銀河通信



【月光小夜曲】




朝から晩まで、実習で。
ふらふらになりながら辿り着いたアパート、鞄も上着も床に放るように置きながら、ベッドにばったりと倒れ込んだ。

うつ伏せのまま、数分。
寝返りを打つことすら面倒臭くてたまらないのだが、少々呼吸も苦しくなってきたので、仕方なく仰向けになる。

ぼんやりと天井を眺めて。
視線だけ窓の外へと向けた俺は、思わず大きく目を見開いた。

「……うわ…すっげ………」

窓硝子越しに見上げた空、浮かぶは満月。
当に、『ぽっかり』と。
まるで、美しく磨き上げた鏡のように。

いにしえの人々が兎に見立てた模様、も。
常より一際、鮮やかに………。





「月の兎の、伝説……か」

空腹の旅人の為に、焚火に飛び込んでその身を捧げた野兎の物語。

初めて聞いた時には、泣いてしまったのだ……と。
苦笑交じりに話してくれたのは、胡桃の髪を持つ優しい人。
俺にとって、誰よりも何よりも大切な………。





視線を動かし、時計を見て。
指し示す時間に、微かに眉根を寄せる。

『………ぎりぎりセーフ、だといいんだけど』
躊躇いつつ、ポケットに入れたままの携帯にそろりと手を伸ばす。

触れるか触れないか……というところで、それが振動して。
心臓が口から飛び出るかと思う程吃驚しながら、慌てて抜きとった……そのディスプレイには、今まさに想い浮かべていた彼女の名前。
急いで、通話ボタンを押す。

『もしもし……?』

少し躊躇いがちに届いた、柔らかなソプラノ。
途端に、肩から力が抜ける。
自然と呼吸が深くなる。

「……井上?」
『うん。………あの、寝てた?』
「いや、今帰って来たばっかり」
『忙しそうだね』
「まぁな……でも、俺だけじゃねぇし、必要な事だから」
『うん』
「そっちこそ…未だ起きてたのか?」
『うん…ちょっと、持ち帰り仕事。運動会の準備にばかりかまけてたから、教室の装飾が疎かになってて。
いい加減、秋っぽいのに変えないと……ね』
「そっか……お疲れ様です、井上先生」
『いえいえ』

電話のあちらとこちらで、お互いにくすくすと小さく笑う。

「それより………何か、あったのか?」
『え? あ、ううん! そうじゃないの、そういうことじゃなくて………』

わたわたと、焦って手を振り回す井上の姿が目に浮かんで。
思わず綻ぶ、口元。

それと同時、に。
心に膨らんでいく淡い期待と、悪戯心。

『あの、ね? 実は、ね?……』

彼女の声を聴きながら、呼吸を一つ。
そして。





「『月があんまり、綺麗だったから……』」





『く、くろさきくんっ……?!』

狼狽えたようにどもりながら、俺の名を呼んで。
それきり黙りこんでしまった、井上。

喉の奥でくつくつと笑いながら、実は俺も同じ事を考えたのだ……と、照れながらも素直に告白。

「吃驚したんだぜ? 携帯触ろうとした瞬間に、かかって来るんだもんよ」
『………黒崎君…』
「でも、さ。なんか嬉しくてさ。こんな偶然もあるんだなって」
『うん………』

本当だね………と。
きっと、目を細めて微笑みながら口にしてくれたのであろう言葉に、心がほこほこと和んでいく。

一方、で。
鼻の奥をつん……と刺激する、淋しさ。



叶うことならば。
隣で一緒に、見上げたかった。

この、満月を。
美しい、中秋の名月を………。







「………井上」
『はぁい?』
「後、半年だ」
『くろさき、く………』
「あと、半年だから……」
『……………うん!』


小さく鼻を、啜る音。
電話のあちらと、こちらで………。

零す苦笑すら、同時で。
思わず吹き出したのも、一緒で。









シンクロする、心と心。
愛おしさが溢れて、止まらなくなる。











じゃあな、じゃあね………って。
お互いに体中から元気かき集めて、努めて明るく声を掛け合って。
後ろ髪を盛大に引かれつつ、通話を切る。

元気に明日を、迎える為に。
夢見た未来に、繋げる為に。





もう一度、月を見上げて。
それから静かに、カーテンを閉じた。

ひとつの決意を、胸に秘めながら………。








誓う、よ。

半年後には、必ず空座に帰る。
必ず、君の隣に帰るから……。


だから……なぁ、井上。
その時に、は………。














月の雫のような輝きを
きっと、君の薬指に……



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