GIFT
織姫が後輩男子と付き合い始めたらしい…という噂は、翌日には学年のみならず校内中に広まっていた。
織姫の真意を確かめたい竜貴達であったが、携帯電話は前日夕方から電源オフの状態が続いていて。
では、直接問いただそう……とするも、これがどうしてなかなか本人が捕まらない。
勿論、織姫自身が竜貴達を避けてもいたのだろうが、教室の位置関係の問題もまた、大きかったのだ。
3年生は基本校舎の1階にHRが配置されている。
しかしながら織姫のクラスを含む2クラスだけが、職員室や進路指導室の並ぶ管理階を間に挟んだ3階の端にあるのだ。
10分間の休み時間に急いで行って戻って来ようとするには、少し難しい距離である。
更に間の悪いことに、その日の織姫のクラスは教室移動の教科も多くて。
休み時間になったと同時に廊下を駆けてみても、辿りついた教室の中は無人……という事もあった。
ようやっと昼休みを迎えたかと思えば、臨時の保健委員会開催の校内アナウンス。
じりじりと焦る気持ちを押さえつけながら待った放課後はと言えば、前日同様、篤志に先を越された後だった。
同階にある織姫のHRと篤志のHRとは、たった2教室分しか離れていないのだ。
「門の外でお母さんの車が待ってるとかなんとか、彼氏さんが言ってたみたいだけど」
織姫のクラスメイトの言葉に、竜貴と鈴は無言で顔を見合わせた。
「ねえねえ……井上さんて、黒崎君が好きなんじゃなかったの?」
きらきら…と言うよりは、ぎらぎらという表現が正しいような、好奇心丸だしの瞳で尋ねてくる相手を適当にかわして。
二人は重い足取りで、自習室へと向かった。
室内に足を踏み入れれば、みちると真花と千鶴が弾かれたように椅子から腰を浮かせる。
それを視線で制しつつ。
「……捕まえられなかった」
ぽつりと短く、竜貴は告げた。
全員の口から、ため息が漏れる。
手近な椅子を乱暴に引き、どさりと腰を下ろした竜貴は、机に肘を着き、額を手で押さえるようにして俯いた。
鈴も静かに腰を下ろすと、部屋に降りるのは重苦しい沈黙ばかりで。
「どうしちゃったんだろうね…織姫……」
みちるが小さく、呟く。
そう…今回の事に関する織姫の一連の行動は、あまりに彼女らしくなかった。
そもそも彼女が簡単に心変わりをする筈が無い……と、竜貴達は思いこんでいたし、仮に本当に一護への気持ちに終止符を打つ事があったとしても、少なくとも竜貴にだけはその決意なり何なりを事前に打ち明けてくれる筈だ……と、竜貴自身は勿論、他の少女達も信じていたのだ。
こんな風に噂ばかりが先行し、加えて織姫が竜貴達を避けるような態度を取る等という事は、起こり得ない筈だった。
しかし……。
竜貴は、はたと思い出した。
二年前…織姫が虚圏へと連れ去られた時の事を………。
あの時も織姫は、黙って竜貴達の前から姿を消した。
がたんっ……と派手な音を立てて、竜貴が椅子から立ち上がった。
そのまま自習室の出入り口へと駆け寄り、扉を勢いよく開く。
「どうしたの、たつきっ?!」
驚き慌てる友人達の問いかけに返事もせず、竜貴は廊下を全力で走り出した。
「和泉さん!」
図書室へと駆け込みながら、大声で司書の名を呼ぶ。
ぎょっとして振り返る室内の生徒の視線も、図書室では静かに…と窘める言葉も無視して、竜貴は和泉に詰め寄った。
「昨日の昼休み、織姫と二年の木村篤志って子が来ましたよね。覚えてます?」
「ええ…勿論覚えているわよ! 探している本が本棚に無いから、貸し出し中かどうか調べて欲しいって頼んできたのよね」
「その時、二人ともどんな感じでした?」
「どんな…って……別に普通だったけど」
「そ…う、ですか……」
竜貴は俯き、落胆の溜息を吐いた。
織姫に何かあったのだとしたら、昨日の昼休みの時間以外には考えられなかったのだが……。
当てが、外れたか。
そう、竜貴が内心で舌打ちをした時だった。
「ただ……ね?」
和泉の言葉に、勢いよく顔を上げる。
「二人が探していた本は貸し出し実績がとても低かったから、夏休みに蔵書点検した後で書庫に下げてあったの。
それで、私は他の子のレファレンスの途中だった事もあって、だいたいの保管場所だけを教えて二人で取りに行って貰っちゃったのよね……」
息を飲みながら大きく目を見開いた竜貴に、和泉は慌て手を横に振った。
「あ…で、でもっ! 図書室、司書室、倉庫間の境の扉は全部開いたままにしておくように言っておいたのよ?
実際二人はそうしてくれたし、別段大きな物音とか声は聞こえてこなかったわ」
「二人は何分ぐらい、書庫に居たんですかっ?!」
噛みつくように尋ねた竜貴の顔を、戸惑って幾度も瞬きを繰り返しながら見返しつつ。
和泉は小首を傾げて、呟いた。
「さぁ…5,6分程度……いえ、もう少し長かったかしら……? 10分かからなかったのは、確かなんだけど」
「そうですか………」
10分弱……長くはないが、短いとも言えない時間である。
やはりその間に、何かが起こったのではないだろうか………?
図書室という人目の多い場所なら、大丈夫だろう……と。
油断して織姫に付き添わなかった自分自身の迂闊さを呪いつつ、後悔に顔を歪めた竜貴が、きゅっ……と下唇を噛んだときだった。
制服のポケットの中、震え出す携帯電話。
慌てて取り出した、そのディスプレイに表示されたのは、覚えのない番号で。
一瞬、躊躇はしたものの。
竜貴と一護の携帯番号とメールアドレスだけは、完全に暗記しているのだ……と言っていた織姫の言葉を思いだし、急ぎ通話ボタンを押した。
『……もしもし…竜貴ちゃん?』
「織姫っ?!」
思わず大きな声を出してしまう、竜貴。
「静かに!」
和泉の声に、慌てて口を押さえる。
目線と会釈で詫びる竜貴に、和泉は司書室を指し示した。
「中、使っていいわよ」
「有り難うございますっ!!」
頭を下げつつ、小部屋に駆け込む。
図書室との境の扉を閉めると同時に、携帯を噛み砕きそうな勢いで、竜貴は親友の名を呼んだ。
「織姫……っ?!」
『たつきちゃん……』
電波の向こう側から聞こえた声は、ノイズ混じりで聞き取り辛くて。
竜貴は携帯を強く耳に押し当てながら、焦る気持ちを必死に抑えつつ織姫に問いかける。
「一体、どうしたの! 昨日から全然連絡とれなくて…みんなで心配してたのよ?!」
『うん、ごめんね……ちょっと、携帯の充電器の調子がおかしくて……電源入れられなくて…』
「家電は?」
『あ…最近迷惑電話が多くて……竜貴ちゃんたちみたいに連絡とる必要のある人たちとは全員携帯でやりとりできるから、線を抜いちゃってるの。
そんな話を篤志君にしたら、皆が心配しているかもしれないから……って、携帯貸してくれて………。
それで今、たつきちゃんにかけてみたの』
嘘だ……と、竜貴は直感した。
しかし、状況的に篤志が織姫の側に居て、会話に聞き耳を立てているであろう事は容易に想像できて。
下手な事は、言えない。
言わせられない。
そう悟った竜貴は、それ以上の追求はせずに新たな問いを投げかけた。
「あんた……今、何処に居るの?」
『……篤志君のおうちの、車の中。
おばさまの運転で、お宅に向かっているところなの。
今日はこれから、二人で中間の勉強をするの。
それで…おうちにね、おばさまお手製のケーキを用意して下さってるのですって!
すっごく楽しみなんだぁ』
「織姫………」
喘ぐように、呼吸をして。
苛立ちや焦りを懸命に押し殺しながら、低い声で竜貴は訊いた。
「………あんた一体、どうしちゃったの?」
『何が?』
「っ…?!」
淡々とした…淡々としすぎる親友の口調に、絶句する。
「織、姫……」
『噂……聞いてるんでしょう?』
「……………」
『そういう事…だから………たつきちゃんが心配する必要は、全然無いんだよ?』
「おり…ひ……」
『だから……お願い、もうこれ以上は何も言わないで?』
「でも……っ」
『お願い、竜貴ちゃん』
電波の向こう側から静かに流れる、織姫の声。
しかし竜貴は、その中に潜んだ哀願の響き聞き逃さなかった。
頼むから、一護の名を口にしてくれるな………と。
痛切に響く、織姫の心の声を。
『中間が終わるまでは、私、篤志君のお家で彼と一緒に勉強することにしたから』
一転して、明るい声が竜貴の耳に届く。
『もし千鶴ちゃん達から何か訊かれたら、そう答えておいてね?
携帯は今修理に出してるから、しばらく連絡取り辛くなるけど……本当に、なぁんにも心配要らないからね!』
「織姫……」
『それじゃあ……ね』
「おりひめっ…?! ちょっと、待っ……!!!」
ふつり……と、電波が途切れる。
「織姫………」
携帯を持つ手を、だらりと下げて。
司書室の真ん中……竜貴は独り、唇を噛みしめた。