星の河を渡る日



初めて降り立つ、駅。
ホームには、遊園地帰りであろう家族連れの姿が、数組あった。
自分の身長ほどもある大きなウサギのぬいぐるみを抱えて、はしゃぐ幼児。その様子に目を細める両親の姿に、少し前にあちらの世界からもたらされた吉報を思い出し、口元を綻ばせる。

階段を登り、改札へとたどり着けば、見知った胡桃色の髪。
俺に気がつき、弾けるような笑顔で手を振る姿に、胸の奥が甘く痛んだ。

「お久しぶりです!」

戯けて敬礼の真似事をする、そんな仕草にも。
柔らかく細められた茶の瞳、にも。
想いが溢れて、苦しくなる。
いっそ抱きしめてしまえたなら、どんなにか——。

「あ…ちょうど良いバスあるから、乗っちゃおう! 黒崎君、バス停までよーいドンッ!」
「え。あ…おい!」

くるりと踵を返して駆け出す背中を、慌てて追いかける。
そしてお約束と言って良いものだろうか、悲鳴と共に傾いだ体を、間一髪のところで腕を掴んで引き上げた。

「大丈夫か?」
「う、うん……ありがと、ごめんなさい」

体勢を立て直すや否や、すっ…と離れていく体温。
それを淋しいと思う資格は、今の俺には無い。


——そもそも、告白のタイミングからして最悪だったんだよ。
あんな時期に申し込まれて、素直に頷けるような人じゃないってこと……一兄が1番良く知ってた筈でしょ。


夏梨の声が、脳裏に響く。
うるせぇよ…と口の中だけで呟き、井上の後に続いてバスのステップに足を掛けた。







「こっちでの生活には、もう慣れたのか?」
「うん、だいぶ。最近はすんなり起きられるようになったし」
「3時に勤務開始だっけ?」
「そう。6時にはお店開けるから」

バスに揺られながらの、他愛無い会話。
並んで立つその距離は、およそ30センチほど。
友達にしては近く、恋人と言うには遠い——なんとも微妙な。

「正直なところ、経営はうまくいってんのか?」
「——と、思うよ。固定客も増え続けてるし」
「そりゃ、良かったな」
「うん! 店長もスタッフ増員に本腰入れ始めたみたい。
このまえ職安に求人票提出しに行ってたし、来春新卒の子狙いで、近隣の専門学校や、調理の専科のある高校にも出向いてるんだ」
「へぇ……」
「いい人に来て貰えるといいな。そうしたら、私も心置きなく空座に戻れるもの」

その言葉に、思わず息を止めた。
一度強く、大きく拍を打った心臓が、直後から早鐘のように鳴り出す。

開店時には、人柄も仕事ぶりもよく知っている、信用できるスタッフに居て欲しい——と。
ABCookie'sから独立し、故郷で自分の店を出したパン職人たっての願いで、春からこちらに出向している井上。
期間は、一年。
だけど、今の雇い主が強く残留を求めたら。
或いは、井上自身の気が変わってしまったら……そんな不安は遊子だけでなく、俺自身の心中にも常に巣食っていて。
故に先の言葉を聞けたことは、大声で叫び出したいくらいに嬉しかったのだ。

「黒崎君…なんか顔が怖いよ?」
「——っ、!」

戸惑いと不安の入り混じった井上の声に、咄嗟に顔の下半分ほどを手で覆う。
締まりなく口元が緩みそうになるのを堪えていただけなのだが、どうやら誤解を招いたらしい。

「……戻らない方がいい?」
「なんでそうなるよ」
「だって……」
「そんなこと思ってたら、そもそも今、此処に居ねぇだろ」
「黒崎君……」

怯えた小動物のように俺を見上げていた井上が、ふうわりと穏やかに笑み崩れた。
それこそ、花のように。

「ごめんなさい。それから……来てくれて、ありがとう」

どういたしまして——と。
照れ臭さから窓の外へと視線を逸らし、ぶっきらぼうに応えた俺の耳は、多分きっと赤い。





「あ……此処にも?」

遊園地の門をくぐったところで目に入ったそれに、知らず足を止める。
俺の視線を辿った井上が、ああ…と納得したようにひとつ頷いた。

「この辺りは、月遅れでやるみたいなの。ほら、仙台とかと同じで」

さわ——と。
夕風を受けて揺れたそれは、大きな七夕の笹飾り。
井上が急に走り出したのでじっくり見てはいないが、確か駅にも飾ってあった筈だ。

「今夜は、よく晴れそうだね」

見上げた空は、ちょうど夕方と夜の狭間。
一番星が、静かに光を放っている。

「実際のところ、空の上での正式な逢瀬日って、どっちなのかなぁ」
「さあ…? そもそも、今年の正確な旧暦七夕ってのは、今日じゃないぞ」
「うーん……じゃあ、今では3日とも逢えてるとか」
「へ?」
「だって、何千年も年1で頑張ったんだもの。そろそろ2日プラスするくらいのご褒美、あってもいいと思うの」
「なるほど——」
「本当にそうなら、いいな。
だって本当は、仕事全て放り投げてしまうくらい、いつでも一緒に居たかった二人なんだものね……」

じっと、笹飾りを見上げる井上。
ちらりと横目に見たその顔には、酷く切なげな表情が浮かんでいた。
それこそ、今にも泣き出してしまいそうだと感じるほどに……。

何か、声をかけたくて。
でも、何を言えばわからなくて。
開きかけた口を閉じ、さりげなく携帯を取り出し、画面に表示されている時刻を確認する。

「そろそろ移動した方がいいんじゃねえのか?
 花火の前の前座イベント、観たいって言ってただろ」
「あ、そうだった! いけない、いけない」

ちろりと小さく舌を出し、肩をすくめる井上。
そして二人で会場へと向かう通路へと足を向ければ、花火を観ずに帰る客——主に、小学生以下の子供を含む家族連れが、続々とこちらに向かって歩いてくるところだった。

「そっか…子供は夏休みでも、明日は月曜日だものね。お父さんもお母さんも、大変だ」

感心したように、頷く井上。
その見解には心から同意するが、問題なのは、この濁流の如き人の流れに逆らって進んで行かねばならないということだ。

「仕方ねぇか……」

しばし逡巡の後、小さなため息をひとつ。
そして俺は、井上の手を取り、自分の掌の中に握り込んだ。

「え? ええっ?! ちょ、くくくく黒崎くん?!」
「悪りぃ、保険だ」
「ほ、ほけ……?」
「突破する。はぐれるなよ」
「へ? うひゃあぁっ?!」

動体視力も反射神経も、常人以上だという自信はある。
それらを駆使して、井上の手を引きつつ、いささか強引に人波を縫って歩き始めた。
最初はまごついていた井上も、すぐに慣れてしまったのは、さすが〝崩姫〟と言うべきか。

先へと進むにつれ、ますますキツくなる人波。
俺の手を握り返す力が、僅かに増す——そのことに、どうしようもなく心が躍った。

迷子防止。
それ以外の特別な意図など彼女には無いと、分かりきっていても……。







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