銀河通信



【君の望み、僕の願い】







「………黒崎君?」


ふと、背後の空気が揺れた。

「ちょっとだけ…お背中借りてもいいデスか?……」
躊躇いがちな声が、耳に届く。

「どうぞ」

小さく笑いながら返事をすると、彼女が膝立ちになって近寄って来る気配がして。

背中に僅かに、かかる重さ。
じわり……と暖かさが広がる感覚に、くすぐったいような嬉しさと。
ちくり……と、罪悪感を覚える。



折角…井上が訪ねて来てくれた、この週末。
俺はレポートを仕上げられずに、日がな一日パソコンに向かいっぱなしで。
恨み事の一つも何言われたって、仕方がない状況。

それなのに。

「同じ空間に居られるだけで嬉しいよ」……と。
井上は、ふわり……と微笑んで。

小さく鼻歌を歌いながら、俺が貯めてしまった家事を片づけて。
それが終わると、静かに本や雑誌を読んだり。
担当園児への、誕生日プレゼント用マスコットを作ったり。
時間を上手く自分の為に使いながら、のんびり俺を待っていてくれている。



以前から思っていたことだけど………。

井上は、気配を消すのが異常なほどに上手い。
しかも、消す…といっても完全に……ではなくて。
決してこちらの邪魔にはならず、それでいて。
「あ、居るな」………と。
側に居てくれる安心感を与える程度……に、消すのだ。

これって……かなりの高等技術なのではなかろうか?



何時だったか、彼女にそれを伝えてみたところ。
井上は「うーん」と軽く首を傾げて、呟いた。


「おにいちゃんと二人で暮らしてきた年月の、賜物かなぁ……?」





幼い井上の為に、昊さんは極力残業をせず、残務は家に持ち帰って処理をしていたという。
未就学時の頃は、淋しさ故にわがままを言い、困らせたこともあったと言うけれど。
成長し、次第に自分の家庭の状況を理解していくなかで。
少しずつ、少しずつ。
昊さんの邪魔をせずに同じ空間を共有する術を、自然に身につけていった……ということらしい。


その話を聞いて。
なるほど……と感心すると同時、に。

きん………と、胸の奥が痛んだのを覚えている。





そんな回想に、意識を囚われていたら。



「ありがとうね………?」

背中から、微かに微かに届いた声。





俺は井上に気づかれないように、そっとそっとため息を吐いた。





彼女は、よく俺に言う。

………護ってくれて、ありがとう。
………助けてくれて、ありがとう。

だけど。
多分、きっと………本当、は。



護ってもらっていたのは、俺のほう。
助けられていたのも………。

どんな苦境でも諦めずに、ただ前だけを向いて進んで行けたのは。
井上が、俺の背中を見守っていてくれたから。
後ろから俺を支えて…そして、俺が必ず困難を乗り越えると信じて。
俺を待っていてくれたから。

それだからこそ、俺は………。

いつだって、帰り着く事が出来たんだ。
大切な大切な、家族や仲間達の元へ………。

そして。

彼女の、待つ場所へ………。




お礼を言うべきは、むしろ俺。




「こちらこそ………」

口の中で小さく、ひとりごちた………つもりだった、のに。
「え………?」と、井上が怪訝そうな声を上げつつ、俺の背から身を起こしたものだから。

慌てて、なんでもねぇよ……と、言い訳して。


肩越しに、彼女を振り返る。
薄茶の綺麗な瞳が、俺を映す。
思わずぼうっと見惚れそうになる意識を、繋ぎ留めて。

「もう、いいのか?」
そう尋ねれば、井上は少し視線を泳がせた後。

「………も、ちょっとだけ…いい?」
上目遣いに、可愛いおねだり。

思わず笑いながら、どうぞ……と返事をして。
パソコンのディスプレイに向き直る。
再び彼女が背に凭れてくるのを、感じながら………。





「重くない?」
「全然……って言ったら嘘だけど、作業の邪魔にはなってねぇから、気にすんな」
「うん…ありがと………」


ああ……ほら、また。


鼻の奥に、つん……と痛み。
思わず奥歯を噛みしめる。




………なぁ、井上?
お前ちょっと、『良い子』過ぎるんだよ………。

もう少し、わがまま言ってくれたって構わないんだ。
そりゃあ年柄年中無茶言われても困るけど…お前はちょっと、我慢し過ぎるんだ。

もっと、聞きたいよ?
ちゃんと、知りたいよ?

お前の本音、も。
心の底に押し隠した想い、も。


笑顔だけじゃなくて。
優しさだけじゃなくて。

泣き顔も、怒り顔も……俺は全部、好きだから。


例えどんな負の感情でも。
それが俺に向けられたお前の想い、なら。
俺は全部、受け止めてやりたいんだ。


………尤も。

こんな俺の気持ちを知ったところで。
それじゃあ、遠慮なく………なんて。
全開で俺に甘えてくるような事なんては、お前はきっとしないんだろうけど。
今でも充分、甘えさせてもらってるよ?………なんて言って。
綺麗に綺麗に、笑うんだろうけれど。


それでも、さ……?



「………なぁ?」
「はぁい?」
「何とか今夜中に、終わりそうだ」
「ほんと?!」
「ホント。で……さ?
明日一日じゃ遠出はできないけど……。
その分、昼飯ちょっと奮発して、何か美味い物食いに行こう?
勿論、俺がご馳走するから」
「いいの?」
「ああ。デザートも好きなだけ頼んでいいぞ?」
「わぁ………!!」

嬉しいなぁ………と。
心底幸せそうに呟く声に、俺もまた口元を綻ばせる。





………ごめんな?
今は、こんなささやかなお返ししか出来ないけど。

でも……いつか、さ………?



いつか、きっと………。















だから…その、井上さん………?



















一生……
君の隣に
居させてください










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