空に咲く花、地上の星
「朽木さんと恋次君も、予定通りに来られそうだって!」
花火会場へと向かう電車の中、俺の隣に座って携帯を操作していた井上が、嬉しそうに声を弾ませた。
ちらりと横目に視線を向ければ、柔らかく目を細めて画面を見つめる横顔が目に入る。
早く逢いたいなぁ……と呟く姿を見下ろしながら、俺はひっそりと溜息を吐いた。
ルキアと恋次が、一緒でも良いか……と。
廃棄パンを届けに来がてら井上が俺に尋ねたのは、俺たちが約束をしてから数日後のことだった。
「ちょうどその頃に、二人同時に休暇を取る予定らしいの。
でも私、今から別の日にお休みを取るのはちょっと難しいし、朽木さん達にしても折角こちらに来るなら、イベントのある日が良いんじゃないかと思って……」
駄目、かな?……と。
まるで甘えん坊の小動物のような瞳で上目遣いにお願いされては、頷く以外の選択肢など俺には残らない。
それでも、未だ「友達」「仲間」という関係に留まり続けている俺たちの、滅多にない二人きりでの外出の機会に少なからず浮き立っていた俺は、ルキア達が加わることについて、諸手を挙げて歓迎する気分にはなれずにいた。
だけど……。
「嬉しいなぁ……大戦以降、任務のついでにちょこっと寄ってくれることはあっても、わざわざ休暇を取ってまで遊びに来てくれることなんてなかったもの。
それだけ尸魂界全体の復興が進んで、死神さんたちのお仕事にも余裕が出来てきた…ってことだよね!
本当に、良かったぁ……」
井上のその言葉に、俺は後頭部をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。
ルキア達の来訪から尸魂界の復興具合を連想する…などという視点は、自分には無いものだったからだ。
己の心の狭量さや視野の狭さに恥入ると共に、改めて井上の心根の広さと深さを思い知る。
……そして。
そんな彼女の「隣」という立ち位置を望む気持ちは、一段と強く、深くなっていくばかりなのだった……。
「…此処だ、井上!!」
改札を出るや否や、ルキアの声が耳に飛び込んできた。
慌ててそちらに視線を向ければ、黒髪に花を飾った浴衣姿のルキアが、まるで幼い子供のように大きく手を振っている。
その隣には、同じく浴衣姿の恋次が腕組みをして立っていた。
夕闇が迫る空を背景に、燃えるような赤毛がゆるりと風に靡く様は、まるで篝火のようだ。
久しぶり、元気だったか……と。
ひと通り挨拶を交わしあうのもそこそこに、ルキアと井上は手に手を取り合って、花火会場へと続く道路の両端を埋める屋台群へと突入していった。
慌てて後を追う俺と恋次の耳に、綿飴、林檎飴、お好み焼き、焼きそば、じゃがバター…と、歌うような口調で食べ物を列挙する声が届き、男二人、思わず顔を見合わせて肩を竦める。
「まぁ…食べ物は多くあった方がいいだろ。開始までもう少し時間もあるし、そもそも井上が居るんだしな」
「……まぁな」
そんな会話を交わしているうちに、井上とルキアの両手はあっと言う間に食べ物の詰まったビニール手提げでいっぱいになった。
しかもルキアがくじ引きででかい兎のぬいぐるみなど引き当てるものだから、どうしたって俺と恋次とで袋持ちを引き受けざるを得なくなる。
流石にこれは食べきれないのでは……と不安になるほどの食物量に半ば呆れつつも、きゃらきゃらと楽しげな笑い声を立てながらおしゃべりを続ける井上とルキアの姿を目にすれば、口元はどうしたって緩みがちになるというものだ。
それは恋次も同様のようで、ルキアに向けられた瞳は柔らかく細められ、宿る光も優しくて穏やかだ。
藪蛇になるのが恐いのであえて突っ込んでは訊かないけれど、おそらく二人はただの男と女としても、良い関係を築いているのだろう。
「それにしても、井上は随分と大人びて綺麗になったな。今日の浴衣の色も影響してるんだろうが…」
どくり…と。
まるで隠し事がバレた子供のように、心臓が跳ねた。
それを恋次には気付かれぬよう細心の注意を払いながら、そうかな…と気のない風を装い相槌をうつ。
「お前は頻繁に逢ってるから気付きにくいのかも知れねぇが、俺が井上とまともに顔を合わすのは3年ぶりだからな。
変な意味じゃなく、素直に、大人になったなぁ…と思うよ。
まぁ、現世では当たり前の歳の取り方してるだけなんだろうが……」
「………」
3年など、体感時間としてはあっと言う間だ。
……だけど。
俺とルキアが出会い、幾多の戦いを経て生き抜いてきた高校時代…それと同じだけの月日が、終戦からも更に過ぎ去ったのだと考えれば、決して短くはない時間なのだと再確認させられる。
そして、恋次ほど長い間隔を開けないまでも、卒業後、ある程度の日を置いてしか井上と逢えなくなってからの俺は、その度ごとに、少しずつ大人びて綺麗になっていく井上の変化に気付いていて…でも、それを認めることが怖かった。
井上が、俺の手など届かない存在になってしまいそうな気がして……。
「あー……それにしても、もう3年…か。俺もいい加減、腹ぁ括るとするかな…」
「ぁあ?」
唐突な呟きに思考を中断させられ、顔を盛大に顰めてながら恋次の顔を振り仰ぐ俺。
すると恋次は、独り言だから気にするな…と言って、荷物を持ったままの手でいきなり俺の背中を馬鹿力でどついてきた。
「ぐは…っ! れ、恋次!! 手前ぇ、ちったぁ力の加減てものを知れよ!」
「いやぁ、悪ぃ悪ぃ!」
口で言うほど悪いと思っていなければ反省もしていないであろう赤毛のっぽの顔を、睨め上げつつ。
そういえば……と、ふと脳裏に浮かんだ疑問を口にした。
「場所取りは任せとけ…って、言ってたらしいけど?」
「おう、感謝しろよ! この先の土手に、すげぇ良い場所押さえてあっから」
「押さえる…って……でも、無人シートでの場所取りは禁止だった筈だぞ」
「今は、浦原さんトコのジン太に留守番頼んでる。友達との待ち合わせにも丁度良いからって、二つ返事で引き受けてくれたよ。その前の時間帯は、地区の担当の奴に頼んだ」
「おい…ジン太はともかく、地区担当の死神に場所取りさせるなんて、職権乱用もいいところじゃねぇか!」
「うるせぇな、全員にちゃんと報酬を払ってるし、今日は魂葬予定も殆どねぇんだよ。
虚にしても、お盆前後に強化週間組んで、隊の新人訓練がてらこの辺り一帯を一掃しといたしな」
「……まさかと思うが、その強化週間とか新人訓練てのも、今日のためだったりするのか…?」
「いいだろう、別に。誰も迷惑しねぇどころか、整が虚に喰われる確率は激減、井上やルキアは心置きなく今夜を楽しめる、俺とお前は美人二人の浴衣姿を拝める…一石三鳥じゃねぇか」
「…………」
そんな裏話を、聞かされて。
恋次の彼女馬鹿はもちろん、白哉の妹馬鹿加減のひどさに、俺が呆れたようにため息を吐いたときだった。
「あ、いたいたぁ! 一護、織姫、おっひさぁ~~~っ!」
突如響いた女性の声に、ギョッとして背後を振り返る。
俺たちの視線の先で手を振っていたのは、浴衣姿も艶やかな金髪美女だった。
「ら、乱菊さん?!」
「もう、朽木も恋次もずるいじゃない! 書類持って六番隊訪ねて行ったら、あんた達が現世に花火鑑賞に出かけたって言うからさぁ、その場で地獄蝶飛ばして、休暇取りますってウチの隊長に連絡して、急いで浴衣に着替えて、こっちに来ちゃった!」
うふふ…と。
片目を瞑りながら婉然と笑う乱菊さんを、ただ呆然として見返すばかりの俺と井上。
「……日番谷隊長も、お気の毒に…」
ぼそり…とルキアが呟けば、乱菊さんはケタケタと笑いながら「気にすることないわよーぅ」と言った。
「隊長が残業してると、よく雛森が差し入れにくるのよぉ。だから私は隊長のためにも、毎日さっさと帰ることにしてるの」
おそらく俺を含めた四人全員が内心で冬獅郎に深く同情したが、口に出しては誰も何も言わなかった。
「まぁ…それはさておき、そろそろ観覧場所に戻って、腰を落ち着けてはどうだろうか?」
「そ、そうだね! 私も大分、お腹が空いてきちゃったし!!」
「あらぁ…随分と沢山買い込んだわねぇ…!」
「はい! ですから乱菊さんも、遠慮なく食べてくださいね!」
「織姫…あんたってば、本当にいい子ね!! ほら…そっちの手に持っている分、貸しなさい。私が持つわ」
「有り難うございます」
「じゃあ、行きましょうか。ほら恋次、先導して!」
「……へーい」
肩を竦めながら俺の隣を離れた恋次が先頭を歩き、女性三人が賑やかに笑いさざめく後ろを、独りついていく俺。
聞くともなしに井上たちの会話を聞いていると、乱菊さんが井上の浴衣の柄を話題に持ち出した。
「その浴衣の柄って、星空なの?」
「あ、はい」
「へぇ、素敵ねぇ! 私も欲しいなぁ……どこのお店で誂えたの?」
「えっと……実は、このあたりのお店ではないんです。職場の先輩のお供でデパートに出かけた時に、丁度関西の呉服屋さんが出張展をやってて…そこで」
「ふぅん…」
「あ、でも、通販もやってましたよ。なんなら私、注文の代行しますけど」
「わ、ほんと?! 頼んじゃって、いいの?!」
「勿論です! あ……でもそれなら、寸法のほかに、何年何月何日の空が良いか決めて、連絡してくださいね」
「え……希望した日の星空で、染めてくれるわけ?!」
「はい。大切な記念日や、お誕生日を選ぶ人が多いそうです」
「へぇ、そうなんだぁ……で、織姫はいつにしたわけ?」
「え?! あ……そのっ…」
井上は何故か一瞬、狼狽えたように言い淀んだのち、躊躇いがちな口調で「……誕生日です」と答えた。
そのあまりに不自然な様子に、俺が思わず首を傾げた……次の、瞬間。
どぉん……!
周囲に轟音が響きわたると同時に、頭上から虹色の光が降り注いだ。
花火の打ち上げが、始まったのだ。
「わ、始まっちゃった! 早く座って、落ち着いて見ましょ! ほら恋次、さっさと歩いて!!」
「わかってますよ!」
そして俺たちは、再び夜道を歩き出した。
終