ORANGE DAY/橙色恋歌
【橙色恋歌】
ぽかん…と、綺麗に晴れ上がった休日の午後。
啓吾たちとの約束もなく、いつもなら買い物につき合え、遊びに連れていけと騒ぐ妹たちも、珍しく友達と約束があるとかで留守にしていて。
親父も、何とか言う症例の勉強会だとかで朝から出かけて居なかった。
……たまには、こんな静かな休日も悪くない。
ベッドに寝ころびながら本を読んで、やがて襲ってきた睡魔に素直に身を任せ、うとうとと気持ちよく微睡んでいたところに。
ボローゥッ! ボローゥッ! ボローゥッ!
……けたたましく鳴り響いたのは、代行証。
昼寝を邪魔された俺の機嫌が良い筈がなく、眉間の皺通常の5割増しで赴いた先に居たのは、非常に小物の虚……。
いや、小物とはいえ普通の人間や魂にとっては十分脅威な訳だから、がっかりするだとか何だとか…ってのは良くないことだと理解っちゃいるが。
こんな奴に休日をぱぁにされたのかと思ったら、拍子抜けすると同時に非常にムカッ腹が立ち……力一杯斬月振り被って一刀両断にしてしまった。
八つ当たり気味だった事に少し罪悪感は感じたが……これであっちに行かせてやれたんだし…ま、いいか……と、ちょっと無理矢理自己肯定。
ふと空を見上げれば、既に陽が傾きかけている。
今から帰ったところで、何処かに出掛けたり何かを始めるには、中途半端になってしまうだろう。
昼寝をし直すにしても、遅すぎて。
さりとて夕飯までは、未だ未だ時間があるし……。
そんな訳で。
自宅までの帰路を、のんぴり空中散歩で……と、決め込んだのだった。
ふわり…風に流れる雲のようにぷかぷかと、橙色に染まっていく街並みを見下ろしたり、橙・紫・灰・紅……様々な色に染まって流れる雲を見上げたりしながら漂って。
高台の公園の辺りまで来たところで、ふと。
『りぃ……ん』ーーと。
耳元で、綺麗な音色の鈴を振られたような感覚……。
それは、とても良く知る少女の霊圧で。
とっさに、自分の霊圧を押さえる。
そんな自分行動に「何してんだ俺?」と戸惑いながらも、眼下に視線を彷徨わせると……。
「やっぱり……」
丁度公園に入ってきた井上が、小走りに展望スペースへと駆け寄って行くのが見えた。
井上は、空を眺めるのが好きらしい。
教室でもよく、ぽうっとして窓の外に視線を向けているのを見掛けるし、いつもの連中と屋上で屯って居る時も、時折その輪から外れて手すりに凭れて、飽かず見上げていたりする。
一度だけ、どうしてかと尋ねてみたことがあったけど、彼女はちょっと困ったように微笑んで「なんとなく」と答えただけだった。
ただ、ふと思い出したのは…彼女の死んだ兄貴の名前。
もしかしたら、兄貴と話してんのかな……そんな事を考えていた俺に、彼女がぽつりぽつりと続けるには、一番好きな時間は夕暮れ時なのだということだった。
空の色や雲の色が刻一刻と変わり続けて、全ての風景が暖かな橙色に包まれる瞬間がとても好きなのだ……と。
「お日様もね、美味しそうで……」
「……美味しそう?」
「うん! 紅い夕日は苺のドロップ、橙色の夕日はオレンジのドロップみたいでしょ? あ、半熟卵の黄身にも似てるかな?」
食いしん坊な井上らしい…と、くすりと笑ったら。
彼女は俺を振り返って、ふわりと笑って言った。
「だからね、黒崎君を見ていると…何だか安心するし、楽しくなってくるの」
「……へ?」
「髪の毛……夕焼け色だから………」
……とても綺麗で素敵な色だなって思うよ?
向けられたその言葉と、優しく深い微笑みに。
鼓動が跳ねたのを覚えている。
それは俺だけの、秘密の記念日。
コンプレックスでしかなかった自分の髪の毛を、ちょっぴり誇らしく思えるようになった、大切な記憶……。
「うわわわわわわわわわっっ?!」
突然聞こえた変な悲鳴に、意識を現実に引き戻された。
声の主を見れば、何やら両手をわたわたと振って、独り焦っている模様。
また、脳内旅行に行ってたな……。
俺は思わず苦笑して。
「……さて、どうしたもんかな」
口の中で独りごちた。
このままそっと、この場を去るか。
或いは彼女に、声を掛けるか。
少し悩んで…口の端に笑みが浮かんだのは、ちょっとした悪戯心のせい。
石田や卯ノ花さん達に、散々っぱら霊圧だだ漏れだの雑だの言われたのが悔しくて。
密かに霊圧のコントロールを練習をしていた俺。
未だ未だ、隊長さん達やルキアのようには行かねぇけど…あの、他人の霊圧に敏感な井上が俺に気づかねぇって事は。
多分…それなりに成果が出ている証拠………。
だから。
「ちょっと、吃驚させてやるかな」
くすり…と俺は、小さく笑って。
霊圧を閉じたまま、そろりと彼女の背後へと降りて行った。
再び、身じろぎもせずに夕日を眺めだした彼女の、背後斜め四十五度程の場所で止まってしゃがみ込む。
夕風に靡く髪が、陽の光に透けてきらきら輝く様が綺麗だな……なんて思いながら。
いざ、声を掛けようと口を開き掛けた時ーー。
「黒崎君…だぁい好き……」
風に乗って届いた小さな呟きに、俺は大きく目を見張った。
……ちょっと、待て。
今…井上は何て言った?
………大好き…と、聞こえたけれど。
その言葉の前には、俺の名前がくっついていたようだけど。
空耳……か?
いや、でも……確かに…そう聞こえたような……。
呆然と、座り込んで。
ふと、彼女が振り返りそうな気配がして、慌ててその場から動こうとしたら。
『……あれ? 立てねぇ…ぞ?!』
足にも腰にも、力が入らなかった。
たらり…と、こめかみに冷や汗が伝う。
もしかして、もしかすると……。
『俺……腰、抜けてんのか…な………?』
……情けなくて、泣きたくなった。
「…………………………ひっ?!」
振り返った井上が、俺に気づいて小さな悲鳴をあげた。
………俺は、化け物か?
状況が状況だから仕方が無いとはいえ、顔を引きつらせて固まってしまった井上の姿に、ちょいとばかり凹む。
「く、くくく、くろさき、くん……?」
「………おぅ」
軽く片手を上げて挨拶するものの……。
あぁ、気不味いったらありゃしねぇ。
「…………いつから、居たの?」
やっぱり、そうきたか……。
まぁ、そうだよな。井上からすりゃ、至極当たり前の疑問だ。
でも……。
「……井上が、公園に入ってきたあたりから」
これじゃあ、盗み聞きしてましたって言ってるようなもんだよな……。
そんなつもりは毛頭無かったけど。
結果的には、そうなっちまった……。
なんでこんな事になるんだよ……。
井上みたいな人の良い奴を、脅かしてやろう…なんて企んだ罰か?
だけど……。
俺の目の前で俯く、井上は。
耳まで真っ赤に染めていて……。
とくん……と、心臓が鳴る。
期待…しても、いいんだろうか……?
あれは…あの言葉は、井上の本心だって。
「なぁ…井上……さっきの…ホント?」
思い切ってそう切り出した俺の顔を、ぽかんとした顔で見上げるばかりで……いくら待っても、彼女からは肝心な返事が返ってこない。
短気な俺は、この状況に少々苛立って。
その苛立ちのままに、彼女に尋ねた。
「それともーー何か、質の悪い冗談か?」
その、直後。
力一杯横に振られた、彼女の首。
さらさらと音を立てて、胡桃色の髪が揺れる。
そして、はっとしたように俺の顔を一瞬見上げて。
またすぐに俯いてしまった彼女の耳は。
先刻よりももっともっと、朱に染まっていて……。
ゆっくりと、俺の口の端に笑みが上る。
そして、尋ねた。
「10分、待てるか?」……と。
こっくりと頷いた、その童女のような彼女の仕草に俺は小さく笑って。
その時ふと、足に力が戻ってきていることに気がついた。
「すぐ、戻る。ベンチにでも、座ってて……」
言いながら立ち上がり、瞬歩を使う。
あっという間に帰りついた自分の部屋に窓から飛び込み、身体に戻って。
部屋を飛び出す。
階段を駆け降り、玄関を出て……。
門まで行ってしまってから、慌てて戻って玄関に施錠して。
そして再び、走り出した。
公園へ。
彼女の元へ……。
走りながら…顔がニヤケそうになるのを堪えるのに、必死だった。
嬉しくて……とても、嬉しくて………。
井上が、俺を「好き」、だ……なんて。
そんな事、ある筈が無いと思っていた。
あいつは誰にでも分け隔て無く、優しくて親切で。
だから、俺に対する笑顔も気遣いも、その一端に過ぎないと思っていたんだ。
本当は……ずっと、惹かれ続けてきた。
あの、暖かな笑顔にも。
優しくて…でも意外と芯はしっかりしているところも。
普段はぽやっとしているくせに、一度こうと決めたら、梃子でも動かないような頑固なところにさえも。
惹かれて、焦がれて……本当はいつだって傍らに居て、その表情が変わる様を見ていたくて………。
でも…俺はいつも、あいつを泣かせてばかりだったから。
護ると言いながら、危険な目に遭わせてばかりだったから。
隣に立つ資格なんて無いと…そう、思っていたし。
何よりも。
こんな短気で不愛想な俺なんかを、一人の男として好いて貰えるなんて…思ってもみなくて。
だけど……。
脳裏に浮かぶの、は。
真っ赤になって、途方に暮れていた彼女。
冗談かと問いかけた俺に、真剣な顔をして必死に首を横に振ってくれた、その仕草。
……なぁ、井上?
あんな形で、聞いちまってごめんな?
たがら…お詫びってわけじゃねぇけど……。
今から、行くから。
伝えに、行くから。
死神代行の俺じゃなくて。
ただの高校生「黒崎一護」の俺が…伝えに行くから……。
待っててくれな?
そこで、お前の大好きな夕焼け見ながら……。
どうか……。
帰らずそこで、待っていて………。
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