GIFT
何故、どうして、このタイミングで………!?
叫び出したい気持ちを堪えて、きゅっ…と下唇を噛みしめる。
竜貴達と違い、一護が自分と接触しようとする素振りなんて、この数日微塵も感じられなかった。
ああやはり、彼は私に関心など無かったのだ………と。
それも、彼女が篤志を本気で受け入れようと思った理由の一つだったのだ。
それなのに………。
「篤志と、付き合ってる……って?」
挨拶すら返せずに俯く織姫の耳に、護の声が静かに流れ込む。
一番訊かれたくなかった相手からの質問に、織姫はただ黙って肯いた。
すると、「そっか……」という小さな呟きが聞こえて。
次の瞬間。
ふ………と、一護が笑う気配がした。
反射的に顔を上げた織姫の瞳に映ったのは、眉間の皺の消えた穏やかな微笑みで。
呆然と見返す織姫の目の前で、一護の唇が動く。
よかったな………と。
織姫の内側で、何かが砕け散った。
「あ……と。おめでとう…で、合ってるのかな。こういう場合にかける言葉って」
頭を掻きながら笑顔で発せられる一護の言葉を、酷く遠くに聞いていた。
それでいて、それらは激しく鋭い痛みを伴いながら、織姫の胸の内を深く深く抉っていく。
「幸せにれなれよ……って、なんだかこれじゃ、俺、お前の親父みたいだけど…」
「ううん、そんなこと…………え、と…その、どうもありが…と………」
苦笑する一護に、笑顔で応えようとして。
しかしながらその瞬間、彼女の瞳からこぼれ落ちたのは、大粒の涙だった。
「………いのうえっ?!」
「あ、あれ……なんで………おかしいな」
呆然と自分を見つめる一護に、必死に微笑んで。
「うん、あのね? 私、幸せだよ……とってもとっても幸せなんだ。篤志君も小母様も、優しくしてくださるし…………」
そう言いながら、笑って涙を拭う。
しかしながらいくら拭っても、溢れる続ける雫は止まることを知らない。
「ほ、ほんとだよ? ほんとに、私………」
「井上っ……、」
気遣わしげに、一護の手が伸ばされる。
それを、織姫はとっさに強く振り払った。
「いのう……?!」
「……ごめ、なさ……あた、し……ちょっと、体調…悪………」
切れ切れに、やっとの事で言葉を絞り出すと、織姫は身を翻してマンションの中へと駆け戻った。
エレベータを待つのが嫌で、階段を一息に駆け登って。
震える手でこじ開けるように玄関の鍵を開けると、そのままベッドにダイブした。
激しく咳き込み、苦しい呼吸の下で、いっそこのまま死んでしまえたら……とさえ思う。
しかし、願い虚しくやがて心臓の拍動は落ち着きを取り戻し、織姫は大きなため息と共に緩慢な動作で仰向けに体勢を変えた。
涙でボヤケる、白い天井。
反して脳裏に鮮明に浮かぶのは、困惑しきった一護の顔。
「……どうして、こんな事になっちゃったんだろう…………」
実らない恋で終わるだろう………と、半ば覚悟は出来ていた。
しかしながら、こんな形で終わるとも思っていなかった。
彼に気づいてもらう事のないまま、ただ静かに月日に埋もれていくのだと思っていたのに………。
「幸せに……だって………」
なんて優しくて、残酷なのだろう。
その言葉も、それを口にした時の彼の表情も………。
そしてまた。
そんな事を思う自分自身を、織姫は嫌悪し、強烈な吐き気を覚えるのだった。
自分を祝福しようとしてくれた一護に、あんな困った顔をさせしまうだなんて。
自分に向けられた思いやりの心を、残酷だなどと思ってしまうだなんて。
その事がたまらなく、嫌だった。
「私……汚い…………なんて…なんて、汚いの………」
彼女の心に思い浮かぶの、は。
自分を友と呼んでくれる、二人の少女の顔。
方や、一護を救う為に処刑される事すら厭わず。
方や、織姫の為に自分の心を殺して、それでも親友として側に居続けてくれた………どちらも美しい黒髪を持つ、彼女達の。
その、綺麗で優しい心根と意志の強さ、見事なまでの潔さに、自分のそれは遠く及びもしない………と。
織姫は深く、己に恥じ入った。
「………そうだよね、当たり前だよね。
こんな嫌な女、そもそも好きになって貰える筈がないんだ。
友達って…仲間って思って貰えるだけ、有り難いと思わなくっちゃいけなかったんだ」
朝日の中で佇む一護を見たとき、一瞬だが、彼女は期待してしまったのだ。
もしかしたら………と。
「……馬鹿みたい。そんなこと、ある筈がないのに………」
うっすらと、自嘲する。
そのそばから、また大きな瞳から新たな涙がこぼれ落ちる。
「篤志君の、所為じゃない。私の、所為。全部、自分が悪いんだ………」
泣いて、泣いて、泣いて。
本当に吐いてしまうまで、泣いて。
「ああ、でも………」
ゆっくりと、ベッドに身を起こしながら。
これで本当に覚悟を決められる………そう、織姫は呟いた。
今度こそ、殺してしまおう。
昨日までの、自分を。一護への、想いを。
大切な二人と、その家族を護る為に。
そうして、今までの恩を少しでも返していこう。
憧れてやまない彼女の心に、少しでも近づけるように。
大好きな親友の優しさを、見習って。
明日からは、きっと………!
そのとき、インタフォンが鳴った。
居留守を使おうとベッドに座り込んでいた織姫だったが、スピーカー越しに届いた篤志の声にびくり……と肩が跳ねた。
つい先刻、「篤志の彼女」に徹しようと思ったばかりなのに……と、織姫は自嘲しつつ頭をひとつ振って。
ベッドから立ち上がると玄関に向かい、鍵のつまみを捻った。
………ところが。
「開けてくださらなくて、結構です。プリントを届けに来ただけなので………」
「………え?」
かちゃり……とシリンダーが回る音が響いたと同時に、そんな言葉が聞こえて。
戸惑いつつも手を止めた織姫の目に、状差しからそっと差し込まれる封筒が映った。
「あの、篤志…くん?」
「今日はこれで、帰ります。この後用事があるので。
元々その用事のせいで、今日は一緒に勉強出来ないと伝える為に教室に行ったら、無断欠席してると聞かされたんですよ。
それで心配になって、下校しながらこちらに寄ってみたら、たまたま下でたつき先輩に逢って…その封筒、横取りしてきちゃったんです」
「そう…なんだ………」
「それで……明日は、学校に来られます?」
「……多分」
「よかった! それじゃあ、一つお願い事があるんですど……いいですか?」
そうして告げられた篤志の頼み事に、織姫が承諾の意を伝えると。
ドア越しに、篤志が嬉しそうに笑った気配を感じた。
「それじゃ、僕はこれで。さよなら……」
挨拶の言葉が聞こると同時に足音が響き、それが次第に遠くなっていく。
織姫はその律動に富んだ音を聞きながら、急速に沸き上がる違和感に、無意識に胸元に手を当てた。
制服のシャツをきゅうと握りながら、その違和感の正体を賢明に探る。
数秒後。
はっ………として顔を上げた織姫は、慌ててドアを押し開いた。
「篤志くんっ……?!」
しかしながら、その後姿は既に通路には無く。
佇む織姫の髪を揺らしながら、秋色の風が、ただ静かに吹き抜けていった。