった表情に。
その、瞳に。
以前のように、強い意志の光が宿っている事に気付いたからだ。
「いち……」
名を口にしながら、ふらりと一歩、一護の方へと足を踏み出す。
しかしながら丁度その時、生憎と本鈴が鳴り響いて。
出席簿を手に室内に入ってきた担任の姿に、彼女は慌てて自席に戻った。
担任の諸連絡を聞きながら、ちらりと一護の席へと視線を走らせる。
彼は頬杖を付いて、視線を窓の外へと向けていた。
それは一見、普段と何ら変わりのない、幼なじみの姿。
しかしながら。
竜貴は一護との付き合いの長さから、確実に何かが「違う」ことを見抜いていた。
『……一護』
心の奥底が、ざわり……と蠢いて。
思わず竜貴は、ふるりと身体を震わせた。
………そう。
彼女は、悟ったのだ。
彼は“決めた”のだ………と。
『一護……織姫………』
息苦しさに、喘ぐように呼吸をして。
目を、閉じる。
『それなら、あたしは………あたしが採るべき、道は………』
ゆっくりと、竜貴が瞼を持ち上げる。
その下から現れた、彼女の漆黒の瞳にも……また。
彼女の幼なじみにひけをとらない力強い光が、静かに瞬いていた。
この日は、中間テストの前日で。
授業は短縮のうえ、午前中のみで放課となった。
SHRが終わるなり、一護は静かに席を立ち上がって。
机の間をすり抜けながら教室を横切り、廊下へと出て行く。
その彼が。
踵を返して向かった先は、昇降口ではなく階段のある方角で………。
ぼんやりと一護の後ろ姿を見ていた竜貴は、弾かれたように席から立ち上がると、鞄も持たずに廊下へと飛び出した。
「一護……っ!」
叫ぶような竜貴の呼びかけに、ゆっくりと一護が振り返る。
「何だ?」
「………行くんだ、ね?」
何処へ……とも。
何をしに……とも、竜貴は言わなかった。
それでも。
一護には、彼女の言わんとするところがちゃんと通じたらしい。
ああ……と、小さく頷いて。
静かで大人びた微笑みが、その目元と口元に刻まれていく。
そこ、に。
河原で泣いていた男の子の面影は……もう、無い。
「うん、そうだよ……一護! それでこそ、あんた…あたしの自慢の幼なじみってもんだ!」
津波のように激しく押し寄せてくる淋しさを、心の底に抑え込んで。
親指をぴしりと突き立てて、竜貴は鮮やかに微笑んでみせた。
それに応えるように、一護も微笑みを深くして。
しかしながら、一瞬の後。
何故かそれが、ふ………と、彼の顔から消えた。
「一護……?」
訝しんで、僅かに眉根を寄せた竜貴。
その耳に、一護の声が静かに流れ込む。
「………ごめん、な?」
「いち……?」
「ごめん、竜貴……」
「………、っ?!」
戸惑って揺れていた、竜貴の瞳。
それが、大きく大きく見開かれた。
『一護は、分かってるんだ………!』
熱い塊が、溶岩のように喉元をせり上がってくる。
それを必死で飲み下しながら、竜貴は「馬鹿ね」と呟いて。
渋面を作りつつ腕組みをすると、胸と頭を反らし気味にして言い放った。
「あたしに謝ってる暇があったら、さっさと行きな!」
その言葉に、一護の表情が微苦笑に変わる。
「………じゃあ…行ってくるな」
「おう、びしっと決めて来い!」
もう一度、今度は心底から苦笑するように笑って。
踵を返し、背を向ける一護。
次第に遠去かる、橙色の頭髪。
それが廊下を曲がる寸前、竜貴はもう一度だけ、彼の背中に向かって叫んだ。
「………一護、しっかりね!」
その言葉に、軽く片手を挙げて。
今度は振り返らず、立ち止まらず、壁の向こう側へと消えていく幼なじみ。
その残像を心に焼き付けるように、目を閉じて。
竜貴は小さく、呟いた。
「ばいばい……あたしの、泣き虫一護………」
それにしても………と。
教室に戻り、鞄を肩に掛けながら、竜貴は昨夕の篤志とのやり取りを思い返していた。
彼は言ったのだ。
竜貴の夢見る光景と、彼が見たいと願う光景は同じなのだ………と。
そして、明日の午後……つまり今日の午後には、織姫を返せる………とも。
………おそらく、は。
昨日、篤志と竜貴が逢った時点で既に。
一護と篤志とは、今日これからの約束を交わしていたのに違いない。
そして。
一護に行動を起こさせる為に、彼がこれまでの騒動を引き起こしてきたのだとしたら………?
「あたしが、お人好しすぎる………だって? 篤志……それ、そっくりそのまんま、あんたに返すわよ」
ふんっ……と。
忌々しげに、竜貴は鼻を鳴らした。
「でも………」
織姫を返せる……その言葉には「多分」と「思います」が付属していた。
要するに。
ここから先は、一護の篤志に対する出方に全てがかかっていると言うことだ。
………それまでは、先輩は僕の…僕だけの『彼女』です。
竜貴にそう言い放った時の篤志の瞳は、確かに恋をしている者のそれで。
その彼を引き下がらせるだけの行動を一護が示せなければ、織姫を大人しく返したりはしませんよ……と。
そう宣告されたのに等しいと、竜貴は篤志の言葉を解釈していた。
そして一護にとって、篤志の条件をクリアするという事は、決して生優しいものではないようにも思う。
「………頑張れ、一護…!」
窓の外、今日も見事に晴れ上がった蒼い空を見上げて。
竜貴はそっと、エールを送った。
ふ………と。
一護が虚空に、目を向けた。
「………どうかしましたか、先輩?」
「いや…何でもねぇ」
ゆるく、かぶりを振って。
一護が真正面へと、視線を戻す。
そこに、は。
いつもと同じように、うっすらと捉えどころのない笑みを浮かべた篤志が立っていた。
「昨日はすみませんでした。
折角教室まで訪ねて来てくださったのに、今日に延期してくれと我が儘を言って……」
「先約があっちゃ、仕方がねぇよ。しかもそれが家族とのものなら、尚更……な。
まぁ俺は俺で、昨日は勢いだけでお前ンとこ訪ねて行ったしな。
一晩置いたお陰で、寧ろ色々と冷静に考えたり出来たから……結果的には今日で良かったと思ってる」
「そうですか…なら、良かった……!」
にこり……と、あどけなく笑って。
「それで……」
吹く風に乱れた前髪をかきあげつつ、篤志が一護に問いかける。
「僕に、話って……?」
「ああ……」
小さく、頷いて。
一護はその薄茶の瞳を、真っ直ぐにかつての弟弟子のそれへと向けた。
「詫びを言おうと思って、な」
「………詫び?」
きょとんとして、篤志が首を傾げる。
「僕、先輩に何か謝られるような事をされましたっけ?」
「いや……多分してねぇ…と、思う」
「それなら、何で」
「………これから、するんだ」
「え………?」
戸惑ったように瞬きをする、篤志の視線の先。
一護の口がゆっくりと開き、凛とした声が屋上に響いた。
「………井上は、渡さない」