春夜、花の下にて



「浦原さん、居る? 頼んでおいたものが完成したって、聞いたんだけど」
「これはこれは、黒崎サン!」

俺には使い道も使い方もまるで見当のつかない実験器具やら、異国の言葉で書かれた沢山の書物やら。
そんな妖しげな物で埋め尽くされた部屋の奥から、ひょこりと銀髪の男が顔を出した。
屋内だと言うのに、頭には破れ目のある鍔広帽子を被っている。

「お久しぶりッスね! 相変わらず、売れっ子のようで……若いのに、もの凄く腕利きだ…とのお噂は、良く耳にしてますよ」
「……お世辞はいいから、早く渡してくれよ」

眉間の皺を深め、ぶっきらぼうな口調で催促をすれば、「おや、つれないですねぇ…」とちょっと哀しげな目をする浦原さん。
俺は無言のまま、軽く肩を竦めた。
人好きのする笑顔に反して、その心の内を読むことは容易でなく、相当に喰えない人物であることを、俺は良く知っている。

「乗り合い馬車の出発時間まで、それほど余裕が無ぇんだ。だから…」
「了解っス。ちょっと待っててください」

苦笑を浮かべながら帽子を被り直すと、浦原さんは続き部屋へと入っていって。
程なくして戻ってきたときには、その手に小さな小箱を握っていた。

「……どうぞ」

ことり…と。
微かな音を立てて卓上に置かれた小箱へ、手を伸ばす。
少しばかり蓋を持ち上げ中身を確認すると、俺は礼を言いながら上着の内ポケットへと小箱を仕舞い込んだ。
引き替えに、金貨銀貨の詰まった巾着袋を相手に差し出す。

「代金だ。無理難題を言った自覚はあるから、少しばかり色を付けてある」
「それは有り難いっスねぇ!」

にぱっ…と、小遣いを貰った子供のように笑いながら、巾着袋を受け取って。
その中身を確認している途中、ふ…と手を止めた浦原さんは、帽子の鍔の破れ目から上目遣いに、まじまじと俺の顔を見つめた。

「……何だよ」
「いや、その…黒崎さんはこれから、長期の休暇に入られるとお聞きしてまして……ならば、そんなに急いで取りにいらっしゃらなくても、良かったのでは…と」
「妖魔なんて、いつどこで出くわすかなんてわからねぇモンだろ。
そうなったら、休暇中だから見逃してくれ…なんて言い訳なんか効く筈も無ぇし、そもそも奴らをみすみす逃すような真似はしたか無ぇんだよ」
「確かに、そうっスね…。アタシも莫迦なことを訊きました、どうぞお許しを」

貨幣を巾着に戻し、きゅっと紐を引き絞る……その浦原さんの口元を、苦笑が彩る。

「では黒崎サン、どうぞ楽しい休暇をお過ごしください。お渡ししたものの出番など無いことを、心から祈ってますヨ」
「ああ、有り難う」

にっ…と笑って、踵を返して。
それきり俺は一度も背後を振り返ることなく、乗り合い馬車の停留所へと向かった。








「…よぅ! お前さん…何処かで見た顔だと思ったら、一心牧師ンとこの一護じゃねぇか!!」

二つばかり村を通り過ぎた頃、新たに乗り込んできた客に声をかけられた。
生憎と、人の名前を覚えるのは不得手だ。
しかし地べたに這い蹲りながら、その髭面を見上げた記憶だけは、嫌と言うほど鮮明に蘇った。
俺の家族の目の届かない場所で、俺の足を掬って転ばせたり、背後からいきなり突き飛ばしたりしては、地に転げた痛みに呻く俺を見下げて薄笑いを浮かべていた男。
特に、俺が深夜の森から無傷で戻ってきてからは、妖精と何か良からぬ取引でも交わしてきたのでは…と、有ること無いこと騒ぎ立て、「悪魔憑き」などと罵倒されもした。
それでいて、俺の名が将来有望な祓魔師として知れるようになった途端、愛想良く親しげに態度を変えやがった…そんな故郷の村人たちの代表格とも言える奴だ。

「顔を見るのは、数年ぶりだよなぁ。久々に、里帰りかい?」
「…まぁ、そんなところです」
「お前さんの噂は、良く聞いてるよ。これまで多くの祓魔師を手こずらせてきた魔物たちを、バタバタと退治しまくってるって話じゃねぇか!。
一心牧師も若い頃から相当名が知れてたが、お前さんはそれ以上だなぁ…いやぁ、大したもんだ!!」

男は大口を開けてガハガハと笑い、俺の肩を実に気安くバシバシと叩いてくる。
その手をやんわりと払い退けながら、俺は薄く笑みを浮かべ、少し疲れているから静かに寝かせて欲しい…と相手に伝えた。
そりゃ、悪いことをした……と、存外すんなりと相手は引き下がり、心中密かに安堵のため息を吐く。
外套の襟を立て直して目を閉じれば、頼んでもいないのに、男が他の同乗客達に俺の素性やら何やらを説明し始めた。

「この若さでこの実績の数々…本当に、立派になったもンだよ! 小さい頃に面倒を看てきた俺たち村の者たちも、鼻が高ぇってものさ!!
まさに村の宝、村の誇りだよぅ!!」

思わず、寝たふりをしているのも忘れて大笑いしそうになって。
膝に乗せた手をぎゅっ…と握りしめ、皮膚に食い込む己の爪の痛さで、笑いの発作を必死に堪える。



……ああ、反吐が出そうだ。










村の停留所で男と別れ、どこか清々した気分で古びた教会の建物へと足を向ける。
裏手に回り、牧師館のドアを叩けば、妹の遊子が笑顔で出迎えてくれた。

「遠路、お疲れさま。お腹が空いたでしょう?」

食卓に着いた俺の前に、次々と俺の好物の乗った皿を運んできては並べる遊子。
お袋を亡くしたときには未だ四歳かそこらだった筈なのに、その料理は完全にお袋の味付けを再現しているのだから、大したものだと思う。
俺や、もう一人の妹である夏梨のように祓魔の力をこそ持たぬものの、平凡で幸せな人生を歩む才能には最も秀でているのだろう。
実際、本部の勧めで娶された若い牧師との仲も極めて良好で、秋には子も産まれる予定だ。
祓魔師として留守がちな親父に代わり、夫婦で力を合わせて教会を切り盛りしている姿は、兄としても誇らしい限りだ。

「悪阻は、もういいのか?」
「うん。もうすっかり!」

産まれたら、沢山抱っこして遊んでやってね……と微笑む遊子に、曖昧な笑みを返しながら肉料理を頬張る。

「夏梨ちゃんは、元気?」
「ああ。実戦に出ることもあるが、養成学校で教鞭を取っている時間の方が圧倒的に長いかな。
あいつはあれで、結構面倒見が良いから」
「この前届いた手紙で、鬼教官と呼ばれている…って愚痴ってたけど」
「それでも、周囲には常に生徒達の輪が出来ているんだ。慕われている証拠だよ」
「そっか…。なら、安心だ」

にこり…と、笑って。
俺の向かいの椅子に腰掛けた遊子は、食卓の隅に置いてあった藤篭から鉤針棒と毛糸玉を取り上げ、編み物を始めた。
季節はこれから夏へと向かうが、産まれる子供のために冬用の小物などを今のうちから準備しておくつもりなのだろう。

小さな靴下が出来上がっていく様子をぼんやりと眺めながら、ホットワインを啜る。
遊子が食後に出してくれたそれには生姜と蜂蜜が入っていて、春とはいえ、未だに夜はそこそこ冷え込むこの時期、身体に温かく染み入るようだ。

「それにしても、お父さんも間が悪い…って言うか。おにいちゃんの久々の帰省なのに、入れ替わるように出張だなんて」
「ああ…何でも若いの数人ほど派遣したんだが、相当手こずってる現場らしくてな。死には至らなかったものの、かなりの重傷者も出たって言うんで、急遽呼び出されたらしい。
それより…お前の旦那こそ、どうした?」
「……うん、それなんだけどね。隣町にお葬式のお手伝いに行ってて…帰りは、明後日くらいになるかな…」

急に遊子の口調が歯切れ悪くなったことに、眉根を寄せれば。
目の前に座る妹は、うつむき加減に暫く視線を彷徨わせた後、ぽつり…と小さく呟いた。

「御領主様のご子息の一人が、亡くなられたのですって」

その言葉に、大きく目を見開く。
今の領主とは、俺たちの母親を轢き殺した男のことだ。

「愛人に産ませた末子とのことだけれど…御領主様がお子さま方の中で最も可愛がっていらしたとかで、それは酷いお嘆き様なのですって。
それで……お葬式も大分派手に、大掛かりに執り行うらしくて…」
「隣町の牧師先生は、確かかなりのご高齢だったよな。それで、若いお前の旦那が手伝いに駆り出された…ってわけか」

こくり……と、頷く遊子。
その口から、一段と潜めた声が押し出された。

「これは噂なんだけど…なんでも酔った勢いで、若いお仲間数人と度胸試しをしようと森に入ったらしくて……」
「……ウィリーか…!」

呻くように呟き、ぎり…と奥歯を鳴らす。
そんな俺の様子を黙って見ていた遊子だったが、次第にその目には涙が溢れ、頬を伝って流れ落ち始めた。

「…遊子…っ」
「おにいちゃ……あた、し………ざまを見ろ…って、そう…思っ……」
「…っ、!」
「神様は、汝の隣人を愛せよとお教えになるのに……私は牧師の子で…牧師の妻なのに……。
でも…それでも……っ!!」

掌で顔を覆い、声を上げて泣き出した遊子。
席を立って側に行き、その震える肩を強く抱きしめながら、ぎゅっ…と唇を噛みしめる。

遊子の気持ちは、痛いほどに理解出来た。
それと同時、に。
この人の心の弱さこそが、ウィリーの存在を許しているのだ……ということを、今更ながらに思い知る。





………そう、俺はずっと疑問だった。
何故本部は、ウィリー達を狩ろうとしないのか…と。
吸血鬼や屍食鬼に比べたら、さほど労せずに壊滅させられそうなものに……と。、


要は……必要悪、なのだ。


彼女たちの縄張りとも言える、夜の森。
その沼のほとりに近づいた者、しかも男性のみを狙うばかりで、決して人里を襲うようなことをしないウィリー達は、元は付近の村々で、ごく普通に生活を営んでいた娘達だ。
そして彼女たちの死因には、病死や事故死は勿論だが、痴情のもつれによる殺傷や自死が、少なからず含まれる。

そんな理不尽な死に方をした娘達の遺族の中には、たとえ人外のモノに成り果てたとて、愛しい家族が生前の美しい姿のまま存在し続けることに、救われる者もあっただろう。
ましてや、なにも知らず迷い込んだ気の毒な旅人は別として、伝説を知っていながら浅はかにも夜の森に踏み込むような男というものは、大概がそれなりの人間である。
そういった奴らの訃報を耳にして、昏い喜びを感じる者も居るだろう。
いや…もっと積極的にウィリーを利用した復讐を企て、実行に移した者とて居たに違いない。

それ故に。
教会は、彼女達の存在を黙認し続けるのだ。
神の愛でも救えないほどに心傷ついた人々が、最後の一線を越えてしまうことのないように。

だけど……。



『私、は……本当は、もう…誰も、殺したくなんか……!』



美しくも苦しげに歪んだ、娘の顔。
織姫と名乗った妖精の、朝陽に儚く消えていったその姿が、俺の脳裏を過ぎっていく。
苦悩に満ち、胸を切り裂くように響いたあの声を、俺はあれから何年経っても忘れられなかった。





なぁ、遊子。
それから、親父と夏梨も。
……ごめん。
本当に、ごめん…な?

俺には、出来なかったんだ。
織姫との出逢いを、無かったことにするなんて。
彼女の中に残った人の心…その哀しみや苦しみを、見過ごしたままに生き続けることなんて。

俺には、出来なかった。
どうしたって、出来なかったんだ……。









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