この、美しい世界に……君と



アパートに戻り、身体から抜けて、ルキアと恋次と共に門に飛び込む。
瞬歩で駈ける道中、俺は二人からとんでもない話を聞かされた。

尸魂界では藍染との戦いが終わって以降、ずっと崩玉を無力化する研究を続けてきたのだという。
しかしそれは上手くいかず、寧ろ、いつ暴走してもおかしくない状態になっているのだ……と。
このままではまずい……と言うところまできて、尸魂界は不本意ながらも、現世に救いの手を求めることにした。
つまり……井上の、双天帰盾の能力に頼ることを決めたのだ。

「これまで尸魂界が井上に依頼してこなかったのは、何も手前達の面子がどうのって理由だけじゃねぇんだ」

辛そうに顔を歪めながら、恋次が言った。

「井上の能力で、確かに崩玉はその存在を消す。
だがその過程で、あのちっせぇ玉に込められていた巨大なエネルギーが一気に放出される為に大爆発が起きて……恐らく、井上はそれに巻き込まれて命を落とすだろう……と。
それこそ、霊子レベルで分解されて燃え尽きて、転生さえ不可能な状態になるだろう……と。
そう、予想されていたからなんだ」
「…………なっ?!」

一瞬にして、顔から音を立てて血の気が引いていく。

「だから、此度の事は四十六室と極々一部の死神たちの手で、完全に秘密裏に進められていたのだ。
勿論、我ら井上と親しい間柄であった者には、誰ひとりとして知らされはしなかった!!
先刻、十二番隊隊士の一人が、厳罰覚悟で朽木の家に駆けこんできたくれたから良かったものの……っ!」

ルキアが呻くように、言葉を紡ぐ。

「急げ、一護! 我等など置いて行って構わぬから……一刻も早く井上を………!!!」

ルキアの言葉途中で、速度を上げた。
鈴の音のように涼やかで、それでいて春の日の陽射しのように暖かく柔らかな、彼女の霊圧を目指して。

だけど………。



ドォン………と。
鼓膜が破れるかと思うほどの轟音と、それに続く衝撃波に煽られて、崩れる空中姿勢。
なんとか体勢を立て直して顔を上げた俺は、大きく目を見張った。

目の前には、巨大な火柱。
正に、天を焦がさんばかりの勢いで炎が猛り狂っていて……。

そして。

先刻まで、確かに感じていた彼女の霊圧、は。
もう……何処にも、見つからなかった………。




呆然と立ちすくむ、俺。
俺に追い付いた恋次とルキアも、俺の隣で足を止め、ただただ呆けたように炎を眺めるばかりだった。

「馬鹿な………井上…こんな……馬鹿な事が………!!!」

言葉は嗚咽に飲み込まれ、恋次に肩を支えられながら涙を流すルキア。
俺はと言えば、目の前の現実を受け止めきれず、涙を流すことも出来ずにいた。

だって、そうだろ?

たった数時間前まで、あいつは俺の腕の中に居たんだ……!
俺の隣で、息をして……綺麗な光の中で、花のように笑っていたんだ……!!

居ないだなんて。
もう、居ないだなんて。

そんな事が、どうして信じられる?

でも。
感じない。
もう、感じとれないんだ。
あの、綺麗な綺麗な霊圧を………!!!

護ると、誓ったのに。
護り通すと、決めたばかりなのに。

結局………。
俺はあいつを、死なせたのか?
たった、ひとりで。
独りきりで。
あの、炎の中で。
俺は……あいつを、死なせたのか………?!




「……ぅ…ぁぁぁぁぁぁぁあああああああっ!!!!」

喉の奥から、迸る声。
心の底から湧き起こる、怒り。

嘘だ!
嘘だ!!
こんなのは、嘘だ!!!

許さない、こんなことは断じて!
断じて、許すものか!!!


「…っ?! 拙い、恋次!! 一護を暴走させては……っ!!!」

ルキアの叫び声を、何処か遠くに聞いていた。
二人の鬼道が俺を縛ろうとするのを、力ずくで引き千切る。

炎に向かい、刀を手に駆け出そうとした俺の目の前に。
しかしながらその時、伝令係の装束を身に付けた死神が数人、立ち塞がった。

「退けっ! 退かないと、叩っ斬るぞ!!」

凄む俺に臆することなく、中央の1人が進み出て。
そいつは恭しく膝をつきながら、俺に向かって白く細長い何かを差し出した。

「………黒崎一護様、井上織姫様からのご遺言にございます」
「ゆい……ご…ん………?」

震える指で、差し出されたものを受け取る。
それは、和紙の封書。
慌てて中身を取り出せば、そこには僅か数行の、文字の連なりがあった。



『黒崎くんへ

この先の未来を、あなたに託します。
どうか、護り続けてください。
私の愛した、人々を…街を……この、美しい世界を………』





「…いの…う…え………」

涙がゆっくりと、頬を伝っていく。

お前は俺に、許せと言うのか。
この世界と、お前の命を引き換えろと迫った者たちを。
護り続けていけというのか。
お前の命と引き換えに、存在を続けていくこの世界を。



「井上………」

血が流れるほどに、唇を噛みしめる。





………わかった。
きっと、果たすよ……井上。
どんなに納得できなかろうとも。

それがお前の、最後の願いであるならば………。






涙でぼやけた視界に、それでも橙色鮮やかに映る、火柱。
その炎に、俺は一生の誓いを立てた。
空虚な心を、抱えながら………。











それからしばらくの間、俺は正に生きる屍だったと。

別に、アパートに閉じこもって、じっとしていた……ってわけじゃない。
整霊や人間が虚に襲われることがないよう、これまで以上に死神稼業に精を出した。
学校にも、ちゃんと通った。
医者になることだって、誰かの命を護る事には違いないから。

だけど。
心の中心は、いつだって空っぽだった。
まるで、生きた人間のまま虚にでもなったかのように、大きな穴が空いていた。
時が巡って、春風が吹く季節になっても。
俺の身体の中には相変わらず、北風が音を立てて吹き荒れていたんだ。





そんな、ある日。
街に再び、木枯らしが吹き始めた頃の事だった。
虚に襲われていた、幼い女の子の整霊を助けた。
栗色の髪と大きな瞳が印象的な、どことなく井上を思わせる子だった。

尸魂界に送ってやろうと、刀の束を額に押し当てるべく持ち替えようとしたとき。
夜空を見あげていた少女が、僅かに目を見開いて呟いた。

「わぁ……綺麗な檸檬の月だぁ…………」

その言葉に、瞬時に巻き戻る時間。
井上と二人で過ごした、あの日の夜。
彼女もまた、夜空を見あげて微笑んだのだ。

綺麗な檸檬の月だね………と。





「ああ……そうか…………」

思わず呟いた俺に、少女が怪訝そうな視線を向けてよこす。
何でもないよ……と微笑んで、額に束を当てた。

綺麗な蝶へと姿を変え、尸魂界へと飛び立つ魂を見送る。
夜空には、檸檬の月。
そして、冴え冴えと輝く冬の星座達。





………ねぇねぇ黒崎君。冬の大三角って、どの星を繋ぐのか覚えてる?



「大犬座のシリウス…小犬座のプロキオン…オリオン座のベテルギウス……だろ?
お前が教えてくれたんだ、忘れるわけがねぇよ」



俺の頬を、涙が伝う。
ゆっくりと目を閉じれば、頬を冷たい風が撫でていく。



………うー、寒いねっ! でも私、冬の空気って嫌いじゃないよ? なんだか身も心も、凛と引き締まるような気がしない?



「ああ、井上……俺も、そう思うよ」

呟きながら。
口の端に、笑みが浮かぶのを自覚する。





井上……なぁ、井上?
俺、わかったよ。
やっと…やっと、わかったんだ。

お前は、死んだんじゃない。
消えてなんか、いない。

お前は…お前は………。





この世界、そのものになったんだ………。















そして、十数年が経ち。
俺は今日も、医者と死神代行、二つの仕事に精を出す。

かつてのように、それが井上の願いだからではなく。
それが、俺自身の望みであるからだ。
この世界を護る事は、すなわち、彼女を護る事。
それは「たった一つを護る」と言う名を背負った俺に、なんて相応しい任務だろう。



風の中に、彼女の声を聴く。
陽射しの中に、彼女の暖かさを思い出す。
街の中、すれ違う人々の笑顔に、彼女の面影を見つける。
蝉や蜻蛉を追う、子どもたちの輝く瞳の中にも。

いつだって、何処に居たって。
ほら……気づけば其処に、此処に。
俺は、彼女を見つけることができる。
その存在を、感じることが出来るんだ。

あの…彼女を腕に抱いた夜よりも。
もっともっと、近くて深いところで………。










冬………俺は今でも毎年、あの遊園地へと出かけていく。
流石に中年男の一人歩きは恥ずかしいから、死神姿になってこっそりと……だけど。

今年も色とりどりのイルミネーションで飾られた園内は、まるで夢の中に居るようだ。
夜空に輝く星も、月も………。



世界が、綺麗だ。
井上が、綺麗だ。



なぁ…井上……?
初恋の女をいつまでも忘れられない哀れな男と、嗤う奴もいるけれど。

俺は、幸せだよ?
とてもとても、幸せなんだ。


本当だよ………?










「………愛しているよ」














私も………と。
星の瞬きのなかで、井上が微笑んだ気がした。






















(………それでも。
もしも叶うことならば、せめてもう一度だけ…この腕に、彼女を抱き締めたい………。
2/4ページ
スキ