一重薔薇にまつわる三つの小話



ドレスのデザインに、何か注文があるか——と。
リルカからそう問われた時、正直「何でそんなことを俺に訊くんだ?」と思ったし、実際口に出しもした。

「織姫が、そうしてくれって言ったの! 自分は特段、こだわりは無いからって」

応えるリルカの声や表情にも、若干の困惑と呆れ、苛立ちとが含まれている。
俺はため息をつきながら、ガシガシと頭を掻きむしった。

婚約してから此の方、一時が万事この調子なのだ。
いつもにこにこと笑いながら、井上は俺の希望通りに——と言うばかりで、自分から何かを強く主張してくることはない。
唯一注文があったのは、会場に関することくらいだ。
それも、勤め先の洋菓子店と関係の深いレストランを使って欲しいというもので、俺としては言われるまでも無いというか、むしろ他の選択肢あるのかよ——と、心密かに突っ込みを入れたくらいだ。

「……本当は、結婚なんてしたくないとか」
「はぁ? 何言ってんの?!」

ばっかじゃないの!——と。
思わず漏らしてしまった弱音を、間髪入れずにリルカがぶった斬る。
実際、手にした布断ち用の鋏をジャキンと鳴らしながらの言葉だったから、一瞬背筋が凍った。

「そもそも織姫が、自分自身に関しては果てしなく優先順位が低いこと、あんたが一番よく知ってるでしょうよ!
今更あたしに、こんな説教させないで!」

苦い顔をしつつも、黙りこむしかない俺。
リルカは忌々しげにひとつ鼻を鳴らしながら、手元のファイルから数枚、紙を引き抜いた。

「とりあえず、ざっくり描いたデザイン画を数点用意して、織姫に3枚まで絞ってもらってあるから。
これとこれと、これ…ちょっと見てくれる?」

リルカが俺の目の前に、デザイン画を横一列に並べて置く。
流石はリルカ、どれも井上によく似合いそうなものぼかりだ。
ただ、3枚とも肩から二の腕あたりまでがしっかりと布で覆われていて。
襟の開き具合も、前面背面共に浅めという露出の少ないデザインであることが、ほんの少しだけ気になった。

「……まだ、あの時のこと気にしてんのかな」
「は? 何のこと?」
「何でもねぇよ。独り言だから、聞き流せ」

俺の対応に、あからさまにムッとするリルカ。
だが、それ以上の追及はして来なかったので、俺は密かに安堵の息を吐き出した。
リルカの日頃の言動や態度については、多少思うところがあったりはするものの、基本善人ではあるし、踏み込んで良い領域かそうでないかを、きちんと判断できる人間でもある。
だから、こそ。
また、怒られちゃったよぅ——と、時には本気で涙を浮かべてしょげながらも、井上はリルカとの交流を続けているのだろう。

そんなことを脳内の片隅で考えながら、デザイン画を見比べる。
いずれも甲乙付け難いのだが、ついつい視線を引かれてしまうのは、薔薇を象った装飾がところどころに散らされたものだった。

ふ……と、数年前の記憶が蘇る。
夕闇の迫るなか、二人肩を並べて見惚れた、あの白い花——。

「これ……一重咲きのものに変えて欲しいって言ったら、出来るか?」
「もちろん」

ちょっと待って——と。
リルカは手元のパッドを起動させると、画面の上でペンを走らせた始めた。

「こんな感じで、どう?」

程なくして、俺に向けて差し出されたパッド。
その画面には、花弁を一重に変えただけでなく、元の絵にはなかった蔓や葉が描き足されたドレスが表示されていた。
特に、体に巻きつくように描かれた蔓による視覚効果だろうか、変更前よりもウエスト付近が細く見えるし、可憐さと繊細さが増したように感じる。

「凄ぇ、いい…」

思わず漏らした俺の言葉に、リルカはにぃ…と得意気に口の端を吊り上げた。
そして、胸を反らせながら傲然と言い放つ。

「この、あ・た・し、が描いてるのよ! 当っ然でしょ!!」

そうだな、ほんと凄ぇよ——と苦笑しつつ頷き、俺はリルカにバッドを返そうとした。
その手が止まったのは、リルカがどこか薄気味悪そうな顔をして俺を見ていたからだ。

「……何だよ」
「素直にあたしを褒めるあんたって、なんか不気味」
「うっせぇよ!」
「ついでに言うと、微笑むあんたも」
「それこそ、放っとけよ!」

澄まし顔で、ひとつ肩をすくめるリルカ。
そして俺の手からパッドを取り上げると、彼女は画面をタップしたり、縦横に指先を滑らせたりし始めた。

「——はい、これで送信完了…と。この後は織姫と、細部を詰めていくわね」
「ちょ、ちょっと待てよ!」

慌てて腰を浮かせ、リルカに詰め寄る。

「先ずは本当にそれで良いか、井上にちゃんと確認取ってやってくれよ」
「そんなの当たり前でしょ! 着るのはあくまで織姫なんだから」

馬鹿にしないでくれる?——と、呆れ顔で言い返され、俺は顔を赤くしながらすごすごと椅子に座り直すしかなかった。
うんざりしたように吐き出されたリルカの息が、項垂れる俺の前髪を微かに揺らす。

「まぁ、でも……ほぼ間違いなく、織姫も気に入ると思うわよ?」

一転して明るく響いたリルカの声に、思わず顔を跳ね上げた。

「——根拠は?」
「苺の花、よ。織姫が一番好きだって言う……。
大きさは大分違うけど、同じバラ科の花だけあって、形状はよく似ているもの」

そう言えば…と。
ルキアにヴェールを贈ることを井上が提案してきたとき、メール文に添えてあった画像のことを思い出す。

「——確かに、似てるかも」
「でしょ? それと……ああほら、やっぱり!」

リルカが自分の携帯の画面を、俺の眼前に突き出した。
そこに表示されていたのは、花言葉の検索結果。

「一重薔薇の花言葉は、『清純な愛、静かな愛と敬意』。苺の花の『尊重と愛情』ってあたりと、被ってるじゃん!」
「ホントだ…」

苺の花言葉のうち、井上が最も重要視していた『幸福な家庭』に被る言葉こそ、無かったけれど。
互いに『愛と敬意』を持って寄り添い合うならば、そこには自ずと『幸福』が宿るものだ。
——だとしたら。
一重薔薇のモチーフを取り入れることは、そのまま、俺たち二人の、未来に向けての希望と決意の表れとも言えるかもしれない。

「ま…あんたはこの先、ドレスについては単純に楽しみにしてれば良いわよ。
変更があろうとなかろうと、デザイン画の何倍も、何十倍も、素敵に仕立て上げてみせるから!」
「ああ、そこは心配してねぇよ。それより——本当に、無料で良いのか?」
「最初に言ったでしょ! 今度立ち上げるブライダル部門のサンプルとして、後日、衣装と着用写真を提供してくれればいい——って。
あんたと織姫ならそこそこ見栄え良いから、パンフレットやプレゼン用の写真として、そのまま使えそうだもの。
モデル代が浮く分、こちらも助かるわよ」
「そっか…」
「そうよ。だから、費用は一切気にしないで。
もし、どうしても気が咎めるって言うなら、後でジャッキーの任されてる部署にでも、寄付金納めてやってよ。無理のない範囲で、構わないから」

素っ気ない口調でそう言うと、リルカはまるで犬の仔を「しっ、しっ!」と追い払うような手つきで、俺に退室を促した。
どうやら、俺とすべき話は全て終わった——と、言うことらしい。
視線はパソコンのモニターを見つめたきり動かなくなり、カタカタとキーボードを弾く音が間断なく響き始める。

俺は軽く肩をすくめると、椅子から立ち上がり、ドアへと向かって歩き出した。
そしてノブに手をかけ、今にも押し開かんとした——その時になってリルカに呼び止められ、怪訝に思いつつ背後を振り返る。
かちり…と重なった視線は恐いほどに真っ直ぐで、俺は大いに気圧されながら、こくり…と生唾を飲み込んだ。

「——幸せに、なってね」

思わず、目を見開く。
リルカはじわじわと頬と耳とを朱く染めたかと思うと、ぷいっと乱暴に視線を逸らし、再びカタカタとキーボードを叩き始めた。
俺は苦笑を浮かべつつも、心の底からの気持ちを込めて、「ありがとな」と礼の言葉を返す。

リルカはちろり…と一瞬、こちらに視線を向けたものの。
すぐに画面に向き直ると、さっさと出ていけと言わんばかりに、再び手を払ったのだった。










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