GIFT



「……まるで、これから絞首台にでも向かうっていうような顔してますよ」

書庫と司書室との境目、織姫を振り返った篤志が苦笑する。
見返す織姫の、眉根を顰めて睨むような視線を平然と受け流しながら、篤志は軽く肩を竦めた。

「これでも、アドバイスしてるつもりなんだけどな。
そんな顔で人前に出ていったら…皆、何事があったのかと心配して、質問攻めにあいますよ?
そうなって困るのは、先輩自身でしょう……?」

俯いて、そっと唇を噛む織姫。
悔しいけれど、篤志の言うとおりだった。

ここでの事は、決して他言してはならない。
それならば。
何事も無かったかのような顔をして、ここから出ていかなければ………。


軽く、頬を叩く。
気を強く、保たせるために。
………そして。
恐らくは青ざめているであろう自身の顔に、少しでも血の気を取り戻すために。



篤志の後に続いて図書室に戻り、無理矢理に微笑を貼り付けた顔で、彼の貸し出し手続きが済むのを待った。
そして、予鈴を聞きつつ二人連れだってHR階へと降りていく。

「折角お付き合いを始めたんですから、今日からは僕の家で、二人だけでテスト勉強しませんか?」

それぞれの教室へと向かう分岐点で、実に屈託のない笑顔で篤志が提案した。

「実は放課後、母が学校近くに用事があるので、ついでに迎えに来てくれる事になってるんです。
SHRが終わったら先輩の教室まで迎えに行きますから、帰らずに待っていてくださいね?」

これまた頷くより他無い、織姫である。


篤志が背を向けると同時に、織姫は無意識にポケットの中の携帯を探った。
強く握りしめ……次の瞬間、まるで感電でもしたかのように慌てて手を離す。

『駄目……誰にも頼っちゃ、駄目』

脳裏に浮かぶ、友人たちの笑顔。
彼女たちを信頼していないわけではない。
それでも人の口に戸はたてられない以上、絶対は無いのだ。

のろのろと、ポケットの外に手を出して。
ぎゅっと拳を握ると、織姫は自分の教室へと足を向けた。












「………疲れた」

その日の、夜。
篤志の自宅から戻るなり、織姫はベッドに倒れ伏した。

放課後は、教室に迎えに来た篤志と共に教室を出て。
校門から少し離れた道路端に停まっていた、篤志の母親の運転する車に乗り込んだ。
篤志の母親は運転中から気さくに話しかけてくれ、家に着いてからは手作りの菓子と夕食とで、織姫を一生懸命もてなしてくれた。
育ちの良さを思わせる、優雅で洗練された立ち居振る舞い。
聡明さと優しい気遣いとを感じさせる、会話の内容。
篤志との「取引」がなければ、自ら進んで仲良くなりたいと思ったであろう、素敵な大人の女性………。

その事が尚更、織姫の心を重くする。

そして篤志は………と、言えば。
到着してすぐに「ネット通信で英会話を教わっている時間なので……」と、小一時間ほど自室に隠ってしまった。
その間、織姫は通されたリビングのダイニングテーブルで、独りで試験勉強するしかなく。
やがて降りてきた篤志もまた、勉強道具を手にしていて。
結局夕飯の時間になるまでは、場所が自習室ではないだけの、いつも通りの勉強会が行われただけだったのだ。
しかも、そこには常に篤志の母親の目がある……という状況で。


………正直なところ。
織姫はほっとすると同時に、酷く拍子抜けしてしまっても、いた。
彼女は、篤志の彼女に対する要求がエスカレートしていくのでは……と、何よりもそれが恐ろしかったのだ。
もしも、性的な関係を求められたりしたら……?
ちらりとでもそんな事を考えただけで、身体が震え出して止まらなくなる。

「何もなくて、良かった………」

ほう……と深く、安堵のため息を吐く織姫。
しかしながら、篤志との付き合いはまだ始まったばかりだ。

明日は?
明後日は?
その先のいつかに、は………?

脳裏に甦る、篤志が書庫で見せた冷酷な笑み。
織姫は思わず、ふるりと身体を震わせた。


「怖い…よ……」

きゅっと、目を瞑る。
そうして瞼の裏側に浮かぶのは、やはり親友と想い人の笑顔だった。 
今回は決して頼るわけにはいかない二人だと、わかっていても………。

「たつきちゃん……黒崎君………。
怖い……怖いよ、ねぇ…たつきちゃん、たつきちゃん、たつきちゃんっ……!!!」

その時、電話の呼び出し音が鳴り響いて。
ぎくり……と身体を強ばらせ、織姫は視線だけを電話機へと向けた。
コール音を10数えたところで留守電に切り替わり、アナウンスの後で聞こえてきたの、は。
織姫を気遣う、優しい優しい竜貴の声。

受話器に飛びつきたくなる衝動を、必死で堪えて。
頭から布団を被り、耳を塞ぎ、ひたすら身を縮こませる織姫。

録音可能な時間を過ぎて、ツー・ツー……と無機質な音が流れ出したところで、のそりと起きあがった彼女は。
電話のボタンが点滅するのを、暫くの間ぼんやりと眺めて。

「このままじゃ、駄目だ………」

ぽつり……と呟きをこぼしつつ、ポケットから携帯電話を取り出した。
電源だけは教室に戻ってすぐに切っておいたそれを、掌に乗せたまま暫くの間じっと見つめる。

………やがて。

彼女は意を決したように、小さくひとつ頷いて。
携帯から電池パックを抜き取ると、ふらりとベッドから立ち上がった。
まずは固定電話の線を壁から引き抜くと、次に玄関へと向かう。
靴を履いて、ドアの外に出て。
通路の端まで歩いていくと、手摺から大きく身を乗り出した。
眼下に捉えたのは、排水路。
その暗い水面に向かって、力一杯電池パックを放り投げる。

微かに上がった、水音。
それを耳にするなり踵を返して、今度は勢いよく階段を駆け降りた。
管理人室のドアを叩き、脚立を借りて自宅に戻って。
脚立とドライバーを使って天井にある点検口を開けると、天井裏に固定電話機を押し込む。

再び管理人室に赴いて、脚立を返して。
戻って来た自宅の玄関内、彼女は背中をドアに預ると、ずるずると力無くその場に座り込んだ。

「……………これで、いい」


他人を頼ってはいけない。
自分のうかつな言動が引き金になって、竜貴と一護、その家族の生活を壊すような事があってはならない。

それがわかっていても、不安や恐怖に支配されている現在の状況で。
彼女が思いつく最も手早い対策とは、友人達との接触を極力断つという方法だった。


「とりあえず、携帯は故障した事にしておこう」

しかしその言い訳は、保って一週間から十日というところだろう……
そう推測する織姫の瞳、に。
不安定ながらも、強い意志の色が浮かび上がる。

一週間………その間に、覚悟を決めるのだ。
自分の心を殺し、夢見た未来を捨てる………その、覚悟を。


「………きっと、出来るわ。
だって…黒崎君とたつきちゃんを護るためなら、命をかける事だって出来る……って。
ずっと、そう思ってきたんだもの」

そう………今、この瞬間から。
『井上織姫』という人間の魂は、死ぬのだ。
七日という時間をかけて、ゆっくりと。
でも、確実に。

後に残るのは、身体だけだと思えばいい。
例えばそこに、『篤志の彼女』としてプログラミングされた義魂丸が入り込んだのだ……と。
それこそが『私』という存在なのだ……と。
そう、自分自身を信じ込ませればいい。

「出来るわ、きっと………」

こぼれかけた涙を、手の甲でぐいっと拭って。
織姫は真っ直ぐに、顔を上げた。
その瞳が、何かに気づいたように僅かに見開かれる。

「そうよ! それに…そうなれば、もう………」

瞳の奥に、輝きが戻る。
唇がゆっくりと、上弦の月の如き優しい弧を描いていく。



………それ、は。
哀しく儚げながらも、マリア像を思わせるような優しく美しい微笑みだった。
















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