GIFT
その夜、篤志とその両親が揃って竜貴の家を訪ねてきた。
元よりご近所さんとして交流の有る家族だったし、何より篤志は竜貴の親が開いている空手道場の元門下生である。
当然ながら、篤志と竜貴の両親達の親交はそれなりに深くて。
彼らの訪問自体には、何も不自然さを感じる事はなかった。
しかしながら。
挨拶だけして自室に引き取ろうとした竜貴を、呼び止めて。
「たつきちゃんに折り入ってお願いが……」と篤志の母親が切り出した話の内容に、竜貴は目を丸くした。
織姫に篤志の勉強を看てくれるよう、竜貴から頼んでみて貰えないか……と、言うのだ。
篤志が最近休学していたのは知っていた。
ただ……どちらかと言えば、彼は本来運動よりも勉強の方が得意なタイプで(正直、空手も「向いている」とはお世辞にも言えない腕前だった)。
彼が父親の仕事の都合で空座町を離れていた数年間の事は、流石に知らないけれど。
昨年秋にこちらに戻って来て、竜貴達の通う高校に編入学して。
それ以降の定期テストや実力テストでは、常に成績上位者として名を張り出されていたのを、竜貴は見ている。
それ故、ちょっとやそっとの勉強の遅れなど、自力でどうにかできるだろうと思われたし、何よりも。
何故、「織姫」なのか。
そこに、合点の行かない竜貴だった。
篤志の家は、比較的裕福である。
息子に家庭教師を雇うだけの余裕は、充分にある筈だ。
実際、篤志の両親が「バイト代を払う用意がある」と言って提示した金額は、女子高生に支払うには些か高額とも言えるものだった。
どうして織姫なのか……そう、素直に疑問をぶつけた竜貴に篤志の母が説明するには、知人の子が織姫の部活の後輩にあたるとかで。
「そこらの教師や塾講師よりも、先輩に教えて貰った方が頭に入る」と常々話しているのを、聞いていたからだ……と言う。
「でも…私共は生憎、織姫さんとは面識がありませんし……。
いきなり知らない相手から話をされるよりも、友人でいらっしゃるたつきちゃんを通した方が話がスムーズに進むのではないかと思って………」
先述の部活の後輩だという下級生にも、「同級生の子が勉強を看て欲しいと言っている」とそれとなく耳打ちしてくれるよう、依頼済みとのこと。
「どうかしら、たつきちゃん。引き受けて貰えないかしら……?」
穏やかに微笑む、篤志の母。
しかしながら、その瞳の奥には酷く切羽詰まった光が揺れていていて………。
その事に気付いてしまった竜貴は、困惑のあまり首を縦に振ることも横に振ることも出来ずにいた。
「……とりあえず、織姫ちゃんにお話しするだけしてみたら?」
横から口を挟んだ母親の言葉に、はっと我に返って。
篤志とその両親の顔を一度ゆっくりと見渡してから、竜貴は静かに口を開いた。
「話しては、みます。でも、私から強く勧めたりはしません。それでいいですか?」
「ええ、勿論よ! ありがとう、竜貴ちゃん!!」
「すみません、先輩。よろしくお願いします」
深々と頭を下げる親子に、竜貴は慌てて顔をあげてくれるように頼む。
上体を起こした篤志と竜貴の視線がぶつかると、篤志はにっこりと笑っった。
共に稽古に励んだ幼い頃の面影を残す、素直で邪気の無い笑顔。
だけど………。
『何だろう…この、違和感………』
相変わらず何か腑に落ちないものを感じて、竜貴は居心地悪そうに身じろいだ。
少しは気持ちが落ち着くかと思って、口に含んでみた冷めかけの緑茶、は。
寧ろ口の中に残った渋みが、心に広がり始めた漠然とした不安と妙なシンクロをおこして、余計に竜貴の気を重くさせただけだった。
『………多分、断らないだろうな。織姫は……』
十二分に知り尽くしている親友の性格上、それが容易に予想出来てしまう竜貴だからこそ……余計、に。
果たして竜貴の予想は的中し、織姫は篤志とその家族からの依頼を快く了承した。
しかしながら織姫にも、彼女の都合や予定というものがある。
篤志とその家族としては、放課後に織姫を自宅に招くつもりでいたらしいが、生憎とこの週は面接練習強化週間だった。
推薦入試受験予定の生徒達に対し、数人の教員が日替わりで、連日模擬面接を行うのである。
織姫は順番は、その最後の時間枠に割り当てられていた。
入試が終わるまでパン屋のバイトを休ませて貰うことにした彼女は、学校帰りに予備校に通う者や、遠方から通ってくる同級生に、早い時間枠を譲っていたのだ。
順番を待つ間は、放課後に自習室として解放される大会議室や視聴覚室で、竜貴や一護達と勉強をしていた。
これは何も、この週に限ったことではなくて。
三年の二学期になってからずっと、竜貴や一護、啓吾や水色達と共に続けている、彼女達の日課のようなものだった。
その場に篤志を同席させれば、自分自身の勉強も篤志の面倒を看ることも同時に出来る。
加えて。
「もし私には上手く教えられない箇所があっても、鈴ちゃんや石田君に助けて貰うことも出来るかなぁ……って、思って」
そんな織姫の案に、篤志も頷いて。
織姫達の受験勉強の席に、彼が加わる事になり………今日がその、初日にあたるのだった。
『まぁ………私にとっては、かなり好都合な展開だったよね』
ここは漢字で書かなきゃまずいよな……という文字を完全にど忘れしてしまった事に、顔をしかめて唸りつつ。
竜貴は心の片隅で、ひそかに安堵のため息を吐いていた。
篤志とその両親から感じた、違和感。
その正体がはっきりしないうちは、自分の目の届くところに二人を置いておきたい竜貴だった。
また、加えて言うなら。
空手の腕がいまひとつだろうと、病み上がりで若干体力が衰えていようと、篤志だって男に変わりなく、万が一の間違いが起こるという可能性もゼロではない。
篤志と織姫が二人きりになるような状況は、極力回避しなければ………織姫の保護者を自負する竜貴には、そんな使命感もあったのだ。
『この状況なら、妙な真似しようもないもんね』
顔を上げ、ゆっくりと自習室を見渡す竜貴。
先程までは閑散としていた室内だったが、放課後すぐから始まる補習に出ていた啓吾や水色、みちるや真花が新たに加わっていて。
昨日終わったばかりの生徒会選挙の結果を受けて、新しい執行部との引継の為に席を空けていた石田や鈴も戻ってきていた。
逆に、織姫が千鶴と入れ替わるようにして模擬面接へと出かけて行き、現在篤志は一人で問題集と向き合っている。
「松つぁんってばドアの開け閉めだけで10回もやり直しさせんのよ! ほんっと、参ったわぁ……」
そんな千鶴のぼやきを筆頭に、耳に届く仲間たちの話し声。
皆、一応は声のトーンを押さえてはいるものの、どうしても若干の騒がしさが否めなくなった室内の様子に、竜貴は苦笑と安堵の入り交じった笑みを浮かべた。
………正直なところ。
一護の隣で、彼の放つ不機嫌なオーラを浴び続けなことに、いい加減辟易していたところだったのである。
その一護はと言えば、今は啓吾に泣きつかれて数学の問題を看てやっているところだった。
啓吾の第一希望は私大文系だが、一応センター試験を受ける以上、理数系の勉強を全くしない訳にもいかない。
「そこは、昨日も解説してやったろうがよ!」
そんな台詞と共に啓吾の頭を叩く一護は、大分いつもの調子に戻ったように見えて。
その様子を横目に、竜貴は心の中で独りごちた。
『とんだ副産物だったわね、これは………』
織姫が一護に想いを寄せているのに竜貴が気付いたのは、もう随分と前……高校に入学して、いくらも経たない時期の事で。
そして竜貴達女子のみならず、石田やチャド、水色にもそうと察せられてしまうほど、織姫の一護への想いは強く、一途で揺るぎのないものだった。
しかし……対する一護の気持ちは……と言えば、端から見ていてどうにも掴みようがなかった。
一護の、自分も含めて他の女子に対する態度と、織姫へのそれとは明らかに違う。
しかしながらその違いが、一護のどういった感情から生じるものなのかが、皆目見当つかないのだ。
一護が言うように、織姫が“大切な仲間の一人”だからのなのか。
それとも彼に自覚が無いだけで、多少なりとも恋慕の情を織姫に対して抱いているからなのか。
恐らくは後者なのでは……とは、一護と織姫が居ない場所で語られる友人一同の共通見解であるのだが、どうにも決定打に欠けていて。
それ故、織姫を応援したくとも、誰にも何にも手出ししようが無かったのだった。
何よりも、下手に介入して二人の関係が拗れる事を、誰もが恐れたのである。
嘗てルキアと一護の関係について、デキてると噂を流して面白がっていた事のある水色でさえ、こと一護と織姫に対しては、ただ黙って見守る事を選んでいた。
一護が自分で、自分の想いに気付くこと。
そんな「いつか」が来ることを、心底願う竜貴達。
しかしながら卒業まで半年を切った現在も、二人の関係には何の変化も起きてはいなかった。
そんな時に現れた、篤志という下級生の存在。
彼の真意がどこにあるのか……そんな疑惑と不安を抱えつつ、も。
篤志が織姫に関わることで、色恋にはあまりに疎い一護の心に、何らかの変化やきっかけを与えることになるの、なら。
『それはそれで、良い事かもしれない……』
そんな風にも思う、竜貴だった。
『………兎に角、しばらくの間は、日々波乱含みって感じになりそうね』
それぞれの参考書に向き合う幼なじみと後輩の姿を、交互に眺めて。
ごく僅かに肩を竦める事で気持ちの切り替えを計ると、竜貴もまた自分の小論文の演習課題へと再び没頭していった。