扉を開けて



ぱたぱたぱた……。

廊下を、走る。

『廊下は静かに歩きましょう』

そんなの、わかってる。
でも、今はちょっと守れないの。
だって…早くしないと、掃除の時間が終わっちゃうから。

別に、とりわけ掃除が好きってわけじゃない。
「掃除免除するから、レポート運び手伝ってくれ」
越智先生のお願いも、いつもだったら大歓迎。

でも。

今週に限っては、それはとっても有り難迷惑な話。
何故って……。

黒崎君と同じ掃除場所を担当できる、6週間に1度の機会なんだもの。

先週から担当している多目的室は、他の教室の2倍近い広さだから、2班で当たることになっていて。
今週は、私の次の班…つまり、黒崎君の居る班と一緒なのだ。

たかが15分。
されど15分。

目下、片思い真っ最中の女の子としては。
ほんの僅かな間とは言え、確実に好きな男の子と同じ空間に居られる、貴重な貴重な時間なのです……。





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多目的室は、校舎最上階の最端。
階段を駆け登り、上がった息を整えつつ小走りで廊下を進むと……。

「あれ、井上?」

教室手前の水場に、黒崎君が居た。
手にした雑巾をぱんっと広げながら、僅かに目を見張って私を見る。
想定外の現状に、私の心臓がどきっと跳ねる。

「黒崎君……」
「掃除免除って言われてなかったっけ、越智さんに」
「うん…言われたけど……多目的室広いから………一人抜けると、大変かなって思って………」

まさか、黒崎君と少しでも一緒に居たいから…なんて本当の理由は言えないから、尤もらしい言い訳をして。

なのに黒崎君は「真面目なんだな、井上は」だなんて、素直に感心してくれちゃうもんだから。

ちくり……と、微かに罪悪感。




水場を離れた黒崎君が先を行き、数歩遅れて私が続く。

教室のドアを少し開けて…そこで私を振り返った黒崎君は。
一瞬、悪戯を思いついた小さな男の子のような光を、その茶色の瞳に踊らせて。
片手でドアノブを掴んだまま、踵を合わせ、ぴしりと背を伸ばした。

そして。

「お先にどうぞ、井上さま」
恭しく、私に向かって腰を折ってみせた。

一瞬呆けたように、私は黒崎君を見つめて。
それから、黙って俯いてしまった。
顔が赤くなっているのが、自分でもわかる。

「……聞いてたの?」
上目遣いに訪ねると、黒崎君は苦笑混じりに、言った。
「聞いてたんじゃなくて、聞こえたの。お前等の声がでけぇから」





……それは、昼休みのこと。
みちるちゃんが、週末に親戚のお姉さん達に連れていってもらったという「執事喫茶」の体験談を披露していて。

それを楽しく聞きながら、お姫様やお嬢様みたいな扱いされるのって、やっぱり女の子にとっては夢だよね、憧れちゃうよね……なんて、皆で盛り上がっていた。

まさか、それを聞かれていたなんて……。





「井上……」

はっと、我に返る。
顔を上げると、ちょっと困ったような顔をした黒崎君が居て。
「ゴメン……実は俺も、結構ハズいんだけど」
心なしか、彼の頬のあたりがほんのり赤い……。

「ごめんなさい!」
慌てて駆け寄って、戸をくぐろうとして。

ふと、足を止める。

訝しむように、僅かに眉根を寄せた黒崎君の正面で。
スカートを軽くつまみ、片足を後ろに引いて。

「ありがとうございます、黒崎さま」

腰を落とし、一礼。
できるだけ優雅に、美しく……。

顔を上げると、黒崎君は鳩が豆鉄砲くったような顔して私をみていたけれど。
やがて苦笑気味に微笑みながら、通りやすいようにドアノブをもう少し引いてくれた。

私も、微笑み返して。
黒崎君の脇をすり抜ける、その通りすがりざま。

「ところで、井上サマ」

耳元で囁かれた声に、思わず足を止めて振り返る。

「放課後のご予定は?」
そこには、少しそっぽを向き気味に訊いてくる黒崎君が居て。

「えっと……図書館に寄ろうかなぁと思ってますが……」
「では、お供させていただいてもよろしいでしょうか?」

相変わらず、彼の視線は私の上にはなかったけれど。
私は心臓をばくばく言わせながら
「喜んで……」
消え入りそうな声で返事するのが精一杯で。

そんな私に、黒崎君は。
ゆっくり顔を向け、ほっとしたように小さく息を吐いた後で、微かにはにかむように笑ってくれた。

あ…なんか、可愛い……。
そんなことを、ぼんやり思って。

「じゃ、後でな」
「……うん」

頷きながら、ドアをすり抜ける。


教室に入ると、真っ先に気がついてくれたたつきちゃんが声をかけてくれた。

「あれ? 織姫、来たんだ」
「うん」
「……あんた、なんか顔赤くない?」
「え…?! あ、あの、走ってきたからじゃないかな?
職員室からここまで」
「ああっ、井上さんじゃないですか! どうしたんですか?!
あ、もしかして僕と少しでも一緒に居たくて、来てくれたとか……」
「寝言は寝てから言え、浅野」
「あ、有沢さんっ、ひどっ!」
「ひどいのはあんたよ、さっさと持ち場に戻って。いつまで経っても終わらないでしょ」
「いででででででででで!!!」
国枝さんに耳を引っ張られて持ち場に連れ戻されながら、それでも手を振ってくる浅野君に、軽く手を振って。

ふと、黒崎君を振り返る。
石田君と何やら言い合いながら、机の落書きを雑巾で拭き取っている、その横顔。
学校の掃除なんて、皆…特に男子は適当にやってるのに。
眉間に皺寄せて、一生懸命拭いてる……そんな、生真面目なところも、表情も。

とっても、とっても、大好き……。


「……ちょっと織姫、折角来てくれたんなら、呆けてないで掃くの手伝ってくんない?」
「あ、ごめん!」
我に返り、たつきちゃんに謝って。
私は慌てて、掃除ロッカーへと駆け寄った。

箒を取り出しながら、もう一度、橙色した髪の男の子を振り返る。




あのね、黒崎君……。
あんなふうに、扉を開けてくれるのも嬉しいんだけどね。
本当はね……。

二人で一緒に、「せーのっ」で開けたいんだよ……。

護られているだけじゃなくて。
後ろをついていくんじゃなくて。

隣に並んで。
扉の向こう側に広がる、同じ景色をみたいの……。


私、強くなるから……。
もっと、もっと、強くなるから……。

だから。

いつか。
いつの日にか。



どうかこの夢が、叶いますように………。









ばたんーーと、少し力強めにロッカーを閉める。
軽く、頭をひと振りして。

「さぁて、ばりばりやりますか!」
箒を手に、私はたつきちゃんの側へと駆け寄った。










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