君に想う、蓮華色の奇跡




昼休みに、水色から電話があった。

久しぶり……と挨拶を交わして。
用件を尋ねた俺に対して、少々躊躇いがちに届いた言葉、は。

「……いや、今年は相談の電話がかかってこないなぁ…と、思って」
「ああ………!」

思わず、苦笑して。

「うん…今年は、大丈夫なんだ。気にしてくれて、ありがとな?」
「いや、それならいいんだ。それにしても……」


………一護にしちゃ、珍しいね?


含み笑う声に、幾分憮然としつつ頭を掻いた俺の脳裏、に。
一月ほど前の出来事が、鮮やかに甦った………。










………その日、出張先で。
タイミング悪く遭遇してしまった、ゲリラ豪雨。
慌てて周囲を見回して、目に留まった小さな店のテント下へと駆け込んだ。

ハンドタオルで、腕や顔を拭って。
ふう……と、息を吐きつつ振り返った背後のショーウィンドーに、思わず目を見張る。

小さなその空間にセンス良く上品に飾られていたのは、指輪やペンダント。
宝石の持つ輝きは、勿論だけど。
地金の部分に施された繊細な彫り模様に、目を奪われた。
職人魂とでもいうような作り手の想いが、素人目にも伝わるようで……。


「……そういえば、もう一ヶ月足らずだな」


ふと…独りごちた、時。

からん……とカウベルのような音が鳴って。
店のドアが開き、中から初老の婦人が顔を覗かせた。

「よろしかったら、中へどうぞ?」

微笑みながらの言葉に、慌てて首を横に振る。

「あ、いや……その、ちょっと雨宿りしてただけで……」
「だったら尚更、お入りくださいな。
そこだと上半身は守れても、足下は大分濡れてしまうでしょう?」

その言葉のとおり。
激しく降る雨は、既に俺のスラックスの膝から下の色を変え始めていた。

「押し売りしたりしませんから、どうぞ?」

くすくすと笑いながらの言葉に、小さく一つ息を吐き出して。

「……じゃ、お言葉に甘えて」

ぺこりと頭を下げつつ、白木のドアをくぐった。







四畳半あるかどうか…という、こじんまりとした店内。
部屋のスペースのほぼ半分を占める応接セットに、勧められるがままに腰を下ろす。

一番奥の壁際に、背高の。
入り口から向かって左側に、カウンターを兼ねたロータイプのショーケースが、それぞれ一台ずつ置かれていた。

どちらにも、ショーウィンドーに飾られていたのと同じように、丁寧な造りの細工物が並んでいる。

遠目に、眺めるともなく眺めて。

近づいてくる足音に、カウンターの更に奥へと続く間口に視線を向ければ。
一度奥に引っ込んでいた婦人が、タオルと水出緑茶を乗せた盆を持って戻ってきたところだった。

恐縮しつつ、タオルを受け取って。
雨水を拭い、冷茶に口を付ける。

「雨宿りなら、中で……と思ったのだけど、男の方にこんなお店は、かえって居心地悪かったかしら?」
「いえ、そんな事は……酷い降りですし、本当に助かりました」

慌てて、頭を下げて。
顔をあげ、ふと目に入った光景に首を傾げる。

「この、奥は……作業場なんですか?」
「ええ、そう。メーカー物もいくつか扱っているけれど、うちの商品は基本、夫の手がけたものなのよ?」
「そうなんですか……?!」

思わず、目を見張って。

「ショーウィンドー見てて思ったんですけど…細工がとても繊細で、綺麗で………」
「あら、夫が聞いたら喜ぶわ!」

ころころと、少女のような笑い声を立てる姿に、思わず口元が綻ぶ。

「こちらのケースの中とかも、拝見してもよろしいですか?」
「勿論! どうぞどうぞ、遠慮なく。
手に取ってみたければ言ってくださいね? お出ししますから」

その言葉に甘えて席を立ち、ケースの中をのぞき込む。
並んでいるのは…やはり、どれもこれも、造り手の職人としての熱意と想いと。
誇りが感じられるもの、ばかりだ。


………多分…こういうの、好きだよな。


胡桃色の髪を風に靡かせて、ふうわりと微笑むヨメさんの姿が、脳裏に浮かぶ。

ふと…ケースの左端に並べられた、白い小さな箱に目が留まった。
3cm角ほどのその箱の中、透明な蓋の下に有るのは、色とりどりの光の結晶。

「これは………?」
「ああ、ルースですね?」

にこり……と、笑って。

「こちらから好きなお石を選んでもらって、一緒にデザイン考えて、一からお作りすることもあるんですよ?」
「へぇ………」

端から、ひととおり眺めて。

ふ……と。
とある石の上で、視線が止まった。

「これ……は………?」

それは、並べられていたルース類のなかでは、かなり小さな粒だったけれど。
光の加減で、オレンジに見えたり、ピンクと思えたり…………。
実に不思議な色味の、石だった。


「あら、お客様ったらお目が高いんですね!」

一度丸くした目をにっこりと細めて、婦人は言った。

「それはパパラチアですね」
「……パ………?」
「パパラチア。サファイアの中でも稀少な石ですよ」
「サファイア?! この色で?!」
「赤以外のコランダムは、すべてサファイアと呼ぶんですよ。無色透明から黒まで、色々あります」
「赤、以外?」
「赤のコランダムは、ルビーですから」
「はぁ………」

半ば、呆然と。
ため息混じりに返事した俺を、婦人は可笑しそうに見て。
ショーケースの中からルースを取り出し、俺の目の前においてくれた。

「最近では熱処理で人工的にこの色に変えた物も、多く出回っているのですが………。
こちらはカラット数は低いですけれど、天然で質も良いものです」

改めて、じっくりと眺めて。
やはり……惹かれてやまない、その色。


思い浮かぶの、は。
夕焼けの空と、舞い散る桜の花吹雪。


まるで………。
ヨメさんの大好きな二つの景色、を。
綺麗に溶かして、混ぜ合わせて。

この小さな結晶に、生まれ変わらせたような………。










ばたん……と。
少し離れた場所で、ドアの開く音がして。

「うはっ、車からここまでで、こんなに濡れるとは……っ?!」

奥の作業場から届いた声に、現実へと引き戻される意識。

「お帰りなさい、あなた」
「おう、ただいま。お客さんかい?」

タオルを被った頭を、ひょこりと店内に突きだしたのは………。
正直…目の前の美しい細工の数々から想像していた人物像とは、かなり違っていて。

………思わず数度、瞬いてしまった。

どっちかというと……造り主さん、は。
八百屋や魚屋の店先の方が、より似合いそうな。
小柄で恰幅の良い、「おいちゃん」て雰囲気の人だったのだ。

「テント下で雨宿りなさってたから、中に入って貰っただけですよ。
でも、あなたの作ったもの見て、とても繊細で綺麗だって………」
「そりゃあ、嬉しいねぇ! 照れるじゃねぇか、兄ちゃん!!」

くしゃりと嬉しそうに皺を作った顔は、まるでテストの出来を誉められた幼い子供のようで。
思わずつられて、笑顔になってしまう。

「んじゃ、ま……雨が上がるまでゆっくりして行きな!」

そう言って踵を返しかけた後ろ姿、に。
俺は慌てて、声をかけた。

「あの……っ!」
「………?」

目を丸くして振り向いた店主の顔から、僅かに視線を逸らして。
ぼそぼそと……呟くように、尋ねた。

「………この石を指輪にしてもらったら、幾らくらいになりますか?」

鳩が豆鉄砲を食らったような表情で、顔を見合わせる店主とその奥方。

「その…来月………妻、の…誕生日なもので……………」

言いながらも、どんどん目線が下がっていくのを止められない俺、の。
目の前に置かれていたルースケースをそっと手に取りながら、奥方が言った。

「………どうぞもう一度、こちらにお掛けになって?」
「材料や加工の仕方で、値段は大分変わってくるよ。
まずは予算と、デザインの要望を聞かせてもらって……じっくりと折り合いをつけていこうかね?」

カウンターの内側から出てきた店主に、ぽんっと背中を叩かれて。

「よろしくお願いします……」

頭を、下げる。



そして三人、応接セットに腰を下ろした………。








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