ORANGE DAY/橙色恋歌
【orange day】
音もなく見事に晴れ上がった、休日の昼下がり。
買い物がてら、街をお散歩。
ふらりと立ち寄ったお店の、在庫処分の格安品の籠の中に綺麗なオレンジ色のマグカップを見つけて、衝動買い。
交差点で信号待ちしてたら、試供品だといって配っていた新発売のオレンジジュースを貰っちゃって。
ご機嫌な気分で家路についたら。
途中で寄った馴染みの八百屋で、美味しそうな蜜柑を一個おまけしてくれた。
「何だか今日は、ラッキーな日だったなぁ♪ しかも、みーんなオレンジ繋がりだし」
鼻歌交じりに呟いて。
「これで、ばったり黒崎君と行き会えたりしたら…最高な一日になるんだけどな……」
脳裏に浮かぶのは、オレンジ色した髪の男の子。
まあ…でも、流石に。
そんなに上手くはいかないよね……と。
苦笑しつつ、軽く肩を竦める。
空は既に茜色がかっていて。
高台の公園に行けば、きっと美しい夕焼けと、夕日に染められた街並を見られるだろう……。
そう思いついて、進路を変えた。
坂を上り、公園に足を踏み入れて。
「うわ…ぁ……!」
展望スペースの柵に駆け寄りながら、思わず感嘆の声を上げる。
「綺麗……」
目の前には、大好きな男の子の頭髪と同じ、橙色に輝く大きな夕日。
眼下にはその夕日に照らされた、橙色の街並み。
空気までオレンジに染まったような、その美しい刹那の世界に、感動のあまり身動きも出来ずに立ち尽くす。
何だか…黒崎君に包まれてるみたい……。
ふと、そう思った瞬間。
ついうっかり、大好きな彼の腕の中に居る自分を想像してしまって。
「うわわわわわわわわっ?!」
強烈な羞恥の感情が沸き上がってきて、慌てて頭を振る。
両手で挟んだ顔が、熱い……。
動悸が静まるのを待って。
もう一度、夕日と向き合う。
「ホントに、綺麗だなぁ……」
我知らず、ほほえんで。
静かに目を瞑る。
それから一つ、深呼吸をして。
「黒崎君…だぁい好き……」
そっと、夕風に乗せてつぶやいてみた。
「……あは、言っちゃった!」
ふふっ……と、小さく照れ笑いして。
「さて、と。そろそろ帰ろっかな……」
くるりと回れ右した、次の瞬間。
「…………………………ひっ?!」
小さな悲鳴とともに息を飲み、私はその場で硬直してしまった。
何故ならば。
死神装束を身に纏い、肩に斬月をかけた黒崎君が、前方斜め45度上空に、しゃがんだ格好で浮かんでいたから……。
「く、くくく、くろさき、くん……?!」
「………おぅ」
たじろぐ私に、彼は軽く片手を上げて。
その顔に浮かぶ表情は、困ったような怒ったような、何とも判別付けがたいもので。
「…………いつから、居たの?」
おずおずと尋ねると、彼は。
ぽりぽりと頬のあたりを掻きながら、いかにもばつが悪そうに、ぼそりと言った。
「……井上が、公園入ってきたあたりから」
「ーーーーーーっ?!」
……と、言うことは。
あれを、聞かれてたのーーーーー?!
顔と言わず耳と言わず、全身が朱に染まっていくのがわかる。
いたたまれなさに、俯いて。
その、私の頭上から。
「井上……?」
静かに降ってくる、大好きな大好きな、彼の声。
「なぁ…井上……さっきの…ホント?」
「………え?」
思わず振り仰いだその先では、茶色がかった瞳が生真面目な光を浮かべてこっちを見ていて。
その真剣な眼差しを、ただ、ぽかんとして見返していたら。
彼は僅かに眉根を寄せて、ちょっと怖い顔になった。
「それとも……何か、質の悪い冗談か?」
ぶんぶんぶんぶんぶんっ!
反射的に、勢い良く首を横に振ってしまった私は。
その仕草が何を意味するかに気づき、またもやその場で固まってしまう。
どうしよう……。
恥ずかしくて、顔を上げられない。
そんな私の耳に。
「井上……10分、待てるか?」
躊躇いがちに、届いた声。
顔を仰ぐと、私の顔を覗き込むようにして見つめる、彼の視線とぶつかって。
その、夕日を反射して金色に光る瞳が、あんまり綺麗で。
吸い込まれるように、私はこくりと頷いてしまった。
すると彼は、微かに笑って。
「すぐ、戻る。ベンチにでも、座ってて……」
そう言うが早いか立ち上ると。
瞬歩を使ったのだろう、一瞬その姿がぶれたかと思ったら、小さな竜巻一つ残して居なくなってしまった……。
しばらく呆然と佇んで。
それから、のろのろとベンチへ移動する。
ぺたりと座り込んで。
頭も心もわやくちゃのまま、何一つ整理をつけられず。
目の前で沈んでゆく夕日を眺めつつ、放心したまま数分が経ち。
……やがて。
こちらに駆け寄ってくる、足音が聞こえて。
それが、すぐ背後で止まった。
私はゆっくり、首を巡らせる。
死神代行から、私服の高校生に戻った足音の主は。
腰を曲げて膝に手をつき、俯いて。
激しく肩を上下させては、必死に体に酸素を取り込んでいた。
その喉がひゅうっと鳴り、激しく咳き込む。
「黒崎君……!」
慌てて立ち上がった私は、はた、と思いついて、手提げの中を探った。
取り出したのは、オレンジ色のペットボトル。
そっと、彼の眼前に差し出して。
「……サ…ンキュ…」
掠れた声で言いながら、彼は私から受け取ったボトルのキャップを捻り、一気に煽って飲み下す。
やがて、ぷはっと息を吐きつつ口からボトルを離して。
「うめぇ……」
呟きながら、手の甲で口元を拭って。
「ありがとな?」
にぱっと、小さな子供みたいな顔して笑った。
それがなんとなく可笑しくて、私はくすり…と笑みを漏らす。
すると。
ふっ……と、黒崎君が真顔になって。
真っ直ぐに私を見つめてきた。
「井上…俺……」
わずかに首を傾げて、彼を見返す私の前で。
何度か口を開きかけては、閉じ……を繰り返していた黒崎君は。
「駄目だっ! やっぱ、すっげー緊張するっ!!」
急にその場にしゃがみ込んで、ばりばりと頭を掻きむしり始めた。
……やがて、手を止めて。
驚いて半歩下がっていた私の顔を、前髪の隙間から覗くように見上げた彼は。
「ごめん…ちょっと、回れ右して」
「???」
首を傾げながらも、その言葉に従う。
「そのまま、柵のとこまで行って」
その指示も、素直に聞いて。
何なんだろう……と戸惑いながら、柵を握る自分の手を見ていたら。
背後から、彼が近づいてくる気配がして。
不意に、両脇から視界に飛び込んできた骨ばった手が、私の手のすぐ側で同じように柵を掴む。
え?…と思ったと同時に、背中がほわっと暖かくなって。
背中に触れるか触れないかの位置に立つ黒崎君と、柵の間に挟まれているのだと気がついた。
途端に、跳ね上がる鼓動。
口から心臓が飛び出しそうで…次第に息が苦しくなる。
「くろさ………」
「井上」
耳のすぐ側で囁く声に、びくりと身を固くして。
思わず、呼吸が止まる。
そのとき。
「お前が、好きだ……」
小さく、微かに……だけど、確実に。
その言葉は私の鼓膜を震わせた。
きゅうっ……と。
心臓を掴まれたような痛みが、胸から全身を貫いていく。
喘ぐように、ようやくの思いでひとつ息を吐いて。
振り返ろうとしたけれど、柵と黒崎君の体と彼の腕とに阻まれて、出来なくて。
すると。
急に、左の肩が重くなった。
彼がその橙色の頭を、乗っけてきたのだ。
「ごめん…も、ちょっとだけ、そっち向いてて」
幾分、くぐもった声が届く。
「俺…今きっと、酷ぇ顔してると思うから……」
「………………うん」
小さく頷いた私は。
何やら先刻から足下がふわふわゆらゆらして、おぼつかなくて。
何だか、狸に化かされているような、狐につままれているような……そんな気持ちにもなってきて。
ちょっとだけ、不安になって。
「……しっぽとか、耳とか……ついてないよね?」
「何だそりゃ」
くっと、喉の奥で笑って。
手摺りからゆっくり、黒崎君が手を離す。
背中に感じていた彼の体温も、ゆっくりと引いていって。
自由を取り戻した私は、静かに背後を振り返る。
未だ何となく赤い顔をした黒崎君が、はにんかんだように笑ってそこにいた。
「なんだか、夢の中に居るみたい……」
そう、呟いたら。
黒崎君が悪戯っぽく笑いながら、抓ってやろうか?……と、私の頬に手を伸ばしてきた。
ふにっと優しく、頬を摘まれて。
そこから感じる痛みに……ようやっと。
今起こったことは…私がこの耳で聞いた言葉は…全て現実にあった事なのだと。
心の底から信じることが出来て……。
知らず、涙がこぼれ落ちた。
黒崎君は吃驚して、慌てて私の頬から手を離す。
「悪ぃ! そんなに痛かったか?!」
焦った声での問いかけに、黙ってかぶりを振って。
彼を見つめながら、私はゆっくり微笑んだ。
「とっても嬉しくて……あんまり幸せで……それで………」
「井上……」
黒崎君はもう一度私に向かって手を伸ばすと、手の平で包むようにして頬にそっと触れてきた。
少し冷んやりとしたその感触が、上気した頬にとても心地よくて。
涙をふき取ってくれる親指が、とても優しくて。
私はうっとりと目を閉じる。
瞼の裏に浮かぶのは。
オレンジ色のマグカップ。
綺麗な色のオレンジジュース。
美味しそうな橙色の蜜柑と。
暖かく燃える夕日。
それから……。
オレンジ頭の、男の子。
オレンジ色した幾つかの小さな幸せと。
とてもとても大きな幸せを受け取った、今日の日の事を。
私はきっと、忘れない。
死ぬまで…ううん、死んでもきっと、忘れない………。
ふと、黒崎君が動く気配がして。
目を開けたら……。
至極近くに、彼の顔があって。
吃驚した私は反射的に、再びきゅっと目を閉じる。
次の瞬間………。
私の唇に、彼のそれが重ねられたのを感じた。
躊躇いがちに……。
そっと優しく触れてきた、彼の唇からは。
微かにオレンジの香りがした……………。
終