一重薔薇にまつわる三つの小話



日曜日の朝…と言っても、夫婦共に定年退職してのんびり余生を送っている身としては、平日とさほど変わりない、単調な一日の始まりなのだけれど。
ひと通りの家事を終えて、居間でのんびりコーヒーを飲んでいると、インターホンが鳴った。

「……誰かしら」

セールスだったら、今の気分の良さが台無しだわ——そんなことを思いながら画面を覗き込む。
果たしてそこには、派手な髪色をした青年が立って居た。
一瞬怯んだものの、すぐにご近所の医者の息子だと思い出し、慌てて通話ボタンをオンにする。

「はい——?」
『あ……突然すみません、ちょっとお願いが』
「はぁ、何でしょう」

自分で思った以上に、きつい声が出てしまった。
同じ町内とは言っても班も違うし、それほど親しいわけでとない。
道で行き合えば、互いに軽く会釈する程度だ。
突然お願いなどと言われて、にこやかに応対しろという方が無理だろう。
しかも、お願いが…と言ったきり、画面の向こうの青年は俯き加減に黙り込んだままだ。
次第にこちらも、言いようのない不安と苛立ちが募り始める。

警戒する気配を纏った私を心配したのだろう、夫も近くに寄ってきて、画面を覗き込んだ。
そして、私の肩を宥めるように叩くと、至極穏やかな声で再度、何用かと問いかける。
すると医者の息子は、意を決したように顔を上げ……た割には、すぐにまた視線を彷徨わせつつ、ようやくマイクが音を拾えるレベルの小声で要望を告げてきた。

『……花を一輪、分けていただきたいのですが』

思わず、夫と顔を見合わせる。
拍子抜けしてどこかぼんやりしてしまった私に代わり、夫が笑いを噛み殺しながら「今、そちらに参ります。少々お待ちください」と応じた。
私は慌てて玄関に向かい、サンダルを突っ掛けながら枝切り鋏を手に取る。

「私も行こう」

振り向けば、夫が脚立を担いでにこり…と笑った。





「これなんか、どうかね?」
「そうね、それなら何とか……」
「では、それでお願いします」

夫の選んだ花に私がOKを出し、脚立を押さえていた青年も頷く。
遠目にはまだまだ綺麗に写るけれど、盛りを過ぎてしまった花は、よくよく見れば花びらを欠いていたり、雨に当たって傷んでいたり…と、人様に差し上げられるレベルのものは、もう僅かにしか残っていない。
手の届くところから、脚立がないと確認できない場所まで全て見渡し、漸く見つけた一輪だった。

パチリ…と鋏の合わさる音。
やがて、ゆっくりと脚立から降りてきた夫が、青年に花を差し出した。

「これで、いいかな?」
「はい……! 有難うございます!!」

あら、笑うと案外幼くなるのね…などと思いながら、青年が手に下げた小さなペーパーバッグに、そっと花を仕舞い込むのを眺める。

「本当に、ありがとうございました」
「いやいや、大したことじゃないよ」

深々と頭を下げた青年に、夫が笑って首を振って……そして、実にさらりと付け足したのだ。
健闘を祈るよ——と。

それこそ、鳩が豆鉄砲を食ったような…とは、この時の青年の表情を指すのではないかしら。
大きく目を見張って硬直したあと、まるで爆発音が聞こえそうな勢いで顔を赤くした青年は、しどろもどろに別れの挨拶を述べると、駅方面へと向かって脱兎の如く駆け出した。

唖然として見送る私。
その隣では、夫がくつくつと笑いながら、納得顔で一人うんうんと頷いている。

「——どういうこと?」
「いや……ちょっと、かまをかけてみただけだったんだが……図星だったかな」
「だから、何が?」
「うーん……悪いけど、教えない」
「あなた?!」

非難がましい私の呼びかけなど、何のその。
夫はまるで悪戯小僧のような顔をして肩をすくめると、ヨイショ…と脚立を肩に担いで踵を返し、家の中へと戻ってしまった。

「もう……本当に、なんなのよ!」

ため息まじりに毒づき、空を仰ぐ。
瞳に映った空は私のモヤモヤした胸の内とは反対に、いっそ憎らしいほど、どこまでも青く晴れ渡っていた。













「とーた、あーちゃ、おはな、きれーきれーねー!」

一歳ぐらいの子供を抱えた医者の息子と、最近姿を見ないなー…と気になっていたパン屋の看板娘さん、が。
我が家の前を仲睦まじく、連れ立って通り過ぎて行くのを見かけるのは、それから二年ほど先のお話。





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