4月29日





「なん、で! こん、な、こと、に!! なってるん、だ、よっ!!!」

悪態を吐きながら、手にした斬月を思い切り良く薙ぎ払う。
断末魔の叫びを上げながら、浄化され、塵となって消えていく目の前の虚。
その様子を眺める余裕もなく、今度は背後から襲ってきた奴を、振り返りざまに袈裟斬りにした。

「——ったく、キリが無ぇな」

何処からか続々と湧いて出てくる虚にげんなりしつつ、ちら…と近くのビルの屋上へと視線を向ける。
そこには、血を流して倒れている地区担当の死神の姿。
弱まってはいるが、確かに霊圧を感じられることに、ホッと安堵の息を吐く。

「援軍が来るまで、堪えろよ」

呟いた言葉は、自分に対する励ましでもあった。
負ける気なんざ更々無ぇが、街中での戦闘はなるべく建物や人間にとばっちりの出ないようにと、とかく神経をすり減らす。
虚たちを河川敷へと誘導しながら、小者から先ず蹴散らしていると、懐の中で伝令神器が鳴った。

『あと5分ほどで着く!! 頑張れ、一護!!!』

それだけを告げて、切れる通話。
久々に聴くその声に、軽く苦笑を漏らした。

「隊長代理自ら、出向いて来るとは…まぁ、ある意味、こっちに来る良い口実にはなったか。
——ほら、お前ら! 着いて来いよ!!」

虚を煽りつつ空を駆けながら、俺は意識を市内のある一点へと集中させる。
感知した霊圧は、不安定に揺れていた。
まるで心臓を鷲掴みされたような苦しさと痛みが胸に走って、思わず顔を歪める。

「——ごめんな。なるべく早く、片付けるから」

ぎり、と奥歯を強く噛み締めしめ、斬月の柄を握る手に力を込める。
本当は、虚なんか放り出して、今直ぐにでも側に駆けつけたかった。
でも——そんなこと、彼女はきっと望まない。

「頑張れ、織姫……!」

口の中で、呟いて。
ちょうどその時、目の前に飛び出してきた虚の胸元に、力一杯、斬月の刃を突き立てた。






事の起こりは、3日前に遡る。
翻訳物を多く扱う出版社で働きながら、企画書を提出したり、翻訳コンテストに応募していた俺に、その日、上司から声がかかった。
提出していた企画のうちの一つについて、具体的な検討に入ったというのだ。

「……で、な。
先方の版元に連絡を取ったら、たまたま原作者が旅行で来日中なんだと。
それで——出来れば君と直接逢ってみて、許可を出すかどうか決めたいと仰ったそうだが……」

一も二もなく、頷く——とは、いかなかった。 
指定された日が、休日である上に、織姫の出産予定日でもあったからだ。
だけど、即断る——ということもまた、出来なかった。
件の企画は、織姫が特に絵柄と俺の訳文案を気に入っている、幼児向けの絵本だったから。

とりあえず、上司に許可をもらって、その場で織姫に連絡を取った。
予想通り、彼女は手放しで喜んで、是非逢いに行けと言う。

「初産は予定日より遅れることが多いって言うし、実際、一昨日の検診でも未だ全然兆候無いって言われたもの。
おそらく、その日には産まれないと思うの。
……それに、ね?」

大好きな絵本を、俺の訳した言葉で、我が子に読み聞かせることができるとしたら、こんな幸せなことはない——と。
続くその言葉が、最終的には俺の背を押した。

上司に話をつけてもらい、正式にアポを取って出向いた今日。
待ち合わせに指定されたのは、関東圏内ではあるけれども、空座からは少し距離のある場所で。
挨拶もそこそこに史跡や名所巡りに付き合わされた俺は、一見、体の良い通訳扱いだった。

内心、全く苛つかなかった——と言えば、嘘になる。
でも、実家の玄関で俺を見送ってくれた織姫の、できるだけたくさん、良い思い出をつくって欲しいね——その言葉と笑顔とが、平常心を保たせてくれていた。
そして、結果的にはそれが相手への好印象に繋がったらしい。
日が傾く頃には、帰り着いたホテル内のティーラウンジで、版元の出版社宛に許可の方向で話を進めるよう、メールを送ってくれたのだ。
俺の、目の前で。

心からの感謝を述べて、握手を交わして。
直後にポケットの中で震え出したスマホに、嫌な胸騒ぎを覚えた。
失礼を詫びつつスマホを手に取れば、表示されたのは遊子の名前。
一層不安を募らせながら応答すれば、上擦って切羽詰まった声が、織姫が破水したと告げた。

瞬間、頭の中が真っ白になる。

俺の様子を訝しむ相手に、子供が産まれそうなのだと告げると、目をまん丸にしながらも直ぐさまウェイターを呼びつけ、駅までのタクシーを手配するよう頼んでくれた。
しかも、かなり流暢な日本語で。

唖然とする俺に、悪戯っぽくウインクして。
実は今回の旅行の一番の目的は、同棲中の日本人婚約者家族への、結婚の挨拶なのだ——と、明かしてくれた。
今日はたまたま、相手に仕事関係の用事が入っていたため、別行動になったのだという。

会計を済ませ、タクシーを待つ間に相手が語るには、婚約者の心を射止めるために、ここ数年、日本語の学習を死に物狂いで頑張ったので、日常会話程度ならなんとかなる——とのこと。
でも、だからこそ。
俺がどんなふうに、この国の伝承や歴史的建造物の由来を説明してくれるのか、興味があったのだという。
俺が訳すことを希望している作品は、母の故郷に伝わる伝承が元になっているから——と。
通訳と翻訳の能力は似て非なるものだと思うが、歴史あるものへの敬意の払い方、それを母国語を違える相手に、可能な限り正確に伝えようとする真摯さを、みてみたかったのだ——と。

「素晴らしい、ガイド役だったよ」

おかげで、一日中楽しく過ごせた——と。
そして、事情を知らなかったとは言え、自宅から距離のある場所に俺を呼びつけ、長時間拘束したことを詫びながら、タクシーの運転手に運賃を軽く上回るであろう金を先渡ししてくれた。





そうして、着いた帰路の途中。
タクシーでの移動中も、駅で電車を待つ間も、特急に揺られている最中でさえも、いっそ死神化して…と考えなかったわけじゃない。
ただ、織姫と以前から話し合ってきたのは、可能な限り、ごくありきたりな、〝ひと〟としての営みを大切にしたいということ。

子を持つにあたり、気になることや不安材料は、それほど山のようにあった。
滅却師と死神の血を引く俺と、そのどちらともまた違う異能を持つ織姫との間に産まれてくる子供が、ごく普通の人間の子である可能性は、極めて低いと思われたからだ。
少なくとも、織姫も俺も虚に襲われた経験があるのだから、何らかの完現術の能力を備えていることはほぼ確実だ。
結果、織姫の懐妊は単純に喜んでばかりもいられず、幾重にも慎重にならざるを得なかった。
診察は石田の親父の病院で、ある程度俺たちの事情をわかっている産科医の世話になってきたし、少し前からは四番隊から派遣された隊士が、浦原さんのところで待機してくれてもいた。
きっと今頃、その隊士も織姫の元へと駆けつけていることだろう。

そんなふうに、大勢の人間や死神まで巻き込む騒ぎになってしまったから、こそ。
織姫の夫であり、生まれてくる子供の父親である俺自身は、あくまで〝ただの人間として〟織姫の元へと帰りたかった。
勿論、魂の抜けた体を安全に長時間残しておける場所があるか、とか。
それをどう回収にくれば良いのか、とか。
現実的かつ物理的な問題があったのも大きいが、何より初めて子を抱く腕が、〝人間の俺の腕〟でありたかったのだ。





——で。

ようやっと帰り着いた空座では、何故か虚が大小様々に大量発生していた。
しかも地区担当の死神が吹っ飛ばされる瞬間を目撃してしまっては、知らぬふりで立ち去るわけにもいかない。
急ぎあちらに連絡を入れ、救援を頼み、異変を察知して駆けつけた浦原さんに体を預けて奮闘し……現在に至る。

これも、俺たちの子が関係しているからだろうか——そんな考えが一瞬脳裏を過ぎったが、そこに囚われている余裕はない。
どのみち浦原さんやマユリあたりが調べるに違いないし、俺が先ず為すべきことは、目の前の虚を何とかすることと、被害を街中——特に、病院のある地域にまで広げないことだ。

ようやっと開けた場所まで虚を連れ出し、半ば八つ当たり気味に月牙を放つ。
それでも、一打で浄化できたのは4分の1ほどで。
更にこちらへと押し寄せてくる数多の気配を察知して、いい加減にしてくれと叫びたくなったところで、ルキア率いる十三番隊が到着した。

「待たせたな! 後は我らに任せて、貴様は早く織姫の元へ行け!」

その言葉に素直に頭を下げて、駅前へと急ぎ引き返し、体に戻る。
俺の体を守りながらパソコンのようなものを操作していた浦原さんもまた、〝穴〟を塞ぎに行ってくると言い残して宙を駆けて行った。
ちなみに機材は、いつの間にか来ていた雨とジン太が片付けるようだ。

「穴……?」

首を捻りながらも、それもきっと後日説明してもらえるはずと信じて、とりあえず夜道を直走る。
そしてたどり着いた病院の門の前には、石田だけではなく、ハッチさんと鉄斎さんが共に立っていた。
何故ここに?——と問いかけて、気付く。
おそらく、病院全体に結界を張ってくれていたのだ。
お礼を言いながら頭を下げる俺に、そんなことは後でいいからと、2人は病棟を指し示した。

「こっちだ、黒崎!」

石田の誘導で、時間外の急患用の入り口から棟内へと駆け込む。
織姫の霊圧を探れば、まるで荒波のように大きく揺れていた。
石田もまたそれを感知したのか、無痛分娩と言えども、痛みを完全に取りきれるものではないらしくて…と、口篭る。

「待ってろ…今、行くから……!」

産科のある階へと向かう、エレベーター。
その扉が開いたところで、一際強い衝撃が俺の身体を貫いた。

「織姫——っ!」

思わず叫んだ俺の声に被さるように、漏れ聞こえてきたのは赤子の泣き声。
呆然として立ち止まってしまった俺の背を、石田が思いっきり張り飛ばす。

「しっかりしろ!」
「あ…あぁ……」

肝心なその瞬間に、側に居られなかったことへの後悔に苛まされながら廊下を進めば、不安そうに分娩室の扉を見つめる、家族の姿が目に入った。
声をかければ、半泣きの顔で遊子が俺に駆け寄る。

「まだ、中の様子がわからなくて。
これだけ泣き声が聞こえてくるってことは、赤ちゃんは元気そうだけど…お義姉ちゃんは、大丈夫かしら……」
「多分、大事無いだろう。今は、霊圧が安定してるから」
「本当…? なら、良いけど」

遊子は、ぐしぐしと手の甲で目元を拭った。
その隣で、夏梨と親父もまた、ほっと安堵の息を吐く。

「黒崎、こっちへ来てくれ」

一旦俺の側から離れていた石田が、分娩室の隣のドアを開きながら俺を手招いた。
遊子の頭をひと撫してから、石田の後に続く。
そこで給食着のようなものを渡され、身に付けて、手に消毒液を使わされていると、奥の扉が開き、看護師らしき女性が顔を覗かせた。

「もう、入っていただいても大丈夫ですよ」

石田を振り返れば、無言で頷く。
こくり——とひとつ、唾を飲んで。
震える足で一歩踏み出したところで、廊下から家族の歓声が聴こえた。






「一護君……!」

未だ分娩台に乗ったままの織姫が、俺に向かって微笑む。
伸ばされた手をそっと両手で包みながら、間に合わなくてごめんと告げれば、苦笑気味に首を横にした。

「なんだか、大変だったみたいね。お疲れ様でした」

俺が空座に戻ってから何があったのか——織姫もまた俺の霊圧や、虚の群れの気配を感じ取り、大凡の見当をつけていたのだろう。
労うはずの俺が逆に労われて、バツの悪い思いを抱きながら「大したことじゃ無い」と首を横に振った時、看護師に抱かれて赤ん坊が連れてこられた。

「とても元気の良い、男の子ですよ」

看護師が織姫の腕へと、赤ん坊を受け渡す。
真っ白い産着に包まれた赤ん坊は、今ではすっかり泣き止み、うごうごと手足を動かしながら、きょとりと見開いた目を宙にむけていた。

「未だ、ちゃんと見えてはいないのよね」

ふふ…と柔らかく微笑む織姫は本当に幸せそうで。
その表情を目にした俺の胸の奥にも、じわりじわりと熱いものがこみ上げてくる。

「お父さんにも、抱っこしてもらおうね」

今度は織姫から俺へと、赤ん坊が渡された。
おっかなびっくり受け取り、腕の中に納めた小さな存在は、想像していたよりも少しばかり重く感じる。
くりくりとした二重の目は織姫にそっくりで、ほわほわとした髪の色は、俺のに良く似たオレンジ色だ。

「……生まれてきてくれて、ありがとな」

そっと声をかけた、直後。
赤ん坊の視線と俺の視線とが、かちりと重なった——ように感じたけれど、やっぱり気のせいだったのかもしれない。
え?——と目を見張った、次の瞬間。
赤ん坊はくしゃり…と顔中シワだらけにしながら目を閉じて、ほわわわっ…とひとつ、大きな欠伸をしたのだった。










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