GIFT
「喧嘩でもしたの?」
呆然と立ち尽くす竜貴の背後でドアが開き、本を抱えた和泉が司書室に入ってきた。
「……喧嘩というか、行き違いと言うか…まぁ、そんなトコです」
半ば無理矢理苦笑を浮かべ、竜貴は軽く肩を竦めてみせる。
「珍しいこともあるものね。あなた達が揉めるだなんて」
「………」
「それって…先刻の質問にでてきた、2年の木村君が関係してるのかしら?」
「………」
「確かに、親友としては戸惑うわよねぇ。井上さんが黒崎君以外の子と付き合うなんて……」
竜貴はぎょっとして、和泉を見つめた。
その視線を受けて、今度は和泉が肩を竦める。
「おしゃべり雀は、何処にでも居るものよ」
「……いえ…その、篤志の事だけじゃなくて」
「ああ、黒崎君のこと?
だって…夏休みの終わりくらいから二人でよく図書館で勉強してたし、それよりずっと以前から、越智があの二人を気にかけてるの…知ってるからね。
私もつい…あの二人が目にはいると、観察モードに入っちゃう……って言うか。
それに…ここだけの話にしておいて欲しいんだけど、一部の教職員の間では、卒業までにあの二人がくっつくかくっつかないかで、賭けをしてたりもするのよねー」
「………聖職者が何やってんですか」
「今時期の3年の担任なんて、ストレスが服着て歩いてるようなもんなのよ。
賭けって言ったってランチ奢る奢らない程度の話なんだから、大目に見てやんなさいよ。
そんなことより、その黒崎君の事なんだけど……彼、今日の午前中、ずっと此処に居たわよ」
「えっ……?!」
大きく目を見張り、ごくり…と音を立てて竜貴は唾を飲み込んだ。
………実は。
彼女が頭を悩ませていたのは、織姫の事だけではなかったのだ。
みちるが自習室に駆け込んできた後からの、一護の一連の挙動にもまた、彼女は気を揉み続けていたのである。
みちるの言葉に、一瞬動揺する様子を見せたものの、後はいつもどおりに淡々と参考書に向き合って。
下校時刻を告げる放送と同時に、啓吾達に「帰ろうぜ」と声をかけて、何事もなかったかのように自習室を出て行った一護。
あまりに普段通りな彼に、むしろ啓吾の方が戸惑って言動がおかしくなり、一護に鋭く突っ込まれながらしばかれていたくらいだ。
『………やはり…織姫に対して、恋愛感情はなかったのだろうか』
やりきれない想いを抱えながら、帰宅して。
眠れぬ夜を過ごして迎えた、今日。
SHRまでは確かに教室に居た筈の一護の姿が、1限が始まる直前に教室から消えてしまったのである。
それっきり。
昼休みになっても、放課後になっても、一護は教室に戻って来なかった。
「………あいつ…ここで、何をしてたんですか?」
「一応、勉強道具は広げてたけど……窓の外を眺めてる事の方が、多かったかな」
「そ…う、ですか……」
「ただ…あの席は、確か二人のお気に入りの場所だった筈よ。
井上さん、エアコンの冷風に直接当たるの苦手でしょう?
二人であちこち座り比べてみたらしくて、一番冷気が緩やかに感じると言っていたから」
「………」
和泉の視線を追い、司書室の窓から図書室の中を臨む。
今は別の生徒が座っているその席を、切なげに見つめる竜貴に。
「まぁ…賭けに一口乗っているから……ってわけじゃないけど」
少しおどけたような口調で、声をかける和泉。
竜貴がゆっくりと視線を向ければ、悪戯っぽく微笑んで。
「私としては、黒崎君が逆転打を放ってくれることを期待するわ」
鮮やかに決まる、ウィンクひとつ。
そんな彼女の気遣い、に。
微苦笑を浮かべつつ、竜貴は小さく頷いた。
それから二日間は、特に大きな動きもなく時間が過ぎていった。
竜貴達にしてみれば、動きようがなかった……と言う方が正しいかもしれない。
織姫の真意は、ともかくとして。
彼女が一度「こう」と決めたら、それを周囲の人間が覆そうとする事は、まず不可能だ。
そんな織姫の性分を良く知る竜貴としては、当面は黙って様子をみる……という選択枝しか、そもそも残っていなかった。
しかも。
織姫は、先日の電話で「心配要らない」という言葉を繰り返し使った。
それが、彼女が困難な状況に置かれている時の癖だと言うことも、これまでの付き合いの中で嫌と言うほど思い知らされている。
『………下手に動き回って、かえって状況を悪化させてはまずい』
竜貴は必死に「焦るな」と自分自身に言い聞かせつつ、自分の出ていくべき場面を見逃すまい……と、気を張り続けていた。
それにしても………と。
竜貴はひそりと、重い息を吐き出す。
本来ならこんな時、最も頼りになるのは一護の筈だった。
しかしながら彼は彼で、引き続き不審な行動をとり続けていた。
真面目に授業を受けていたかと思えば、鞄を残したまま急に姿が見えなくなったり。
いつの間にか戻ってきたかと思えば、ちょっと他の事に気を取られた隙に帰ってしまったていたり。
ずっと、そんな調子で。
一体何処で何をしているのか……と。
気に病みながら、帰宅の途に着けば。
「何や一護の奴、午後中公園のジャングルジムの天辺に座って、ぼーっとしとったで!」
すれ違ったひよりから、そんな報告を受ける始末で。
「………全く、何を考えているのやら」
きり……と。
就寝前のベッドの上、親指の爪を噛みながら、ひとりごちる竜貴。
一護もまた織姫同様、肝心要な事柄に限って口を閉ざしがちになり、他人を頼らなくなる性分だ。
その事で、知り合ってから既に干支一回り超えたつき合いの中、どれほど気を揉まされ続けてきたことだろう。
「本っ当に、もう……似てなくても良いところばかり似てるんだから、あの二人は!」
いつもなら笑いながら口にする筈の台詞を、ため息混じりに呟いて。
どうせ今夜も熟睡出来ないだろうと思いつつも、竜貴は頭の先まで毛布を引っ張り上げ、暗闇の中できつく目を瞑った。
膠着していた状況に動きがあったのは、その翌日のことだった。
昼休みになったと同時に、竜貴は自分を呼び出す和泉の校内放送を聞いた。
慌てて司書室に向かうと、そこには越智が待っていて。
いつものどこか飄々としている表情とは違い、眉根を顰め気味に、竜貴に尋ねてきた。
「井上が学校に来ていないんだが……有沢、何か聞いてるか?」
竜貴は大きく、目を見張って越智を見返して。
次の瞬間、慌てて大きく首を横に振った。
「そうか、有沢にも理由がわからんか。
参ったなぁ、電話してみても家電も携帯も通じなくてな」
「その……家電は迷惑電話対策で線を外してて…携帯は故障中と聞いてます」
竜貴にしては珍しく歯切れの悪い話し方に、越智はぴくりと片方の眉を上げる。
しかし口では短く、「そうか」と相槌を打っただけだった。
「すみません、お役に立てなくて……」
「別に有沢が謝ることじゃないだろう。知らないものは仕方がないさ」
「酷い風邪でもひいて、連絡も出来ないでいるとか?」
「いや、それならまだいい……………って、全然良いわけないよな?! 何言ってんだかなぁ、私も……」
苦笑する越智に、訝しげな視線を向ける竜貴。
「………先生?」
「いや……実は、な」
重い溜息を一つ、吐いて。
越智は静かに、本題を切り出した。
「今朝……井上のマンション前で、井上が黒崎と一緒に居るのを見かけたと報告してくれた生徒が居てな」
「………一護、と?」
「ああ。二人で話をしていたらしいんだが、その途中で井上が、マンション内に走って引き返したと言うんだ。
それも、泣きながら」
「な………っ?!」
「目撃したという生徒も、言い争いをしているようには見えなかったのに……と、大分困惑していたよ」
「そうですか………」
苦しげに顔を歪め、唇を噛む竜貴。
越智は眼鏡を指で押し上げながら、レンズ越しに探るような視線を竜貴に向けた。
「なぁ……有沢。一体井上に、何が起こってるんだ?
二年の木村との事といい、今朝の事といい……このところ、らしくない話ばかりが耳に入ってくる。
入試日も近いこの時期、正直心配でな。
黒崎にしても、同じだ。
三年途中に突然医学部進学に進路変更などと言い出して、学年中騒然とさせた挙げ句、ここでサボり癖を再発させているようでは、な。
元々学力は高いんだし、いざと言うときの集中力は半端無いから、模試の結果はそれなりに出ているが………。
赤点採って留年なんてことにでもなったら、元も子もないってのに」
「すみません……私にも何がどうなっているのか、わからないんです。本当に………」
力無くうなだれた竜貴を、しばしの間、越智は見つめて。
それから労るような笑みを浮かべると、ぽんっと竜貴の肩を叩いて至極明るい口調で言った。
「そうだな……何が起きているかわかってたら、有沢が黙って指をくわえて見ている筈はないものな」
「先生………」
「変な事を訊いて、悪かった。………で、ここからはお願いなんだが」
ごそごそと、プリント数枚の束を竜貴に差し出す越智。
「悪いが放課後、これを井上に届けてやってくれんか。試験範囲に入っている単元の、補助資料なんだ。
これを届けがてら、様子をみてきてはくれないだろうか」
ここで再び、越智は深刻そうに眉を顰めて。
竜貴はその元担任らしからぬ重い表情に、思わず数度瞬きを繰り返した。
「先生………?」
「井上が誰とつき合おうと、構わん。賭に負けるのは悔しいがな。
ただ……今の井上は、明らかに変だ。
昨日、一昨日とそれとなく様子を見てきたが……少なくとも、彼氏が出来たばかりの『恋する女の子』って顔じゃない。
寧ろ……何かに追いつめられているようにすら、見えるんだ」
「……………」
「頼まれてくれるか、有沢?」
………多分、越智は。
織姫に避けられている自分に、織姫と接触する機会を与えようとしてくれているのだ……そう察した、竜貴は。
「わかりました」
力強く頷きながら、越智からプリントの束を受け取った。